20『prima dynamis』
──部屋を見ろ。
跳ね起きた。脳内に直接響く、最悪のモーニングコール。一三九番──忘れもしない虎狼狸の声。テレパシーのチャンネルを乗っ取ったのか。
ベッドから飛び出し周囲を警戒する私に、馬鹿にしたような虎狼狸の笑い声が届く。時刻は深夜一時を回ったところだった。
廊下に出て、ココたちの部屋へと走る。入ると、窓が開け放たれていた。窓枠から身を乗り出していた鏡花が、弾かれたようにこっちを向いた。瞳に、動揺の色が揺れていた。ベッドに──ココの姿がなかった。
──返してほしけりゃ捜してみろ。色々嗅ぎ回ってくれてんだろ?
舌打ちを一回。鏡花に背を向けたところで。
──ああ、ところでよ。この文化遺産みてぇな庭。入場料取られんのか?
心臓を、鷲掴みにされたかのような。
これ──文化財とかに指定されてないわよね?
あの、つくしちゃんのこと、信じてあげてくださいね。
──この前は選べなかったろ? 相棒か
ココか、しずりちゃんか。
躰ごと振り向いた。鏡花に近付いて、二の腕を掴んで引き寄せた。
「絶対家を出ないで。他の皆も絶対家から出さないで」
晶は──顔が見えないけど、多分寝てる。この非常時に豪胆で助かる。
鏡花の肩を二回軽く叩くと、返事を聞くより先に、私は部屋を出て行った。
戦闘服のレインコートに袖を通しつつ家を出ると、すでに既来界だった。
フィンガースナップ。虚空から煙と共に現れた腕時計を装着。
──シャロ。ココが虎狼狸に連れて行かれた。しずりちゃんも危ない。時間を稼いでるうちにヤツを見つけないと。
言った傍から、腕時計を通して手首に地図が投影される。これは──。
──ささめ君を襲った
──フルグライトって?
──錬金術師の工房だよ。詳しいことは省くが、虎狼狸がこちらのチャンネルを乗っ取ることができたのも、フルグライトのおかげだろう。
──それって、このテレパシーも盗聴されてるかもしれないってこと?
──ああ。だが、こうなった以上やることは変わるまい。
シャロの声は、いつも通りけろりとしている。こういう状況下では、この度を越した冷静さがむしろありがたい。
──わかった。先に行ってる。シャロはまず、しずりちゃんの家に向かって。
──承知した。安全を確保でき次第、ささめ君を追おう。
フードを被って、クロスバイクに跨る。ベルトのケースに入ったプリペイド携帯に触って、ふと──考えてしまう。
今度は、撃てるだろうか。
ハンドラーと契約ギノーは、運命共同体。私が死ねばシャロは死ぬ。シャロはまだベストコンディションじゃないって言うのに、躰を張ってくれている。今さら敵の報復にビビって、ここぞってときにトリガーを引けない私に、命を預けるだなんて──。
「うっざ!」
蹴飛ばすような勢いで、ペダルを漕ぎ始める。怖い。そりゃ滅茶苦茶怖いけど、怖いって感情じゃん。湧いて出るもんじゃん。だったら、どうしようもないじゃん。
何より、ココとしずりちゃんは生きてる。シャロだって生きてる。
だったら、それしか考えるな。他は──全部後回しだ。
※
銃声。肘から先が跳ね上がった。手を離れた
二発目。がくりと膝が折れた。迫る銃床。殴打された。額が裂け、びゅるりと血が出た。受け身も何もなく、ただ転がった。
左側が、よく見えない。額から流れ出る血が目に入っている。
上体を起こすと、こめかみに銃口を押し付けられた。同じ感触が後頭部にもあった。
銃は──「半」と表示された光の
視界には、あのガスマスクが四体。うち二体の右手が「丁」の立方体に消えていた。
すなわち、ガスマスクたちはココの正面にいながら、手だけを空間転移させて彼女の死角から銃を突き付けているのである。
どうして〈ウインチェスターキューブ〉が、トーマのワンノートが使える?
──〈
湧いた知識によって、知る。
トーマのワンノートは、二つではなかったのか。
驚きましたよ──とディスプレイに映るトーマが言った。そう、錆付いた額縁の、壁に備え付けられたディスプレイに映っている。声も合成音声の類ではない。ただの機械ではギノーを捉えることは敵わないはず。ココの知らない技術だった。
「いや、何としてでも突き止めるだろうなぁとは思ってたんで。辿り着けたこと自体には
トーマが憐れむような目で、少し笑った。
「俺は卑怯者です。だが、嘘つきは
トーマが上を向いて、息を吹いた。何かを──告げる意思を。固めているようだった。
「大野木つくしを殺したのは俺です」
──え?
撃ち殺したのは俺ですとトーマが断言した。
思い出されるのは、佐竹の言葉。俺が見たとき、つくしは血だらけでした。
「一つはあの娘に見られたからです。あの娘は、俺が狸とつるんでた頃を知っている。もし、貴女とつくしが秘密を分かち合える関係になったら、あの娘はそれをバラすでしょう。あの瞬間──山ン中をフラフラしていたあの娘を見た瞬間、俺をそれを恐れた。同時に今しかないと思った。だから、撃ったんです」
秘密を分かち合える関係になったら?
それは──どういう。
「すっとぼけたフリは
カイジューだったというのか。自分と同じで。だから、あんなことを訊いた。人間に成るために、どうしたら。
「何の罪もない。何も知らない被害者じゃない。大野木つくしは、巻き込まれるべくして巻き込まれた」
巻き込まれた?
「貴方が──殺したんでしょう?」
それなのに、よくもそんな。
トーマが、苦々しい表情を浮かべる。
「あの娘は、近いうちに貴女を殺すかもしれなかった」
──つくしちゃんが、ついて来たいと言うなんて珍しい。
「何もあの日、あの瞬間そうだったとは言いません。ただ、あの娘から仕掛けることは十分にあり得た。だから、先手を打ったまでです」
理解が、ちっとも追いつかない。つくしがあの日自分を殺そうとしていた? そんなこと、あり得るわけがない。
「信じてほしいと願っても、信じてくれと
「どうして──」
やっとのことで、絞り出せた声。
「どうして、ボスまで奪おうとするの?」
「奴は、確かに貴女の身を案じている。いざとなったら、身を
映像が左右に分割される。右側は監視カメラから
「今、ようやく捕まえた」
ボス。
──貴女には、もう恐怖を抱かせたくはない。
二つの撃発音が重なった。どちらもココの頭を撃ち抜く音ではなかった。
ガスマスク二体の手首は、それぞれココに掴まれていて──放たれた銃弾はココの足元を抉っていた。二体の首が、赤い稲光を帯びる。閃光が小さく咲いて、ガスマスクの頭部が落ちた。
脇の下まで掌を引き、一八〇度の
「な──」
ココは、目を疑った。壁が崩れた瞬間、後ろからも同様の音が響いていた。
壁には──穴が開いている。向こうには。
白いマウンテンパーカーを着たココの背中が見えている。
「三次元トーラスってヤツでしたっけ? お得意のゴリ押しじゃどうにもなりませんよ」
直後、脚に痛みが集まった。前のめりに倒れるココ。足を撃たれたのだとわかったが、何発着弾したのかまではわからなかった。
血肉ではない、ヒヒイロゴケでできた脚──回復力こそ尋常ではないが、痛みはある。熱や重さは蓄積する。
「ああ、考えてみれば、
さあ、肚を割る時間と行こうぜ──と冷たい声でトーマが告げた。
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