005 食堂にはぼっちの憧れが埋まっている。
空高く昇った春の日差しが窓から差し込む昼休み――昼食の弁当を取り出そうと、芥川はカバンのチャックを開いた。
カバンの中には、教科書やノートなどの学習物よりも、読みかけの小説の方が多く入っている。乱雑なカバンの中をがさごそとしばらく物色したが、お目当ての弁当が見つからない。
「あれ……? あっ、しまった――今日は弁当ないんだった。」
普段は芥川の叔母が毎日弁当を作ってくれるのだが、今日は地元の高校の同窓会があるらしく、叔母は朝早くから出かけていったのだった。
(※芥川龍之介は、叔父叔母夫婦の家で育てられた。)
「仕方ない、久々に食堂行くか。」
いそいそと食堂へと向かうと、その入り口に見知った少女を発見した。先日、文芸部に入った新入部員の太宰である。入り口付近をうろうろし、食堂の中をちらちら覗きこんでいる。
「……何してんの?」
「っふぇ!? あ、芥川先輩っ!? な、なんでっ――」
まずいところを見られたというように、太宰はあからさまにわたわたと取り乱していた。その様子を芥川は困ったように見守っていたが、しかしいつまでもわたわたとし全く埒が明かない。
「入口で止まってたら迷惑だから、とりあえず中入ろうぜ。」
混乱して立ち止まったままの太宰の背中を押し、近くの空いている席へと二人は腰を下ろした。
「それで、入り口で立ち止まって何してたの?」
「そ……それはですね……」
太宰は非常に恥ずかしそうに、食堂前でうろちょろしていた理由を説明した。
「――はぁ? 食堂でご飯が食べたかったけど、一人だと入りづらかった?」
太宰の述べた理由に、芥川は意味がわからんという表情を浮かべた。
「いつもは……登校前にコンビニとかでお昼買ってくるんですけど……、今日は遅刻しそうだったから、買えなくて……。」
「別に一人で食えばいいだろ?」
「嫌ですよ。食堂はパリピなイケイケ連中たちの巣窟ですよ? 一人で食堂行くとか、裸で戦場を突っ走るようなものです。いじめの標的として、為すすべなくあっという間に狙い撃ちされます。」
「だったら、クラスの友達でも誘えばいいじゃん。」
「うぅ……だって、私……クラスに友達……いないですもん……。ぼっち……、そう。私は孤独なお一人様……。」
半泣きになりながら、太宰は恨めしそうな目で言った。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。結構見えてる地雷だったのに、これは明らかな芥川のミスであった。
「おっ、おう……。それは……なんかごめん。」
芥川は何と声をかけてやればいいかわからず、とりあえず謝罪の言葉を述べた。尊敬する先輩から可哀そうな目で見られたことに、太宰はさらに傷ついたらしい。
「あぁっ~! もうぼっち恥ずかしいっ! ちょっと死んできますっ!」
(※太宰は死にたがりの傾向がある)
「おいっ!? こらっ、待て待て……! いいから落ち着けよ。」
食堂の厨房内にある包丁へ手を伸ばそうとする太宰を抑えこみ、泣きわめく彼女を引きずって何とか再び席に着かせる。
「……クラスに友達がいないのはわかった。でも、それなら文芸部の誰かに連絡でもして、昼飯誘えばいいだけじゃないか。」
芥川の提案に対し、子供が言い訳をするように、太宰は目の端に涙を浮かべながら言った。
「だって~っ! 私まだ誰の連絡先も知らないですもんっ! 芥川先輩のいじわるっ!」
芥川はなぜ自分が怒られてるのかよくわからなかったが、とりあえずこの場を収めるには、自分の連絡先を教えるべきなのだろうと理解した。
「とりあえず……俺のでよかったら、連絡先交換するか?」
「えぇっ、いいんですかっ!?」
(※太宰治は芥川龍之介の大ファンだった)
先ほどまでと打って変わり、太宰は目を爛々と輝かせて、しゅばばっと自身のスマホを取り出した。
「お、おう……」と、若干引き気味に、芥川はスマホを太宰へと差し出す。
連絡先を交換し終えると、太宰は嬉しそうに芥川の連絡先が登録された画面を眺めていた。
「あのっ、毎日連絡してもいいですかっ!?」
「えっ、いや……まぁ何か要件があるなら、別にいいけど……。」
「えへへっ! やった~っ!」
満面の笑みで喜ぶ後輩の姿を見て、何だかよくわからないけれど、まぁいいか――と芥川は食券を買いに席を立った。
「ちょっと、待ってくださいよ! 私も買いに行きます!」
芥川の後ろを子犬のように太宰はついて行く。どうも随分と懐かれてしまったらしい。後輩に懐かれること自体は悪い気はしないが、彼女といると悪目立ちするのが少しだけ難点である。
「食堂の券売機で食券を買う……憧れでした。」
「憧れ?」
「そうですよ。高校生になったら、食堂でランチとかみんな憧れますよ。おばちゃんにごはん大盛りにしてもらうとかもポイント高いです。」
芥川は、何言ってんだこいつ――と思いながら、嬉しそうに日替わり定食のメニューを確認する太宰を眺めた。
「ふーん、ごめん。よくわからん。」
「なんでわからないんですか? 食券を賭けて、テストの成績で友達と勝負するとか……。あっ、友達いないから……わたしもわかんないや。もう、死のう。」
「おい、こら。自分で仕掛けた地雷踏んで死のうとするのはやめてくれ。ほら、お前の憧れの食堂の券売機だぞ。いいから元気出せ。」
目からハイライトが消え、虚ろな瞳になりかけた太宰だったが、食券を購入すると再び機嫌を取り戻したようだ。大事そうに太宰は食券を握りしめている。
「芥川先輩って、普段から食堂なんですか?」
「いや、今日はたまたまだよ。」
「えぇ~! それじゃあ、一緒にご飯食べれないじゃないですかっ!」
「いや……、毎日食堂はさすがに金が持たん。太宰だって金がやばいだろ?」
何気ない問いのつもりだったが、一瞬だが太宰から張りつめた空気を感じた。
「えっと……。うちは大丈夫です。結構実家はお金もちなので……。」
実家が金持ちというのは、一般的にはいいことだ。しかし、それが幸せだとは限らない。毎日食堂で食べれるだけのお小遣いの多さは、与えられる愛の大きさとは比例しない。一概には言えないが、むしろ手作り弁当を作ってくれることが、大きな愛といえるかもしれない。
「そうか……。まぁそれなら――俺がこれから食堂で弁当を食べるってことで、いいんじゃないか?」
その言葉の意味をかみ砕くまで、太宰は一瞬の間を必要とした。そしてそれが、自分にとって最大級の喜ばしい提案の可能性に気が付いた途端、太宰は前のめりになって認識の確認をとった。
「えっ!? ということは――、これからは芥川先輩が、毎日私と一緒にお昼を食べてくれるってことですか?」
100ワットの電球が眼球の奥に差し込まれているかのように、太宰はきらきらとした瞳で期待を込めて言った。その眩しさに思わず芥川は目を覆ったほどである。
「可哀そうな後輩のためなら、お昼を一緒に食べるくらい大丈夫だ。」
「本当ですかっ! やったー!!」
両手を上げて、太宰は万歳のポーズで喜びを露わにした。
「あっ、そうだ――」と、芥川はふと思いついたように言った。
「俺だけじゃつまらないだろうし、中原や谷崎とか、部長たちにも声かけとくわ。」
「えっ……。」
声にならないような小さく漏れた太宰の「えっ……」に対し、芥川もまた「……え?」と疑問符をつけて返した。
「あっ、いえ……何でもありません。」
「うん……? ならいいんだけど……。あっ、おばちゃん、ご飯大盛りでお願いします。」
芥川には聞こえない声で、「二人っきりでも……よかったんだけどな……」と太宰は小さく呟いた。
そんな微妙な乙女心などは露知らず、芥川はセルフサービスの味噌汁をお椀に注いでいた。
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