10『インポリス』

 トーマ君と出会ったきっかけは、つくしちゃんの友だち──朝妻あさづましずりちゃんが、ある夏の日に行方不明になったことから始まる。

 しずりちゃんは、パジャマのまま森の中で倒れているところを発見された。命に別状はなかった。ほぼ半日行方をくらませていたにもかかわらず、しずりちゃんは話を訊く大人たちに対して、何も憶えていません──の一点張りで。何より不思議だったのは、しずりちゃんが発見された場所は、自宅から半日──それどころか丸一日かけて歩いたところで、到底辿り着けないほどの山奥だったという。

 そのしずりちゃんが、事件後に家へ遊びに来ていたとき、私に尋ねた。つくしちゃんを始め、その場にいた他の娘たちが偶々皆席を外した、私としずりちゃん以外誰もいないタイミングだった。

 ──トマソンをご存知でしょうか。

 しずりちゃんによると、トマソンとはまるで展示物であるかのようにきちんと保存されている存在理由のよくわからないもので、「超芸術」とも言うらしい。

 行方不明だったとき、しずりちゃんは──多分夢を見ていたのだという。正直なところ、夢だったのか現実だったのかは、当人もよくわかっていないらしい。

 純粋に昇り降りができるだけでどこにも辿り着けない階段。ドアではなく壁から突き出た捻りようのないノブ。見たことのないデザイン性の高過ぎる標識。ブリキを被せることで切断面を厳重に保護した電柱。普通の人の五倍ほどの高さに位置する覗き込めないカーブミラー。


 それは、トマソンが蔓延はびこる世界をさまよう夢だった。


 どうして誰にも話さなかったことを、私に話してくれたのか尋ねた。

 ──何か、意味があることだと思えたので。

 スカートを握りながら、やや俯き気味のまま、上目遣いに。

 しずりちゃんは、そう言った。

 紺色のタイツが夏なのに暑そうだったからか、印象に残った。


 しずりちゃんの言葉を手がかりに、私とボスとカエル君は、十朱市内のトマソンを探した。そして、その一部が一つの地下壕ちかごうへ続く入口の目印になっているのだと知った。

 トーマ君とは、そこで出会った。

 トーマ君は、しずりちゃんの件──元からあった謎の地下壕をトーマ君のセンスでリフォームした結果、素人目には何が何だかよくわからない空間が完成。そこに、しずりちゃんが足を踏み入れてしまったこと──について、だったと説明した。活きの良い、血の通った負力を、平和的に採取するにはこれがベストである──そう、判断したと。

 適量を摂取できた時点で元の世界に帰している辺り、全く話の通じないギノーではなさそうだった。だから、ボスとカエル君たち同伴のもと交渉することにした。

 ──この場所を取り壊せとは言わない。出て行ってほしいとも言わない。ただ、迷惑はかけないでほしいの。恐怖がほしいだけなら、本心では人を傷付けるのがいやだっていうのなら、これで何とかならないかな。

 そう言って、私が見せたのは、辞書くらいのサイズの箱いっぱいに詰めたバラ色。刻みの粗いタバコの葉っぱ。兵主部ひょうすべ報恩ほうおんと呼ばれる、リジットテラーのひとつだった。

 リジットテラー。簡単に言うと、ギノー専用の回復アイテム。

 広い意味では負力の代替となるものなので、その種類は様々なのだけれど、有名どころを挙げるなら、ヒヒイロゴケをタバコの葉に加工したタイプだろう。といっても、どこに生えるヒヒイロゴケからでも、リジットテラーを精製できるわけではない。

 一般に私たち人間の世界で心霊スポットやパワースポットと呼ばれる、曰く付きの土地から採ったものを利用するのだ。そういった土地のヒヒイロゴケには、訪れた人の畏怖心や恐怖心が根深く染みついている。

 そして、この兵主部の報恩は、そんなリジットテラーの中でも特に貴重なものらしい。カエル君たちが惜し気もなくくれるものだから、私はそんなふうに思っていなかったのだけれど、ボスが言うには質も上等で、他の葉では中々味わえない豊かで刺激的な風味なんだとか。

 作り方としては──まず、カエル君が謂れのある土地に生えるヒヒイロゴケを食べる。一定量食べると、木目調だったカエル君の膚がバラ色に変色する。兵主部の報恩とは、それを削り出したものなのだ。

 このとき、削り取るのが第三者であってはならない。カエル君が恩を込めて、自らの意思で、贈りたい相手を想いながら削ることで、初めてそれは兵主部の報恩となる。無理矢理カエル君から削り取ったり、削り取らせたりしたそれは、酷く泥臭くケダモノの毛を磨り潰したような味がするという。

 今日は挨拶でこれだけ持って来たけど、足りないならもっと用意するって伝える私に、

 ──もし、俺がその案を蹴ったら?

 何故か、トーマ君は頬を引きつらせてそう言った。

 このとき、トーマ君は上った先に壁しかない階段の上にいた。今思えば、それは彼のワンノート──〈スニークギフテッド〉で背後には壁しかないように見せていたのかもしれないし、本当にトマソンよろしく壁しかなかったのかもしれない。私たちの傍まで下りて来ないのは、言うまでもなく万が一に備えているのだろう。

 ただ──。


 けどなぁ。


 トーマ君の顔付きが変わった。ただでさえ青い膚がいっそう青みを増した気がした。本当に、誓ってそんなつもりはなかったのだけれど──。その辺りは、いくら平和主義でも場数を踏んだギノーというか。どうやら、伝わってしまうものがあったらしい。まあ、察してくれたならくれたでそれを利用しない手はない。

 私は、できるだけ柔和な表情をつくって小首を傾げた。

 ──蹴っちゃうの?

 トーマ君が、ぶんぶんと音がしそうなくらい、かぶりを振った。

 晴れて交渉は成立。

 それきり、この地下壕関連で行方不明者が出たことは、今のところない。

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