014 売れっ子作家にはGPSが埋められている。

 文芸部の森部長は、部員を見渡してから一つ咳ばらいを入れた。それは部長が何か言葉を発する予備動作であり、文芸部の面々は口をつぐんで部長を見た。


「今年もそろそろ――多くの新人賞の締め切り時期が近づいてきた。部としては、この時期はできる限り、個人での執筆に集中してもらいたいと思う。」


 新人賞――世の中には、多くの新人賞が存在する。その種類は大小様々で、主催者も大手出版社から地区町村など多種多様である。また大賞は出版確約がなされたり、副賞として巨額の賞金をもらえたりするものまである。


「芥川よ。貴様は今年も例の如く、文豪新人賞ぶんごうしんじんしょうにのみ応募するつもりか?」


 中原の問いに、「当たり前だろ。」と芥川は素っ気ない様子で返す。


「文豪新人賞――?」


 文芸部の一年生、太宰小治は聞き慣れぬ単語に首を傾げた。その様子を見て、部長の森が説明をいれる。


「数ある小説の新人賞でも、大手の出版社が共同で開催する日本一規模の大きな新人賞だ。受賞した作家は一生小説家として安泰と言われ、大手出版社からの出版確約はもちろんのこと、その副賞として――賞金1000万円が授与される。」


「1000万円……っ!? それは……すごいですね……。」


 文豪新人賞――それは小説家を志すものが一度は夢を見るアマチュアの最高峰。その賞金の大きさもさることながら、この賞を受賞するということは、全国から自分の作品を認められるという名誉と権威ある賞だ。この賞を受賞した新人は、将来歴史に名を残すような文豪候補として期待される。


「なお応募規定は、純文学であるというただ一点のみだ。その他文字数や書式などの制限はない。審査方法は一切開示されておらず、その全貌は謎のベールに包まれている。大賞受賞者が毎年出るとは限らず、歴代の大賞の受賞者は――夏目漱石、梶井基次郎、福沢諭吉、直木 三十五、吉川英治など、錚々たる作家たちが並んでいる。」


「夏目漱石……? えっ、それって……夏目先生のことですか?」


 太宰の問いに、傍で聞いていた芥川が誇らしげな表情で口を開いた。


「あぁ、夏目先生は記念すべき第39回大会で、見事大賞に選ばれたんだよ。」


「……さんきゅー?」


「……。」


 太宰のくだらない言葉を、芥川と森部長はスルーして話進めた。


「なお受賞作家に関しては、顔はもちろん、出身地や年齢すらも一切公表されていない。まぁそもそも作家というものは、進んで表舞台に出てきたがるものではないからな。」


「なるほど……、みなさん新人賞に応募されるのですか?」


 太宰の問いに、「うちの部では川端副部長を除き、他はみな何かしらの新人賞へ応募している。」と森部長は答えた。


 どうして川端副部長だけ応募しないのだろう、という疑問の視線を太宰は川端へと送った。それを察した川端は、「私には必要ないからよ。」と問われる前に答えた。


「私はもう、商業作家として本を書いてるの。だから必要ない。」


 太宰は目を丸くしながら、「えっ!? プロの小説家ってことですか! すごいっ!」と川端へと詰め寄った。


「別に……何も凄くはないわよ……。私には……。」とまで言って、そこで川端は口をつぐんだ。川端の横顔は、どこか影があるような表情に映った。


「……川端先輩?」と、太宰は気遣うように尋ねた。太宰の声に、ふと我に返った川端は、昼寝中の猫のような目をさらに一段と細めた。


「いえ……、何でもないわ。単純に商業レベルって意味なら、森部長はもちろん、芥川くんも、十分そのレベルに達してると思う。」


 川端副部長のその言葉に、中原と谷崎がそれぞれ同時に口を開いた。


「この俺は……?」

「この私は~?」


「あなた達も……、ちゃんと真面目に書いたら……達していると思うわよ。」と少し困ったように川端は答えた。


「うーん、真面目に書いてるけどな~。」

「我に同じく……。」


 と、ぶつぶつ言っている二人を尻目に、今度は芥川が口を開いた。


「部長、しばらく俺は――部の活動は欠席すると思います。」


 芥川の突然の申し出に、太宰は「……えっ?」と驚いた表情を見せた。


 芥川の申し出に、太宰の心中は騒めきたっていたが、それに引き続き、副部長の川端が挙手して発言を求めた。


「部長、この時期は他にもいくつか大きな新人賞が開かれる時期。個人で執筆に専念したい者も多いはず。しばらく文芸部の活動は、一時休止にしてはいかかでしょう。」


 川端の提案に対して、太宰は何か言いたげな表情を一瞬示したが、何も言葉を発さずに肩をすぼめた。


「――ふむ、今の川端副部長の意見に、異議があるものは?」


「私はべつにいいですよ~。夏コミのBLの脚本とか頼まれてるし~。」


「俺様も特に異議はない。ラノベ新人賞の締め切りも近いからな。」


 中原と谷崎は、どちらでも構わないという様子であるが、どちらかというと部が休みになったほうが都合がよさそうであった。


 それを見た太宰は「…………はい。」と、諦めたように俯きながら同調した。


 全員の意志確認を終え、森部長は「――っでは、これから約二週間、部活はしばし休止とする。」と宣言した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 部の休止が言い渡された後も、太宰は静まり返った部室まで足を運び、誰もいないと悟ると重い足取りで帰路についた。芥川は学校にすら姿を現さず、家に籠って小説とひたすら向き合っているようだ。


(たった二週間だ……。それが過ぎれば、また前のような賑やかな毎日が戻る。今まではずっと一人だったじゃないか……。)


 太宰はそう言い聞かせてみるものの、言い様のない漠然とした不安が心に残った。


 これまで一人でいることは当然であり、むしろ人と関わることが不安だったのだ。孤独でいることしか知らない太宰にとって、孤独は決して耐えられないものではなかった。


 しかし、文芸部の面々と賑やかな日々を過ごし、誰かと共に過ごす楽しさを知ってしまった故に、再び孤独に過ごすことへ恐怖心が芽生えた。

 

「今日も……やっぱり誰もいないか……。」


 誰もいない部室に足を踏み入れ、いつもは森部長が座っている黒皮の椅子に腰を下ろす。


 初めてこの部屋に足を踏み入れた時、窓から見える桜は春の光を受けて燦燦と咲き誇っていた。あれから一か月以上が経過し――桜はこれからくる夏に向け、瑞々しい新緑の若葉が萌えている。


 クラスでは相変わらず馴染めていないものの、それでも学校に通うのが毎日楽しいと思える。それは間違いなく、文芸部で過ごす時間を何よりも楽しみにしていたからだ。文章を書く行為も好きだが、それよりも文芸部の面々とわいわい過ごすこと、自分の居場所が感じられるほっとできる空間、太宰にとっての大切なものはそこにあった。


 ぼんやりと窓から差し込むオレンジ色の光を眺めていると、人の足音が聞こえてきた。優雅に散歩するような小気味のいい足音が、文芸部の部室の方へとだんだんと近づいてくる。


「……っ!」


 文芸部の誰かが来たのかもしれない――太宰は椅子から立ち上がり、期待を込めて部室の入り口を見やった。


 部室の扉を軽やかにノックする音が響きわたる。そして木の軋む音をあげながら、ゆっくりとドアが開かれた。


「あれ……誰もいないのかな?」


 扉の隙間からひょこっと顔を出したのは、見慣れない眼鏡をかけた男性であった。薄い青色のスーツを纏い、手には大きな黒のビジネスバックを下げている。年齢は二十歳中頃くらいだろうか。硬そうな髪を額の丁度真ん中でぱっきりとセンター分けし、小奇麗で仕事のできるセールスマンといった印象であった。


「どちらさま……でしょうか?」


 おそるおそる太宰は、そのセンター分け男に声をかけた。男は太宰の姿を視界に入れると、少し驚いたように口を開いた。


「おっ、なんだ。君は文芸部員かい? もしかして新入生とか?」


「は……はい。そうですけど……。」と太宰は頷く。


「そうか、申し遅れたね。私はこの文芸部のOBの内田百間うちだひゃっかんという者だ。」


「OB……ってことは、ここの卒業生……。」


 太宰はどうして文芸部OBの男がやってきたのかという疑問とともに、失礼がないようにしなければ……という焦りが浮かんだ。


「お、お茶でも……淹れましょうか……? あと……お菓子も……あっ、でも森部長の置いてるバカみたいに甘ったるいチョコしかない……。」

              (※森鴎外は極めて甘党だったらしい。)


 ややテンパった様子でもてなそうとする太宰を、「いや、そんな気を遣わなくていいさ。」と内田は押し止めた。


「いきなり来てすまないね。芥川にちょっと用事があったんだけど……。」


「芥川先輩ですか……?」


 意外な名前が出たことに、太宰は驚きの表情を示した。この内田という男と、芥川との間に一体どんな繋がりがあるのだろうか。その心理を読み取ったように、内田は自身と芥川との関係性を教えた。


「俺と芥川は、二人とも夏目先生の弟子なんだよ。俺の方が歳も上で先に弟子入りしたから、まぁ芥川の兄弟子っていうところかな。」

      (※内田百閒と芥川龍之介は、共に夏目門下であった。)


「芥川先輩の……兄弟子……。」


「証拠もあるぞ? ほら、これを見てみなよ。」と内田は白い上質紙で包まれたものを広げた。中には一センチ程度の短い毛が、十本ほど綺麗に並んでいる。


「……なんですか? これ?」


「これは夏目先生の鼻毛だよ。あの人は暇な時、鼻毛をぷちぷち抜くんだ。ほら、金毛も混じっているだろ?」

      (※内田百閒は、師である夏目漱石の鼻毛を大切に持っていた。)


「こんなの見せられても……誰の鼻毛かなんてわかりませんよ! 別に疑ってないですから、早く仕舞ってください。」


 太宰があまりお気に召さなかったことに、内田は少し不服そうな顔でいそいそと鼻毛を紙に包み直し、大事そうにしまいこんだ。


「そろそろ文豪新人賞の締め切りが近いから、あいつまた無茶してんじゃないかと思って来てみたんだが……。今年は大丈夫だろうか。」


「そ、そんなに無茶するんですか?」


「あぁ、長編から短編まで合わせたら、去年あいつは100本近い数の作品を応募してるからな。」


「えっ!? 100……ですか……? 私なんか、まだ一つもちゃんと完成させたことないのに……。」

 

 太宰は信じられないといった様子で、ぽかんと口を開けた。年間100という作品を一つの新人賞に応募するというのは、常人には考えられない数である。短編ならできなくはないとしても、それでもなかなかに常軌を逸している。


「あいつは変人だからな~。まぁさすがに毎年全て新たに書き下ろしているというわけじゃない。駄目だったものを書き直して、もう一度応募してるものもある。それでも、ぶっ飛んだ数字だよ。」


「一体……どうしてそこまで……? 芥川先輩、食堂のお金ケチるくらい貧乏らしいですけど、そこまで1000万円が欲しいってわけでもないでしょうし……。いや、でもよく、私のお昼を物ほしそうな目で見てるし……」


「君、意外と毒舌だね……。」と、内田は困ったような笑みをこぼした。


「まぁ芥川が文豪新人賞にこだわる理由は――単純に夏目先生や俺の跡を追いたいってところだと思うけどな。夏目先生は大賞をとってデビューし、俺も大賞には届かなかったが、最優秀賞をとってデビューした。」


 なるほど――師匠と兄弟子の通った道を、自分も同様に歩みたいと思うのは理解できる心理だ。それは目指すべき志か、架された試練なのか、どう捉えているかは芥川本人にしかわからない。


「芥川先輩も……その跡を追ってる……。」


「そうだな。去年、芥川は最終選考一歩手前で駄目だった。今年は何とか入賞してほしいものだが、こればっかりはわからない。創作ってものは、所詮は人力を尽した後、 天命にまかせるより仕方はない。」


「……。」


 太宰は、必死になって小説と向き合っているであろう芥川のことを思い浮かべた。


 闇を抱えて生きていた幼い彼に、小説という一筋の生きる希望を与えた夏目先生。その先生が大賞を受賞し、兄弟子もまた最優秀賞を取ったという新人賞――。


 芥川は文芸部でも良識のある常識人で、根が真面目であることは短い付き合いでも分かる。そんな彼がどんな想いで、今回の賞に取り組もうとしているかは想像するに難くはなかった。切実に受賞を願い、毎日机に向かって書き尽くし、また書き尽くしても気が済まないのだろう。


「……形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかもしれない。」


 内田のぽつりと呟いた言葉に、太宰ははっとした表情で顔をあげた。その様子を見た内田は柔らかな笑みを浮かべた。 


「君も芥川を心配してくれてるんだね。だったら――まぁ大丈夫だろう。」


「さっきの言葉、芥川先輩が好きな夏目先生の言葉だって……。」


「あぁ、そうだったね。ちなみに俺は、夏目先生のあの言葉は嫌いだ。」


「えっ……。」と芥川は驚いた。弟子という者は、本来師匠の言葉を全て肯定するものだと思っていたからだ。


「もちろん、夏目先生は好きで尊敬してるけどね。でも、あの言葉だけは解せない。だって作品が残っても、自分が消えたら意味ないじゃないか。俺はそこまで高尚ではないのだよ。俗物的で結構結構――。師の言葉は大事だが、それを全て鵜呑みにするだけじゃ師は越えられない。」


 内田の言葉には、確かに師である夏目に対する尊敬が込められていた。それと同時に、互いに一人の小説家としてのライバル意識に似た想いもまた感じられた。


「お嬢さん、芥川が雲の霞に消えてなくならないように任せたぞ。」


「えっ、わ……わたしがですか!?」


「夏目先生は基本放任主義だ。そして今の三年の二人は頭が固いし、逆に芥川の同期の二人はふやふやに柔らかすぎる。というわけで、君に頼んだよ。」


 内田は太宰の肩をぽんっと叩き、左腕に嵌めている実用性が高そうなオメガの腕時計を眺めた。


「そろそろ編集者が俺の居場所を嗅ぎ付ける頃だ。どうも俺の居所はGPSで探知してるらしい。」


「GPS……?」


「あぁ、売れっ子作家になるとだね……悪の組織――出版社に捕まって、身体にGPS発信機を埋めつけられるのだよ。」


「……まじですか!?」


「ははは、冗談だ。兄弟子から、『まぁあんまり無茶するな』という伝言だけしといてくれ。頼んだぞ。」


 一方的にそう告げると、内田は黒いビジネスバックを持ち、「アデュ――!」と去っていった。


「えぇぇ……。何だったの……あの人?」


 呆然と一人立ち尽くす太宰を憐れむように、夕空を舞う鴉が物悲しい鳴き声をあげ、豆腐屋の笛の音が遠くから聞こえてきた。

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