16『Home』

 学校は休むことになった。

 つくしがいなくなって、そのショックからあんな音を聞くようになって、それがまやかしだってわかってるくせに癒されている自分が厭になって、とりあえず距離を置こうと泉子もとこの家に転がり込んで、そこで散々甘やかされた帰り道、傍から見れば田んぼで泥遊びに興じてたんだから、そりゃまぁ心神が衰弱してると解釈されても仕方がない。

 実際──衰弱はしてるか。

 リビングのソファに寝転んで、何をするでもなく天井を見ている。

 部屋にいるって選択肢は、最初からなかった。きっと、あの音がする。かといって、ここもくつろげるかと訊かれたら正直微妙だ。


 だって──つくしの遺影が置かれている。


 布を敷いた小さなテーブルに、あの娘の写真があって、お花やお水が供えてある。仏壇っていうよりは、いなくなってしまったあの娘のスペース。

 上手く言えないけど、とにかく視界に入れたくなかった。

 そうだ。そもそも私に相談しない方がおかしい。つくしの遺影をリビングに置くなんて、勝手に決めて──。

 いや、勝手じゃないか。相談は、されていたか。


「意見なんて──言わなかったわね。そういえば」


 時計に目をやって、もうじきかな──と思う。再び目線を天井へと戻した。

 一時間程前、今日は一六時からお客さんが来るから出迎えてあげてとまこに言われた。それだけ伝えて出て行ったまこは、服装がガーリーな感じじゃなく大人しめだったので、多分仕事に行ったんだろう。いや、職業柄別にガーリーでも支障なくないって思うけど。

 着る服によってやっぱり人の気持ちって変わるから、あれはまこにとって制服みたいなものなんだろう。

 大野木まこ。家に来た友だちは、まこを見て、皆同じことを言う。

 理想のお母さんっていうより理想のお姉さん。

 私だって、そう思う。いや、確か匂坂さきさかだけは、変わったことを言っていたか。


 ──ココちゃんと同レベルで重症っていうか、天然モノっぽいよね。あと、お母さんって顔にケガしたことある? 手術するくらいエグいヤツ。えっ、ううん、知らないならいいんだけどねー。全然。 


 一体──何が言いたかったのか。何にせよ、アイツは二度と家に呼ぶまい。まあ、ココが呼んじゃうかもしれないけどさ。

 私のいた一時保護所では、そこを出たあと保護されていた者同士で連絡先を交換することは禁止されていた。だから、私とつくしは本来なら別々の家に引き取られていくはずだった。

 なのに、こうして一緒の家で、義姉妹しまいとして。


 ──玲市兄逆玉だもんなぁ。


 単にデリカシーがないのか、口が滑ったのか、いつかどこかで聞いた晶のそんな呟きを思い出す。

 まこの実家って、金持ちなんだ。

 心の中でかぶりを振る。そこは──もういいじゃないか。

 私たちは義姉妹で、あの二人はもう両親なんだから。裏で何が動いたんだとか、知ったところでどうにもならないことを考えるのは止そう。今以上に、心の健康を害するだなんてゴメンだ。

 と、インターホンが鳴った。本当に一六時ぴったりだった。

 リビングを出て、玄関のドアを開けた先に、

「こんにちは」

 ランドセルに制服姿のしずりちゃんがいた。

            

 久しぶりにつくしと。こうして遺影の前に座ることを私はずっと避けてきたから。

 隣には正座をしたしずりちゃんがいて、膝の上にはココアの入ったマグが両手で包むように握られている。家人が私しかいない時点で、インスタントであることは言うまでもなく。

「ごめんね。今ウチの女子力高い勢がいなくて」

 ココと鏡花がいてくれたら、コーヒーや紅茶どころかナントカ茶瓶とかいう専用の急須で中国茶まで用意できるのに。

 いえ──と小さく頭を振って、しずりちゃんは控えめに笑った。

              ※

 何だかお伽話の主人公みたいな娘ねぇ──と、初めて家に来たしずりちゃんを見て、まこが耳打ちしてきた。中々上手いこと言ったもんだ。

 ロングの黒髪、黒目がちなのに凛々しい眼差し、レトロカラーでまとめられたクラシカルなファッション。これが親じゃなくてこの娘自身のセンスだって言うんなら、特にカラータイツの取り入れ方辺りで教わることが色々ありそうだった。

 ──親が高校の先生なんだって。

 しずりちゃんに編んでもらったらしい三つ編みを弄りながら、つくしが言った。そういえば、つくしのコーデなら毎日考えてたけど、髪に手を出したことってあんまりなかったなぁなんて思いながら、私はしずりちゃんに尋ねる。

 ──へえ、どっちが?

 しずりちゃんの表情が僅かに強張った。今の質問のどこが地雷だったんだって考えていると、


 ──どっちもです。


 としずりちゃんは言った。一応微笑んではいたけど、眉の形は八の字だった。

 その微妙なムードを変えたかったからってワケでもなく、ただ、その日持っていたペンケースが某ビーグル犬のキャラもので可愛いかったから、ついペンケース可愛いねって言ったら。

 ──すみません。

 何故か、顔を赤くして謝られた。

 言葉の選び方が、ウチの三女に似てると思った。

              ※

「ほっとしました。その──お顔が見れたので」

 お元気そうだったので──とでも言いかけて止めたのかな。言葉を選んでくれているのがわかる。

 本当に、つくしと同級生なんだろうか。

 年のわりに礼儀正しい子は、私の経験上二つのパターンに分けられる。愛されて育った子か育ちがいい子か。この娘は──両親が教職だっていうし後者寄りっぽいけど。にしたって、ここまで洗練されるものなのか。

 仏壇の方へ目を向ける。ついさっき、しずりちゃんの供えてくれた花に憶えがあった。

「もしかして、結構通ってくれてる?」

 花だってタダってワケじゃないのに。

「お邪魔でなければ良いのですが」

「全然──」

 つくしも喜んでくれてる──とかナントカ。そこは、そんな感じのことを、さらりと言わなきゃダメだろ、私。

 しずりちゃんは、変わらずつくしの方を見ている。それでも、待ってくれているのだと。私がしずりちゃんに話しかけること。本当に打ち明けたいことを打ち明けること。それを──待ってくれているのだと、わかってしまう。

 ココには、待つよ──なんてお姉さんぶって格好つけたけど。


 まさか、逆の立場が回って来るなんてね。


「つくしがね、いないってこと頭では解ってるの。けど、実感が湧かないっていうか」

 遺影のつくしは笑っている。

「ここにはいない気がして」

 だから、ここには座れない。いや、本当にここにつくしがいるだなんて、あの娘の魂があるだなんて、誰も思っちゃいないか。

「結局、カッコつけてるのかもね。私もしずりちゃんみたく──素直にならないと」

 手を合わせてあげられるくらいには。お花を供えてあげられるくらいには。


「素直なんかじゃありません」


 はっきりとした口調。しずりちゃんは──俯いていた。肩こそ震えてはいなかったけど、マグを持つ指先が薄ら白くなっていた。力が、入っているのだとわかった。

「ついこの前まで一緒でした。ついこの前まで普通にお話していました。ついこの前まで一緒にほしいものを考えていました。初めてお友だちの誕生日会にお呼ばれしました。そうやっていつも一緒だったつくしちゃんの写真が、今こうして目の前にあって、それに手を合わせて、あの娘を感じられるかと訊かれたら、そんなの──よくわかりません。通っているのは、他にしてあげられることが──したいことが思いつかないからです」

 でも──としずりちゃんは言った。脇のトレーにマグを避けてから、胸の上でそっと両手を重ねた。


「ここに来て、つくしちゃんのことを考えると、ここがすごく痛くなるんです。そんなとき、私は、ああ──ここにいるんだなぁって思います」


 ああ、この娘は。

 痛みの中に、つくしを感じているのか。

「このままでは、いけないとわかっています。つくしちゃんを、いつまでも痛みと結びつけたままではいけないと、つくしちゃんに申し訳ないとわかっています。でも、もうしばらくはこのままで。につくしちゃんを感じていたいんです」

 私は、しずりちゃんの肩を抱いた。そうせずにはいられなかった。

 つくしは、一時保護所にいた頃からあまり眠れない娘だった。けど、私と一緒ならよく眠れるっていうから、布団に潜り込んでくるあの娘に、私はいつも仕方ないなぁってお姉さんぶった顔をして。

 でも。

 本当に、抱きしめていたのはどっちだ。

 抱きしめられていたのはどっちだ。


 このひとを安心させてあげないとって思っていたのは──。


 ささめさん──と名前を呼ばれる。

 返事ができない。うんという一言さえ出て来やしない。


「ささめさんにはささめさんの──つくしちゃんの居場所があると思います」


 私は、泣かなかった。泣かないように我慢した。

 泣くには、まだ早過ぎるっていうか、何もかもが中途半端過ぎる気がして。

 何より、今泣いてしまったら。

 もう、二度と引き金トリガーを引けないように思えた。

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