012 アイデアノートには秘密が綴られている。
土曜日の昼下がり、レンガ倉庫沿いの静かな喫茶店に一人の少女が足を踏みいれた。木製の扉に下がったドアベルの、角のとれた金属音がからんころんと店内に鳴り響く。
店内はコーヒーの炒った香りで満ちていた。窓際には観葉植物が置かれ、天井にはゆったりとシーリングファンが回っている。客はまばらだが、それなりに品のいい客たちが好んで足を運ぶ類の喫茶店なのだろう。少女はブレンドコーヒーを一杯だけ注文し、角のソファ席へと鼻歌交じりに着席した。
注文したコーヒーが運ばれてくると、香りを楽しみながら口を付ける。ほっと息をついたところで、少女はコットン生地のトートバックから茶色のノートを取り出した。
そのノートには、新しい小説のアイデア、目に映った印象的な景色の描写、ふと心に浮かんだ言葉、そして彼女が文芸部に入ってからの出来事などが綴られていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「――いやぁ、とっても素敵な祝日でしたよ。」
ゴールデンウィーク明けの月曜日、放課後の部室には文芸部二年生たちと太宰の姿があった。文芸部の一年生、太宰小治はいかに充実した休日を過ごしていたかを語る。
「オシャレな喫茶店で、美味しいコーヒーを嗜みながら創作に耽る午後の一時……。とても至高の時間でした。」と太宰は言った。
嬉しそうに語る太宰を、文芸部の二年生たちは過去の自分を懐かしむように眺める。
「小説を書きはじめた頃は特に、みんなそういうのに憧れるよな。」という芥川の言葉に、「わかる、わかる~」と谷崎も頷いた。
多くの小説家は、いざ執筆するときはひたすら暗い部屋で一人、原稿用紙に延々向かい合っていることがほとんどである。しかし、アイデアを出すという段階では、静謐で少し風流な明るい場所を好む者が多い。
その理由としては、小説家は常に新しい小説のアイデアを探しており、外に出る時でも常にアイデアノートなるものを持ち歩いているからという理由が一つ。
そしてもう一つは、単純にオシャレなカフェやバーなどで、小説の創作に耽る自分――エモい――みたいな思考回路で、これは小説家初心者に特に多くみられる。
「先輩方はGWはどう過ごされていたのですか?」
太宰の問いに、芥川は「ずっと家で小説書いてた。」と答え、谷崎も「右に同じで、家でずっと夏コミの準備してた。」と述べ、その後に中原も続く。
「ふん、俺様もまた同じだ。よく静かなる湖畔の傍の別荘で、新たな物語の原石を魔導書にしたためていたぞ。」
そういって中原は、彼の魔導書(アイデアノート)を取り出した。
「結局、みなさん連休中も小説書いてたんですね。」と、太宰は苦笑を浮かべた。
「芥川先輩と、谷崎先輩も、やっぱりアイデアノートって持ち歩いてるんですか?」
太宰の問いに、「あぁ、俺も小さな手帳によく色々メモってるな。」と、芥川は小豆色の牛皮の手帳を胸元から取り出した。
「私はノート自体は持ってないよ~」
谷崎はそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「私はスマホのメモアプリ使って、新しいカップリングとか、閃いたシチュとか打ち込んでるかな~。スマホだと写真や録音して残すこともできるし、何かと便利なんだよね~。」
谷崎のスマートフォンを活用するというアイデアに、太宰はとても感心したような表情を浮かべた。
「なるほど……。だから谷崎先輩は部活でも、芥川先輩と中原先輩の会話とかを録音したり、写真を撮ったり、素早く何か打ち込んだりしてるんですね!」
「おい……盗撮及び盗聴は犯罪だぞ。」
白い眼で見てくる芥川に、「てへぺろっ!」と谷崎は舌を出しておどけてみせた。そして話題を変えようと思ったのか、恐ろしい提案を口にした。
「あっ、そうだ! 面白いこと考えちゃった~! 今からみんなでゲームして、負けた人は罰ゲームとしてアイデアノート晒そう~!」
「っはぁ!? な、なんで……そんな事しないといけないのですかっ!?」
谷崎の言葉にあきらかな拒絶を示したのは、新入生である太宰であった。
「おやおや~? 頬を赤らめて取り乱しちゃって~、そんなに人に見られたくないことでも書いてあるのかな~?」
谷崎がからかうように言うと、「そっ、そういうわけじゃないですけどっ……」と、しどろもどろに太宰は答えた。
「確かに、そこまで拒絶されると……逆に気になるな。」と芥川も興味を示す。
「いや……、何にも面白い事書いてないですよっ!」
太宰は自分のアイデアノートを胸に抱え、何があっても離すまじと強い意志を示した。
「ちなみに、何のゲームをするんだ?」
「うーん、何がいいかな~」
「ちょっと、勝手に話進めないでくださいよっ~!」
慌てる太宰をスルーし、二年生たちは話を進める。堅物的な三年生たちがいない間、彼らはくだらない遊びを考えるのが通例であった。
「っふ、この俺様が至高の遊戯を啓示してやろう。」
中原は尊大な表情で、その至高の遊戯とやらを発表した。
「
「……は? しりとり……ですか……?」
重々しい声音で勿体ぶった挙句、『しりとり』という拍子抜けする中原の提案に、太宰はぽかんとした表情で尋ねた。
「そうだっ。ただし、ただのしりとりではない。俺様のパトスが揺さぶられるような、ロマン溢れる至高の言葉しか許されない。」
「なんだその自分ルール……。」
気だるそうに言う芥川に対し、「ようするに~、厨二っぽい言葉縛りってことだね~。」と谷崎は存外乗り気である。
「そ、そんなの不公平ですよっ! 中原先輩が圧倒的に有利ですっ!」
太宰はとかく自身のアイデアノートを晒すという罰ゲームを回避したいらしい。必死にルールの改正を訴えた。
「っじゃあ、中原は審判ってことでいいよ。」と芥川が意見し、谷崎も「そうだね~。中原のアイデアノートとか、別に見たいと思わないしね~」と同意する。
嫌がる相手にこそ、余計に嫌がることをしたくなるのが人の心理というものである。ノートを見られても一切恥ずかしがらないであろう中原に、芥川と谷崎は興味を示さなかった。
「……っぐ。まぁ……この俺様が
ルールは簡単、中原が納得のいく厨二病ワードでしりとりをするだけである。言葉に詰まるか、中原の納得がいかないワードであれば罰ゲームとなり、その人物のアイデアノートから、中原が適当に開いたページを晒されるというものだ。
「全然納得いかないんですけど……やるしかないんですか……。」
絶望の表情を浮かべる太宰だったが、こうなった以上は勝つしかないと、腹をくくった様子である。
じゃんけんの結果、太宰→谷崎→芥川の順番でスタートすることが決定した。
「それでは、最初の言葉は――しりとりの『り』からだ。」
太宰は何としても罰ゲームを回避したいという焦りから、しょっぱなからアクセル全開の空回りをした。
「えっと~、り……、リ……、リ~サルウェポンっ!!」
太宰が勢いよく言い切った言葉は、厨二心が揺さぶられるとか以前に、しりとりとしてのルールを逸脱していた。
「……あれ?」
周囲が静まり返っていることに、太宰は不思議そうな表情を浮かべた。どうやら自分がおかしたミスに気が付いていないらしい。
「『ん』がついたらアウトだよね~?」
「……あっ!」
「もう可愛いな~太宰ちゃんは~。」
谷崎の指摘に、太宰は自らの過ちに気が付き、顔を真っ赤にしながら弁明を始めた。
「いや……違うんですよっ! そ、そうだっ! 私ったら友達と遊んだこととかなかったから、しりとりのルールしらなかったです! 『ん』がついたらアウトなんて、知らなかったな~! もう、最初から教えてくださいよ~っ!」
友達がいないという自虐まで入れ、そこまでしてノートを見られたくない太宰に憐れみを感じ、芥川は「仕方ないから、もう一回初めからにしてやろう」と提案した。
「っでは、改めて始めよう。最初の言葉は、
「く……、く~、あっ、そうだ。」
太宰は頭の上に電球を灯し、閃いたとばかりに手を打った。
「クロノジェネシス!(中原の自転車の名前)」と太宰は大きな声で言った。
「ふむ、俺様の愛車の名か――よかろう!」
無事に中原の厨二病心を揺さぶれたことに、太宰は大きな安堵の息を吐いた。
「ス……
谷崎の厨二ワードに対し、芥川は「ヴァ……ヴァイシュスバ〇ツ!」と某カードゲームの名を唱えた。
「えっ!? それって厨二ワードなんですか?」と太宰は首を傾げたが、中原は「語感の響きが至極」と悦に入っていた。
「うぅ……もう私の番だ……。ツ……ツ……ツール・ド・フランスッ!」
(※7月にフランスおよび周辺国で行われる自転車ロードレース)
あきらかに苦し紛れの言葉だったが、ガバガバな中原ジャッジはOKの判定を下した。
その後も、スパイダーソリティア→
「え~っ、また『ス』かぁ~。もうスーパーノヴァ使っちゃたし……。うーん、ス……ス……」
谷崎は『ス』から始まる厨二ワードがなかなか浮かばない様子である。
「中原先輩っ! 時間切れですよねっ! ねっ……! ねぇっ!?」
激しい太宰の申し立てにより、谷崎は時間切れによるアウトとなった。ここまで必死な太宰は珍しい。
「仕方ないな~、私のスマホのメモアプリの中身を晒してあげるよ~」
谷崎はそう言うと、スマホのメモアプリを開いて中原に差し出した。
「……こ、これはっ!?」
突如、中原は愕然とした表情で凍り付いた。それを見た芥川は、「何してんだよ?」と怪訝そうに谷崎のスマホを横からのぞき込む。
「……………。」
芥川は無言のまま、中原と同じくスマホを見た瞬間ピシッと凍り付いてしまった。時が止まったと錯覚するほどに、二人はピクリとも動かずに固まっている。
「二人ともどうしたんですか?」
微動だに動かない二人から、太宰は谷崎のスマホを奪い取った。そこに書かれている文字に目をやると、中原と芥川の二人をモデルとした男性の、濃密な絡みを描くBLネタが大量に綴られていた。
「あ……あわわ……///」
太宰は頬を赤らめ、片手で自身の目を覆う様に被せた。しかし、指の隙間から覗く彼女の瞳は、しっかり太宰と中原の濃密な交わりを描く文字に釘付けになっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ぐっ……谷崎のスマホは……、開けてはならぬパンドラの箱……。」
ガタガタと震える中原に対し、「あれ……? 俺は一体何をしていたのだろう……。」と芥川はショックで記憶を失っていた。
「は~い、っじゃあ二回戦といこうか~!」
そんな彼らを尻目に、谷崎はあっけらかんとした笑顔でしりとりの二回戦を要求した。
「えぇっ!? まだやるんですかっ!」
「うん~? 太宰ちゃんが負けるまで続けるよ~?」
「『何当たり前のこと言ってんの?』……みたいな顔で言わないでくださいっ! 超怖いですよっ!」
「減るもんじゃあるまいし~、ちょっとくらいいいじゃないの~!」
「ダメです~っ! 私のSAN値が減るんですっ!」
谷崎は太宰のアイデアノートを奪いとろうとし、決して取られまいと太宰も必死の抵抗をする。
「――隙だらけだ。」
中原は太宰の背後にまわり、カッコつけながら太宰のアイデアノートを奪った。
「きゃっ、何するんですかっ!」
しかし、驚いた太宰の反射的に放った裏拳が、見事に中原の頬に入った。中原は「メメタァッ!?」とカエルが潰れた時のような声をあげ、太宰のノートを空高く手放した。
宙を舞う太宰のアイデアノートは、くるくると回転しながら放物線を描き、ページを開けた状態で芥川の手にすっぽりと収まった。自然と開いてしまったページに綴られた文字は、意図せずとも芥川の瞳に映る。。
無地の白いノートには、日付と共に日記のようなものが書かれていた。人の日記はやはり読むべきものではない。目を逸らそうとしたものの、ノートの余白にある人物の名前が書き連ねているのが目に入った。
「……?」
(なんだ……これは……?)
一瞬見間違いかと思ったが、ノートの余白には『芥川龍之介』という文字が、びっしりと書き込まれていた。
(※太宰治は、憧れの芥川の名前をノートに書き連ねていた。)
(怖っ……なぜ俺の名前が……? 苗字が珍しいからか? それとも文字の練習? いや、ひょっとして……呪いの類か……!?)
芥川には、好きな人の名前をノートに書いてしまうという人間心理を理解できなかった。自分が何か太宰に恨まれるような事をしてしまったのではないだろうか……という不安を抱えつつ、とりあえず見なかったことにしようと決断した。
芥川は混乱しながらも、すぐさま表紙を閉じてそっと机の上にノートを置いた。
「……あれ? 私のノート……どこ?」
床に伸びている中原の手に、自身のノートがないことに気づいた太宰は、四つん這いになってきょろきょろと探している。。
「おい……、太宰……。お前のノートは机の上だぞ……。」
芥川は素知らぬ顔で、ノートを探す太宰へと呼びかけた。太宰はテーブルの下からひょこっと顔を出し、そして自分のノートを見やると慌てて手に取った。
「はぁ~よかった~。ありがとうございます、芥川先輩。」
「お、おう……どういたしまして……。あのさ……太宰……。」
「はい。何でしょうか?」
「もしさ……その……。俺に対して不満とかあるなら……、遠慮なく言ってくれよ?」
芥川の申し出に、太宰はきょとんと小首を傾げて頭に?を浮かべた。
「……? いえ、芥川先輩に不満なんて全然ないですけど……。むしろ尊敬してますよ?」
「そ、そう……? なら……いいのだけれど……。」
何とも言えない微妙な空気の中、太宰の裏拳をもろに喰らい、床に寝ていた中原が目を覚ました。
「見慣れない天井? ……っく、頭に痛みが走る……。俺は……何者だ……?」と、ふらつく足どりで立ち上がった。
谷崎は飽きれた目で中原を眺めながら、「もうそういうのいいってば~」と突き放すように言った。
「中原……それが、俺の名前……?」
中原は一時的な記憶喪失になったが、再度谷崎のパンドラの箱(男子部員をモデルにしたBL)を読ませるというショック療法で記憶を取り戻した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます