006 桜の下には死体が埋まっている!
八分咲きだった桜の開花もピークに差し掛かり、土曜日の桜森公園は花見客でにぎわっていた。焼きそばやりんご飴などの露店が立ち並んでおり、芝生の上では人々がレジャーシートを敷いて宴会を楽しんでいる。
公園内で一番大きな桜の木の下に、大きなブルーシートが陣取ってある。芥川が早朝から陣取ったその一等地では、文豪高校文芸部員たちが宴会を始めようとしていた。
「それでは――新入生の太宰くんの歓迎をこめて、花見を始めたいと思う。」
文芸部の全員が集まった後、森部長が乾杯前の挨拶を始めた。森部長は普段の制服とは違い、目が粗い灰色の木綿の和装をしていた。制服を脱いでしまうと、最早完全に中年のおじさんにしか見えないが、和装の方がしっくりときている。
「土曜日にみな集まってもらい感謝する。夏目先生は本日仕事のため参加できないが、金一封を預かっている。後日またそれぞれお礼を言っておくように。また芥川くん、早朝から場所取りご苦労だった。」
「いえいえ。俺が一番ここから家近いですからね。」
芥川は朝の七時すぎに場所取りに来ていた。無事に場所取りを終えた後、三時間ほど寝っ転がって本を読んでいた。春の心地よいい風に吹かれ、桜の木の下で読書するのは中々悪くない時間だった。
「それでは、乾杯の音頭を川端副部長にお願いする。」
乾杯の音頭をとる川端副部長は、藍色のトレンチコートにチェックのストールを巻き、下は白いデニム生地のパンツ姿だった。いつも目を細めており、微笑を浮かべているように見える。なお、彼女の機嫌を損ねると爬虫類的なぎょろっとした目が開眼する。(※川端康成は目力の圧が強い。)
「みなさん、グラスをお持ちください。」と川端は部員たちに呼びかけた。
グラスというには、いささか安っぽい紙コップを手に持った。中にはオレンジジュースやら、コーラやら持ち寄った飲み物が並々注がれている。
「乾杯――!」
乾杯後はしばしの歓談が続いた。それぞれ花見の為に、様々な飲み物や食べ物を持ち寄ってきていた。
「芥川先輩っ! これ、とっても美味しいんですよ。」
「何これ? 電気ブラン……?」
(※太宰の小説『人間失格』の中で登場する酒。)
太宰の手には、カラメル色の液体が入ったガラス瓶があった。ラベルにはDENKI BLANと書かれており、封を開けると何やら甘ったるいブランデーの香りがした。
「太宰さん、それは没収です。」
川端副部長の目が開眼した瞬間だった。爬虫類的なぎょろっとした瞳に捉えられ、太宰の持ってきた電気ブランはあえなく没収された。
「……うぅ、川端副部長。……厳しいなぁ。」
「いや、まぁこのご時世だし、未成年はアルコール駄目だよ。」
落ち込んでいる太宰を、芥川はやれやれといった様子で眺めた。川端副部長に没収を喰らったのは、太宰だけではなかった。
重度の中二病を患った男、中原中二はいそいそとカバンの中から黒いお重箱を取り出した。
「天界の神々をも唸らせた至極の料理人であるこの俺様も、今日のために腕を振るってきてやったぞ。」
封印を解くように、中原は重箱の蓋を開封した。重箱の中には、何やら焼肉屋でよくみる生肉のユッケのようなものが入っていた。
「グリモワールの魔術書に記されし、悪魔のレシピを再現してみた。シェフの気まぐれ
「中原くん、それも没収します。」
「WHYッッッ!!???」
川端副部長は容赦なく、中原作「
「いや、弁当で生肉はマジで阿保だろ。」と芥川は辛辣に言い、「春先とはいえ、お腹壊しそうです……。」と太宰もまた顔をしかめた。
結局、森部長が買ってきたオードブル、谷崎が作ってきたおにぎりを主食に、その他お菓子やお団子などをつつきながら、一同は花見を楽しんだ。
お昼を食べて腹も膨れた頃、谷崎がふと思い出したように口を開いた。
「そーいえばさ~、去年の花見の時、この桜の樹の下に変な人いたの覚えてる?」
変な人……といえば、この部内も変人だらけであるのだが、去年の花見といえばあまりに強烈で、猛烈に荒々しく頭のおかしいおっさんがいた。
「あぁ、そういえば。中原と同じくらい変なおっさんがいたな。」と芥川は言った。
「っはぁ!? さすがにあのおっさんほどは変じゃないだろ!?」
中原はあのおっさんほどではないものの、多少は自分も変であることを認めた。しかし、本当の狂人は自分がおかしいことに気が付かない。自己を客観的に見ている分、中原は本当はわりと普通の人である。
話についていけていない太宰を察し、森部長が昨年の出来事を説明した。
「あれは――今日のような穏やかな春日和であった――」
以下――回想シーン
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「……舞え、千本桜。」
中原がそう言った瞬間、彼を中心に桜吹雪が舞い上がった。中原の足元では、谷崎が必死にパタパタと団扇を振っている。
「お、お前……死神……っ!?」と、芥川は驚愕の表情を示した。
「千本の桜の花びらが、お前を斬り裂く――安らかに死ぬがいい。」
その瞬間、大量の桜吹雪が芥川に襲い掛かった。大量の桜の花弁が、芥川の周囲を取り囲む。その足元では、谷崎が必死に芥川に向かって団扇を振っていた。
「ぐはっ――!?」
芥川は口から真っかな血(オードブルに付いてたケチャップ)を流し、がくりと地面に膝をついた。
こうして一発芸を無茶ぶりされた一年生たちの寸劇は幕を閉じた。
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「何ですか、今の回想――」と、怪訝な顔で太宰は尋ねた。
「おっとすまん。去年の一年生たちの一発芸の回想を始めてしまった。」
森部長は悪びれない様子で、後頭部をぽりぽりと掻いた。一発芸なんてその場のノリでやるもので、わざわざ回想するようなものではない。
「芥川先輩も、意外とノリノリでしたね。」
「えっ、いや……そんなことは……。」
「でも、『お前っ……死神……っ!?』って言ってましたね。よく寸劇でそんな中二っぽい台詞でましたね。中々そんな言葉でないですよ?」
太宰にマウントを取られ、芥川は恨めしい目で森部長を眺めた。
「……もういいです。俺が回想を続けます。」
以下――回想シーン。
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文芸部が宴会を繰り広げていた傍の桜の樹下に、いつの間にか一人の男が立っていた。黒のシルクハットを深めに被り、春先にはぶ厚すぎる黒いコートを羽織っていた。
幽霊のように何の前触れもなく現れた男は、狂ったように咲き誇る満開の桜をしばらくじっと無言で眺め続けていた。
そして突然、急に何か大切なことを閃いたかのようにハッと息を飲み、「桜の樹の下には、死体が埋まっている!」と叫んだ。
「な、なんだ……あのおっさん……。」
芥川は目を見開きながら、思わず後ろに後ずさりした。同じく中原も目を見開き、驚きの表情を示す。
「あのおっさん……黒のハットとマントカッコいいな……。」
「いや、そこじゃねぇだろ。」
芥川と中原の声に気づいたのか、シルクハットの男は、文芸部員たちの方へと向き直った。
どっからどう見ても危ない人の可能性が高い。この男が突然襲ってきたとしても対処できるように、芥川と森部長は腰を上げて身構えた。
シルクハットの男は、口元を歪めてニヒルな笑みを浮かべた。
「おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。」
「何言ってるんだ……あいつは……。」
芥川は男の言葉の意味が全くわからなかったが、その言葉が自分に向けられているような気がしてならなかった。何とも言えない不安感を覚え、背中につっと冷汗が流れる。
「冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。」
「……っ!?」
芥川は自分の思考を読まれた気がした。それとも同じ感覚が男に伝わったのだろうか。身体のすみずみの神経一本一本にあたるまでの感覚、脳のニューロンまであの男と共有しているような錯覚を覚える。
シルクハットの男は文芸部員たちから背を向けると、頭上の桜を仰ぎ見ながら「それで俺達の憂鬱は完成するのだ。ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と言って立ち去っていった。
男の姿が完全に消え去るのを見て取ると、芥川は大きく一つ息をはいて天を仰いだ。張りつめていた緊張感がふっと緩み、夢から現実に引き戻されるような感覚がした。
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「――と、こんなことがあったんだ。」
芥川が去年の花見での出来事を語り終えると、太宰はとても難しそうな顔を浮かべていた。
「桜の樹の下に……死体ですか……。どういう意味でしょうか。」
太宰の問いに、正確に答えられる人物は誰もいなかった。おそらくこの問いに答えられるのは、あのシルクハットの男だけだろう。
「ただの狂人だったか、それとも私たちの理解のはるか上を行く高次の詩人だったか。」と、森部長は言った。
あのシルクハットの男が今年も現れるのではないか――という期待は無駄に終わった。今年の花見の間、シルクハットの男は一切姿を現さなかった。
花見の宴も終盤に差し掛かった頃、谷崎は思い出したかのように「あっ、そういえば~太宰ちゃんも一発芸してよ~!」と無茶ぶりな発言をした。
「えぇっ! な、なんでそんな事しないといけないんですかっ!?」
慌てる太宰に対し「そういえば、毎年新入生は花見で一発芸をする慣習ね。」と、川端副部長は目を細めた。
「そんな~助けてください~!」
太宰は芥川へ助け舟を求めた。可哀そうな後輩を助けてやろうかと一瞬思ったが、先ほど自分達の過去の寸劇でマウントを取られたことを思い出した。
「うん――がんばれ。」と太宰の小さな肩を叩いて送り出す。
信頼していた先輩にも見放され、心細そうに太宰はぽつんと立ちすくんでいる。
「……。」
しばらく下を向いてもじもじしていたが、意を決したように太宰は顔をあげた。
「わかりました。これからどんな言葉もネガティブな言葉に変換しますので、私に何か言ってみてください。」
普通はポジティブに言い換えるのでは――という突っ込みを、芥川はぐっと飲み込んで我慢した。
観客を巻き込むライブ型の余興は、一体感を持って取り組めるため上手くいけば盛りがるが、即興でやる分その難易度は当然高くなる。しかし、太宰はネガティブに変換することに関しては、見事一切の間もなくやり遂げた。
「っじゃあ~、”イケメン”!」
「外面だけ良くて中身がないヤリ〇ン!」
谷崎の言葉に対して、コンマ数秒ですかさず太宰はネガティブな言葉に変換した。
「おぉ~、5G並みの速さだな。」
面白がった部員たちは、次々と太宰に言葉を投げかける。
以下――太宰が言い換えたネガティブワード一覧
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「社交的」……作り笑顔とおべっかで塗り固めた性悪
「学問」……覚えると同時に忘れてしまってもいいもの
「前向き」……リスクヘッジできない無責任な能天気
「教師」……公務員という肩書に守られている専門職(笑)
「随筆」……何が言いたいのかまとまってない日記
「おにぎり」……手の雑菌まみれの米の塊
「優しさ」……不良が偶に見せると、これまでの悪事を帳消しにできるもの
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「面白いな~! もっとやって~」
「ふむ、中々の特技と認めざる得ない。まぁ俺ほどではないがな。」
ネガティブと言うよりほとんど悪口だが、その芸を谷崎と中原はかなりお気に召したようだ。
「おいおい、もうそれくらいしとけよ。ネガティブに言い換え続けるのは、あまり精神的にもよろしくない。」
芥川が止めに入ったところ、谷崎が「えぇ~、ッじゃあ最後に一個だけ!」と太宰に頼み込んだ。
「えっと……まぁいいですけど……。」
ネガティブワードを瞬発的に生み出すため、太宰は頭を回転させ続けて少し疲れた様子だったが、思いのほか場が盛り上がったことにまんざらでもない様子である。
「それじゃあ、最後のお題は――芥川龍介!」
「おい、谷崎こら。」と芥川は言いながら、自分がどうネガティブに変換されるのか少し気になった。それはつまり、後輩からの芥川に対するイメージと相違ないからである。
太宰はこれまで、脊髄反射的な速さでネガティブワードへ変換していたが、今回ばかりはどうもネガティブに変換できないようであった。
「あれ? 先輩だからって気にしなくていいんだよ~」
「……うぅ。」
頭を抱えて戸惑う太宰を見て、川端副部長は冷静に指摘した。
「気を遣ってるのではなく、単純にネガティブに変換できないのでは?」
「……っ!」
太宰はその指摘にびくっと肩を震わせた。どうやら図星だったようだ。
「えっ? なんで――」と中原が問おうとしたが、谷崎がそれを押しとどめた。
「ふむふむ~、なるほど~。」
太宰の頬がわずかに染まるのを、ラブに鋭い嗅覚を持っている谷崎は見逃さなかった。彼女曰く、恋する乙女のそれと、ただ恥ずかしいから頬を染めるのでは大きな違いがあるらしい。
「何がなるほどなんだ?」
「さぁ? 俺が知るかよ。」
ラブに対して鈍い芥川と中原は、互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「もう……恥ずかしい/// ちょっと死んできます~っ!」
集まる視線に耐え切れなくなったのか、太宰は裸足のままブルーシートを跳びだして桜の下を駆けだした。
狂い咲く桜を見ると、人はおかしくなってしまう事があるらしい。桜に狂わされるおかしな人々を、桜の花に隠れていたウグイスが馬鹿にするように鳴き声を上げた。
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