011 太宰の句には希望が込められている。

 芥川と中原の返句合戦(ただの悪口)が終わり、引き続いて残る順位発表が行われようとしていた。


「残るは――、森部長と太宰の二人か。」


 空いている席は、才能アリ1位と最下位の二席である。つまるところ、森部長と太宰のどちらかが1位、どちらかは最下位という事だ。


「……うぅ。」


 太宰は完全に自分が最下位だと思い込んでいるようだ。先ほどから自信無さげな表情で俯いている。


 一方の森部長はというと、いつも通りの表情が全く読み取れない仏頂面である。


「それでは、才能アリ1位の発表いきますよ。才能アリ1位は~っ!」


 夏目先生はノリノリでドラムロールを口ずさみ始めた。部内は照明が落とされ、眩いスポットライトがくるくると回っている。


「っじゃ~じゃん!」


 ドラムロールと共にスポットライトが停止する。


 栄えある第一位、最後に眩い光に照らし出されていたのは――、新入生の太宰小治であった。


「才能アリ1位は、太宰小治くんでーす!」


「「おぉっ~!!!」」


 光に照らされた太宰は、一体何が起こっているのだろうか――と状況を掴めない様子でいた。きょろきょろと周囲を何度も見渡してから、「えぇっ~! ほ、ほんとうに私ですかっ!?」と本当に驚いた時の声を上げた。


「森部長が最下位って、なんか意外ですね~」


 谷崎が少し気を遣う風に言うと、森部長は「どうも俳句といったものは苦手な性分なようだ。」と無表情で言った。 (※森鴎外『俳句と云ふもの』より)


「そうですね、いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、初めから上手い人もいるものです。」と夏目先生は諭すように言う。

                    (※『夏目漱石先生の追憶』より参照)

 

「それじゃ、まず才能無し最下位の、森くんの句から発表しましょう。」


 ~森欧内の俳句~

 

  春が来た 朝飯のバター 柔らかい

      (※森鴎外の俳句『秋立つや 朝饌のばたの やや硬き』を参照)



「まぁ言いたいことはわかりますけど、説明どうぞ。」


 夏目先生に促され、森部長は若干居心地悪そうに、自作の説明を始めた。


「朝食のパンに塗るバターが柔らかいので、春だなーと思いました。(小並感)」


「そうですね。共感できるし、悪くないとは思うんですけど……。でも何というか、技術的な事を云々というより……まぁ森くんは俳句向いてないって事で、もういいんじゃないですか。」


 夏目先生の講評を要約すると、君の俳句は何が悪いというわけでもないが、単純につまらないということだった。


「……ええ、もうそれで結構です。」


 森部長もまた、自分の俳句の才に関しては諦めているらしい。特に異を唱えることなく、大人しく最下位の席へと着席した。


「それではいよいよ~、才能アリ第1位、太宰くんの作品を発表します。」



 ~太宰小治の作品~


  追憶の ぜひもなきわれ 春の鳥 

                  (※太宰治の実際の俳句)



「それでは、太宰くん。この作品の説明を御願いします。」


 夏目先生に促され、太宰はおずおずと自作の説明を始めた。


「えっと……。つい先日の入学式の日ことなのですけど――、不安と緊張で俯きながら朝の通学路を歩いていたら、可愛らしいウグイスを見かけました。それを見ていたら、何だかわからないけれど、明るい気分になってきたのです。」


 ここまでだけ聞く限りだと、明るい気持ちの込められた句に思えた。しかし、ここから太宰の暗い気持ちが露わになる。


「――でも……、これまでの私の過去を振り返ってみると、同じように毎年春を迎えながら、明るい思い出なんて……何にもないなって……。私のこれまで人生は、追憶する意味もないような詰まらない人生だな、ということを詠んでみました。」


「……。」


 太宰の過去に何があったか誰も知らないが、部室内は随分と淀んだ重い空気に包まれた。


「えぇ、なるほど……。見事なまでに、明と暗が対比された句ですね。率直に言うと、なかなかの問題作でどう評価するべきか戸惑いました。若いのに面白い事を書く子だな、おそらくどっか螺旋がぶっ飛んでいるだろうなぁと私は思いました。」


 夏目先生は少し苦笑を浮かべながら、褒め言葉なのか悪口なのか、かなり際どい感想を述べた。


「――それでもね。」


 夏目先生は、仏のような慈悲深い笑みを浮かべながら、傷跡をそっと包み込むような声音で語った。


「それでも、この句からは……私はやはりどこか希望を感じるのです。」


「希望……。」


 部員全員は太宰の句に対する、夏目先生の講評に聞き入っている。


「そうです。きっとこれまでの過去が、追憶する意味もないような、つまらないものだったとしても――、作者は潜在的な無意識の中に、この先の未来に希望を抱いている。何度も思い返したくなるような、楽しい未来が待っているんじゃないか――そんな気持ちが込められているように感じました。」


 夏目先生は「――まぁ、その辺は作者である太宰君に、直接聞いてみないとわからないですけどね。」と太宰に向かってほほ笑んだ。


 文芸部全員の視線が、小柄で気弱そうな少女に注がれる。


 太宰は夏目先生の講評を聞きながら、初めて自分の顔を鏡で見せられた人のように、驚いた表情を浮かべていた。


「……そっか。そう……だったんだ……。」


 太宰は少し目に涙を浮かべながら、震える声で言葉を発した。


「私……本当に、その通りだと……思います……。これまで……自分でもわからなかったけど……今、はっと気づかされました……。」


 太宰は目から大粒の涙を零しながら、はっきりとした口調で言った。


「私は……期待してたんだと思います。去年の学祭……、文芸部の部誌を見て……、本当に感動しました……。この文芸部で……すごい先輩たちと……私も一緒に活動できたら、きっと楽しい思い出が作れるんじゃないかって……。」


 昂る熱い感情を、最後まで必死に言葉で紡ぎ出そうとする彼女を、部内の全員は優しく守っていた。


「実際まだ……入部して、ちょっとしか経ってないけど……、私は部活に行くのが……毎日楽しみで……すっごく楽しいですっ……! みなさんと、もっと仲良くなりたい……。一緒に思い出を作りたい。」


 太宰の言葉に感極まった谷崎が、ぎゅっと包み込むようにハグした。


「太宰ちゃ~んっ! 私ももっと仲良くなりたいよっ~! 太宰ちゃんが入ってくれて、毎日楽しいよ~っ!!」


 谷崎に抱き着かれ、太宰は恥ずかしながらも嬉しそうな笑みを浮かべている。


「……っ!」


 しかし、どうにも太宰の顔が紅潮しているは、恥ずかしいからという理由だけではないようだ。あまりにきつく抱きしめられて、気道が締め付けられているらしい。


「おい、谷崎。太宰が窒息しかかってるぞ。」


 芥川に注意され、谷崎が太宰を解放した瞬間、「っぷは~!」と太宰は大きく息を漏らした。


「太宰ちゃん、ごめんごめん~。」


「っはぁ……、っはぁ……。いえ、大丈夫……です……。」

  

 太宰はなんとか呼吸を整えた後、彼女が最も尊敬している芥川へと向き直った。


「すみません、芥川先輩……助かりました。」


「気にしなくていいさ。さっきの太宰の言葉が嬉しかったのは、谷崎だけじゃない。森部長も、川端先輩も、中原も、俺も同じ気持ちだから。」


「ほ、ほんとうですか……?」


「あぁ、きっと何度も思い出したくなるような、楽しい思い出がこれからたくさんできるさ。」


「芥川先輩……ありがとうございます。」


 太宰は自分の頬が、少しずつ熱くなってくるのを感じた。きっとさっき同様に、顔が赤く染まっているかもしれない。それを隠すように、太宰は恥ずかし気に俯いた。


「あれ? 太宰、大丈夫か?」


 俯く太宰の顔を心配そうに覗き込もうとする芥川に、谷崎はすかさずエルボーをかました。


「この鈍感朴念仁め~っ!」


「はぁ? 何だよ谷崎?」


「おい太宰、こんな天パ野郎なんかのどこがいいんだ。」


 中原もまた呆れ顔で、芥川の首にヘッドロックをかけた。


「あぁっ! もうさっきから何言ってんだお前ら!」


 芥川と中原が言い争いを始めて、部室内は騒々しくなった。


「全く――以前よりもまた一段と、賑やかになりましたね。」


 やれやれといった様子で言う川端に、森部長は「そうだな。だが、川端副部長も何だか嬉しそうじゃないか。」とからかうように言った。


「ふふっ、そうですかね?」


 そんな微笑ましい様子を、夏目先生は目を細めて眺めた。


「ふむ、今日は何だか気分がいいですね。良ければ晩御飯をご馳走しますが、みなさんどこか食べにでもいきますか?」


「さすが、夏目大先生っ~!」


「先生、ありがとうございますっ!」


 夏目先生の太っ腹な提案に、部員たちは歓喜の声をあげた。命は食にあり、食事に若くはなし――この諺の適切なるは、無料の食事の上に若くなし。文芸部員たちは今、食事のことのみを考えて生きている。

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