08『Red Herring』

 風梨華が小豆あずきを撒いた。数は六つ。地面に落ちるや、瞬く間にヒヒイロゴケを掻き集めて。うち五つは、鎖帷子くさりかたびらの仮面、ひさし付き軍帽ぐんぼう剣帯けんたいから軍刀を吊った──狸頭の兵士を形成。残る一つは大太刀おおだちとなって、風梨華の手に収まった。

 兵士が抜刀した。真っ向からココへと斬りかかって来る。

 投げた。

 呼吸を合わせて、相手が刀を振り下ろす勢いを利用して。向かってきた兵士が躰ごと前へ一回転したときには、もう──。

 刀は、ココの手に渡っている。

 右から来た二人目が、刀を上段にとった。踏み込み、すくい上げる刀で上腕を、続けざま下ろす太刀筋で顔を割り付ける。

 左からの三人目。刀で斬撃を受け止めた。このとき、水平に構えたココの剣尖けんせんは、すでに敵のあばらへと滑り込んでいて──。

 払った。赤い軌跡を残しながら、兵士が不格好なピルエットを踊った。

 つうと、一歩横へ。

 振り向きざまの斬り上げは、背後から不意をつかんとしていた丸腰の兵士──その脚の付け根を削いだ。兵士が派手に転んだ。苔の飛沫がココの白い髪や肌を彩った。のたうち回られるより先に、心臓を突いて止めた。


 天井を削りながら、風梨華の大太刀が迫る。小さく肩を右に振ってから、ひょいと左奥へ──。さっきまでココがいた場所を鉄塊の如きそれが叩いた。足許はおろか空気までもが、その衝撃にびりびりと震え、抉れたヒヒイロゴケが土煙ならぬ苔煙となって、ココと風梨華──互いの姿をくらませる。


 苔でできた赤いとばり越しに、一瞬風梨華と視線が触れ合った。


 滑走を使って、壁を走る。スピードを一切殺すことなく、躰をそらへと放り出す。上段に構えるココの眼下には、それを見上げる他ない兵士。気合とともに、振り下ろす。金属音と共に青火が散った。刀で受け止められたが、結果は同じこと。受けた刀の背が、兵士の頭に深々とめり込んでいた。兵士の膝が力なく崩れる。これで──四人目。

 眼前には、腰を大きくひねる風梨華。

 その右足が、弧を描くように前へ出て。


 ──ああ、懐かしい。


 胴を払うというより、両断するかのような一閃。

 ココの刀が、吹き飛ぶように折れた。

 続く風梨華の前蹴りを半身はんみになって躱しつつ──前へ。鳩尾みぞおちへ、肩による当身あてみを喰らわせる。風梨華の躰が飛んだ。が、乱暴に突き立てた大太刀をブレーキ代わりにして、またも突っ込んでくる。

 だから。

 ココはうずくまった。その足許に。風梨華が勢いあまって拍子を崩す他ない、絶妙のタイミングで。豪快に転ぶ風梨華。と、後ろから殺気。振り向きざま、足刀で足の甲に一撃を加える。敵の注意がつかの間そこへ逸れたところで、顎へ掌底。直接当てていないにもかかわらず、兵士は頭から天井に激突した。


 ワンノート〈引飴ひきあめ〉──拳足けんそくから空気の衝撃を放つことができる。


 地面に落下し、あとは苔へと還るだけとなった五人目から刀を取り上げる。

 あとは──不敵に笑う風梨華を残すのみ。


 ココは、脇構えをとった。

 風梨華は、片手で持つ大太刀を背中に隠すように担いだ。

 先に動いたのは──ココ。間合いに入った瞬間、刃唸はうなりとともに、ココの脳天へと迫る必滅の一撃。両足の爪先を軸に、右へ転ずる。

 と、風梨華の太刀筋が。ほぼ直角に折れて、ココの頭部を横薙ぎに砕かんとする。

 ──予想通りだった。

 可能な限り身を低く。足捌きに柄頭で壁を打つ反動も加えて、一気に左へ。風梨華の斬撃を掻い潜り、ショートレンジの滑走を発動。瞬間、その身を加速させる。


 ココの刀身が、風梨華の胴を横一文字に打った。


 呻いて、がくりと膝をつく風梨華。

 ココは、刀の切っ先を彼女の首筋に突きつける。

 どうして──むねで打ったのだろう。義妹の命が危ないとわかっているのに。

「変ね。止めがこないわ」

 風梨華が、挑発するような台詞とともに口元を歪める。

 そうだ。かつての友の言う通りだ。一刻も早く、首を刎ねなければ。

 止めを刺さなければ──。

「え」

 いつの間にか、風梨華の姿は消え失せていて。見下ろす先に、つくしがいた。怯え切った目で、こちらをじっと見つめている。落ち着け。この非道なやり口は知っている。これは、どう考えても。狸のギノーが使う変化へんげでは──。

 と、腹部に押し当てられる硬質な感触。

 乾いた音が、連続した。その数だけ、衝撃があった。

 両膝をついた。手から滑り落ちた刀を踏みつけられた。

 見上げると、煙をくゆらせる銃口がこちらを向いている。


「じゃあね、白い鬼」


 ココは、ただ見ていた。風梨華の嗜好なのか、紅葉色に塗られた大口径のリボルバー式拳銃を。その引き金に、指をかける彼女の姿を。


 そして、彼女の頭上に浮かぶ、全面に「半」と表記された、光の立方体キューブを。


 ココの肌を、静電気めいたものがちりりと跳ねる。

 風梨華が、大きく飛び退いた。さっきまで、彼女の立っていた場所に弾痕が散らばった。四〇センチ角の立方体が、放射状に火を噴いたのだ。

「無事かぁ! お嬢!」

 耳に馴染んで間もない、威勢のいい声に振り向くと、トーマがいた。

 ココより少し低い背丈、ボスとは対照的な青いはだ、どこか昔ながらの大工を彷彿させる風体ふうてい。ボスと同じく河童を根源とするギノー。

 構えているショットガンは、銃身が酷く短い。否、事実短いのではない。ショットガンは、トーマの正面に浮かぶ「丁」の立方体に差し込まれ、二つ並んだ銃口が「半」の立方体から下界を俯瞰している。


 ワンノート〈ウインチェスターキューブ〉──立方体同士で空間が繋がっているのだ。


 ショットガンが、立て続けに吠える。

 風梨華は滑走を駆使しつつ、風と戯れる蝶のような運足でそれをかわした末──跳躍した。「半」に手を突き入れた。短い悲鳴とともに、トーマの躰が「丁」の立方体へと吸い込まれる。風梨華の膂力によって「半」から引っ張り出されるトーマ。そのまま地面に叩きつけられ、足蹴にされ、ショットガンを奪われる。引き金に、風梨華の指がかかって──。

 風梨華の前腕が、大きく跳ねた。彼女の手からショットガンが弾き飛ばされた。


 ワンノート〈引飴〉──親指を使い、指弾の要領で放った空気の弾丸によって、風梨華の手元を撃ち抜いたのだ。


 ココは、すかさず「丁」と表記された立方体に手を伸ばした。接触と同時に輝きを増すウインチェスターキューブ。ココの全身が光に呑まれ、転移先は──言うまでもなく「半」と表記されたもう一つの立方体。

 すなわち、風梨華の上方。


 驚いたような顔でこちらを見上げる風梨華に、渾身の〈引飴〉を打ち下ろす。


 風梨華の巨躯が、地面に叩き付けられた。バウンドして、何度か横に転がった。

 対するココもまた、重力に従って叩き付けられる。流石に撃たれたあとでは、受け身をとる余裕さえない。痛む腹部を押さえつつ、四つん這いの姿勢で息を整える。

 お嬢と言って、トーマが駆け寄って来た。

 いつの間にか出入口を塞ぐ鎖は消えていて、赤い世界がぽっかりと覗いている。

 そして、風梨華の姿はなかった。

                ※

 木にもたれて、ひたすら馬鹿みたいに浅く短い呼吸を繰り返している。掌をじっと見た。

 ──自分では、いまひとつ変化がわからないけれど。

 ボンディングスキン越しに、負力でできた膜のようなもので、全身をコーティングされているような感じがある。


 ワンノート〈スニークギフテッド〉──SF作品なんかでよく見る、いわゆる光学迷彩。トーマ君の場合は自分が透明になるだけではなくて、選んだ対象を透明にすることもできる。


「いいですか。お嬢はここで大人しくしていてください」

 だから、トーマ君の言う通りここでじっとしてさえいれば、私が連中に見つかる危険性は多分低い。連中──風梨華をあんなふうにして私にけしかけ、つくしちゃんまで巻き込んだ、恐らくは八百八狸の残党。今の私をつくった者たち。

 私は、拳をそっと前に出した。掌を上にして、開いてみせる。潰れた銃弾が四つ。さっきの戦いで、風梨華に至近距離から撃たれたときのものだ。

「コイツは──」

「撃たれる直前、お腹に負力を固めたの。一発も貫通してないよ」

 だから、大丈夫。痛みがあるだけで、どこにも怪我はしていない。だから──私もつくしちゃんを捜す。

 案の定、トーマ君が苦い顔をした。それから、何かを振り払うように強くかぶりを振った。

「約束します」

 トーマ君に手を握られる。手の中で擦れ合った銃弾がかちゃりと音を立てた。


「必ず、お嬢が悲しむような結末にはしませんから」


 義妹いもうとさんを見つけます──ではなくて。

 私を真っ直ぐに見据えるこの目は──。

 返事を待たずして、トーマ君は森の方へと走り出した。その背中が、次第に小さくなってゆく。すっかり、見えなくなるのを待ってから。

「ごめんね、トーマ君」

 私は、銃弾の残骸を叩き付けるように捨てた。

             

 走る。ただ、走る。

 勢いよく踏んだ拍子に折れて足首を打つ小枝が、普段なら気に留めるまでもないささやかな地面の凹凸が酷く鬱陶しい。それだけ、焦っているのか、純粋に弱り切っているのか。両方かもしれない。

 ヒヒイロゴケのない世界──未来界みらいかいにいた。


 さっきの目──トーマ君の顔が、頭の片隅から離れない。


 優しい目だった。私のことを好いてくれている目だった。

 "彼"に、少しだけ重なるものを感じた。

 狐のギノーに襲われて、手足を失った私に新しい手足を与えてくれた"彼"。


 だからこそ──胸騒ぎがする。


 お腹が、じくじくと熱い。

 実のところ、弾は一発だけまともに当たっていた。それほど深くは埋まっていなかったので、何とか素手で取り出せたけれど──。弾は、全て純金製だった。河童は金気を嫌う。相性の悪さから、ボンディングスキンが本来の防御力を発揮できなかったのだろう。もっとも、その怪我だってとっくに出血は止まっている。銃創は、すでに塞がり始めている。


 そう、カイジューはこんなものじゃあ死なない。


「つくしちゃん!」

 ああ、こんなにもおっきな声で。

「つくしちゃん!」

 つくしちゃんの名前を、呼んだことなんてあったかな。

 私の声は、全て雪に染み込んでいくようで、ちっとも通りやしない。

 あの娘に──届きやしない。

 それにしても、何て暗いのだろう。家を出たときは、朝だったはずなのに。

 粉雪の舞いは、相も変わらず、忙しなくって。

 見ていると、ただただ焦りが募るばかりで──。

「え」

 雪が──昇っている? 

 空へ、かえっている?

 

 まるで、ここは水底みなそこで。

 だとしたらあれは、あぶくか──。

「嘘──」

 私は、手の甲のエンボスに目線を落とした。熱を帯びたそれは、赤く明滅している。ボスが、何者かにやられた。あのボスが。契約ギノーが倒されたとき、ハンドラーは持ち得る限りの負力を費やして、彼らの修復に当たらなければならない。そして、その修復作業を止めることはできない。

 ヒヒイロゴケの躰を失った契約ギノーは、自らの意思とは無関係にハンドラーの個人的無意識にアクセス、そこから自己の修復──コクーン体の形成などに必要な分だけの負力を抽出する。


 すなわち、人間がより負力を生産しやすい心理状態──幻覚などの手段を以て、ハンドラーを強制的に恐慌状態へと陥らせる。


 そんな。いやだ。よりによって、このタイミングでだなんて。

「ボス!」

 その叫びさえ、泡の一つとなり果てて消えてしまう。

 息ができない。まるで、本当に水の中にいるみたい。

 足場が、溶けてなくなった。

 泡に包まれて、暗い水底へ落ちる。嘘。底なんて、見えやしない。

 水は淀んでいて、落ちているのは私だけではなかった。

 いくつかの影が、同じように泡を纏って、沈んでゆくのが見える。

 それは、牛だったり、馬だったり、人間だったりした。


 みんな──眼に生気がなかった。


 現実世界の自分が、立っているのか、倒れているのかさえ、わからない。

 捜さなくちゃ。ボスを、つくしちゃんを。

 捜さないと、いけないのに。手遅れになってはいけないのに。

 目の前に、また泡の塊が落ちる。

 子どもだ。白く濁った目をした、女の子の屍体したいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る