06『I'm the One』

「やあ、ささめ君」

 廃墟と化した園芸センター内にある元鉢物展示室。

 そこで、シャロは呑気にパイプをっていた。そんなヒマがあるならテレパシーに応答しろ──という正論が、つい溜息にとって代わる。

 シャロという愛称はささめがつけた。由来はシャーロック・ホームズ。シルクハットにインバネスコート、蝶ネクタイに白手袋、そして──無類の愛煙家。所々ささめの知る本家像とは異なるが、彼のもつそこはかとなく胡散臭い気性も相まって、似非っぽさが一転それらしいのではないかとささめは思う。ただ、シャロには中身がなかった。いや、あるにはあるのだけれど──煙なのだ。人間なら頭部があるはずの部分では、煙が何をかたどるでもなく渦を巻いている。

「──火気厳禁じゃなかったっけ?」

「こうなってしまっては意味がないだろう」

 そう言って、肩を竦めて見せるシャロの足許もとい床中には、使いみちこそわかれど、使い方はいまひとつわからない機械の残骸。

 そして、四ちょうの銃といくつかの薬莢やっきょう。いずれからも、まだ熱を感じる。要するに、撃たれてまだ間もないということ。うち二挺──拳銃はバックアップガンとして、問題はメイン。火器統制装置を備えたアサルトライフル。技術の進んだ既来界きらいかいであっても、小火器に着いていて当り前の代物ではない。

 一体──どこから調達してきたのやら。

 ささめが手に取った空薬莢には、三桁の数字が刻まれている。

「八〇八」

 口にしながら目線を送った先で、シャロが思い当たる節はないとばかりにかぶりを振る。正確には、シルクハットが左右に動いたとでも表現すべきか。

 ところで、肝心の銃の持ち主たちがどこにも見当たらない。シャロが一服している様子を見るに、返り討ちにはしたのだろうが。当に物言わぬ屍体したいから、真っ赤な苔へと還ってしまったのだろうか。

 ささめはふと、壁を見て──。

「は?」

 目を疑った。

 壁にいくつか刻まれた弾痕に、ヒヒイロゴケが薄い膜を張りつつあった。そこにはまだ弾が、襲撃者の身元を突き止める情報源として必要な弾が、埋まっているように見える。

 これは、修復だ。同化ではない。すなわち、自然に起こる現象ではない。

 弾の採取はいいの──と訊きかけて、はっとするささめ。

 手にしているパイプ。立ち上る煙の匂い。が。


 引き金を引いた。パイプが宙を舞って、シャロが仰向けに倒れた。

 続けて、左腕を横一文字に払う。撃発音が耳をつんざく。

 ささめの眼前に、六つの火球が静止していた。


 彼女の手掌から放たれた黒煙の障壁──ワンノート〈水火すいかおり〉に阻まれて。


「完璧だと思ったんだがなぁ」

 倒れたまま、右手だけを伸ばして発砲した異形が上体を起こす。

「どうしてわかった?」

 胡坐をかいて、首を捻る異形は──オオカミの頭、胸にアメリカ国旗と狐の横顔が刺繍されたファティーグシャツ、大小様々な十字架柄が散らばるワークパンツ、そして、右手にはペッパーボックスピストル。この火球は、が吐き出したのか。

 ささめが、異形──オオカミの変化へんげを見破れた理由は二つ。

 一つ──シャロが桜材のパイプを喫うのは、自分と話をしているとき。一仕事を終えたあとの一服なら、クレイパイプを使うはず。

 一つ──シャロは自分の前ではルームノートがする葉しか喫わない。オオカミが喫っていた葉は全くの無臭だった。

 そして、そのことを──。


「リサーチ不足」


 今ここで、教えてやる義理はない。

 SHADOW──ネイルガンに音声入力。

 オオカミではなく、あえて床に向けて──トリガーを絞った。

 勘付いたオオカミが、素早く後ろに転がる。さっきまでオオカミがいた床から天井へ、一条いちじょう光輝こうきが駆けた。ささめがトリガーを引く度、足元から飛び出す光の杭に追われながら、オオカミはあちこちへ転がって──。


 不意に、四つん這いで止まった。


 その背中が、僅かに沈んだと思うや──消えた。

 ささめは、大きく横へ跳んだ。〈水火の折〉の効果が切れて、本来の時間の流れを取り戻した火球の射線から逃れるためだ。そう、ささめの操る黒煙それに触れた物質は、時間干渉によって一時的且つ強制的に"減速"する。

 オオカミを中心に、大きく円を描くように滑走をスタート。オオカミは今、天井のヒヒイロゴケを足裏に吸着させて、逆さまにぶら下がっている。とにかく、ヒヒイロゴケに自らの肉体が耐え得る限りの速度で躰を運ばせながら、再び〈水火の折〉を──。

 展開した直後、六つの火球が絡めとられる。

 オオカミの右手。握られているそれは、外観こそペッパーボックスピストルだけれど。

 全てのバレルが、同時に火を吹くとは──。

 滑るスピードは殺さず、体幹と床の角度を狭めてゆく。指先で、引っかけるように転がっていたフラスコを拾った。オオカミの銃は右手。注視ちゅうしした。ペッパーボックスピストルとフラスコを意識の橋で繋いだ。と、それぞれの物体が同じタイミングで、黒煙の中に吸い込まれて。


 ワンノート〈揺蕩ようとうの折〉──ささめの左手にペッパーボックスピストル、そしてオオカミの右手にフラスコが現れた。


 顔をしかめるオオカミ。

 思わず唇の片端をつり上げるささめ目がけて、やけくそ気味に投擲されるフラスコ。

 BLEACH──音声入力から流れるように二回、シングルハンドでトリガーを引く。フラスコが砕け、天井からオオカミが墜ちた。一回転して着地した、その右膝に突き刺さり、ちかちかと点滅しているのは──。


 爆発。釘を模した炸裂弾によって、膝から下を失ったオオカミが倒れた。


 ささめは、狙いをすっとオオカミの頭へと滑らせて──。

 その爪が、五指が、深々と床に食らいついていることに気付く。引っかく勢いを利用した、弾丸の如き体当たり。膝を合わせて迎撃するには低く、かわすにはあまりにも遅い。

 SHADOW──入力を終えるや、背中から壁に叩き付けられた。腹部にめり込むオオカミの頭部。躰が、意図せずくの字になった。両腕を万力のような力で掴まれる。足許を狙い、震える指を何とか折り曲げて一発。。締め上げられて、ネイルガンも、奪ったペッパーボックスピストルも手から離れて。オオカミが、それらを蹴って飛ばした。眼前に大きく開いた口が迫って──。


 その下顎と上顎を、一条の光輝が串刺しにした。


 地中という死角に潜んだ光の杭が、オオカミの不意を打ったのだ。

 大きく身をよじるオオカミ。膝に負力を圧縮──顎を思い切り蹴り上げる。浅い。せめて舌でも噛んでくれれば良かったのだが。その足を担がれて、放り投げられるささめ。床が目前に迫ったところでロール。全身に衝撃を分散する。

 オオカミと、大きく距離が開いた。互いの手にもう飛び道具はない。そして、丁度部屋の中央──ささめとオオカミの間には。


 ネイルガンが転がっている。


 睨み合うささめとオオカミ。腹積もりはどうせどちらも同じこと。

 来い──ヒヒイロゴケに飛ばした命令は、ネイルガンへと走って。

 向かいから来た、同様のそれに相殺される。

 行き場を失ったネイルガンが、その場でくるくると回る。

 耳に入った舌打ちは、知らず自分がしたものか。

 ささめは、走った。

 オオカミが、両腕と残る一本の脚を巧みに使って、跳んだ。

 オオカミが取ったのは、飛び膝蹴りの体勢。

 一方、ささめは。


 オオカミを──その頭上を優に飛び越えるほどの跳躍。


 唖然とこちらを見上げるオオカミの顔面に、躰ごと肘を打ち下ろす。

 互いに、背中から落ちて。

 ヒヒイロゴケの破片が、赤い花弁のように宙を彩る中──。


 先に体勢を立て直したのはささめ。

 仰向けのオオカミに、拾い上げたネイルガンを突き付ける。

「シャロはどこ?」

「何だよ。そっちでいいのか?」

 ささめは、眉をひそめる。


「無事に帰ってくる方だよ」


 直後、オオカミの手を目指して床を滑走する、ペッパーボックスピストル。

 反射的に二回、トリガーを絞った。

 オオカミの頭が破裂して、赤く煌めく苔の花が咲いた。

 荒い──息遣いだけがささめの耳に届いている。

 確か、つくしが家族宛てに残していったメッセージは。


 ココねーちんとぶじにかえってきます──。


 酷い、胸騒ぎがする。ヒヒイロゴケが消えた。赤い異世界から帰還した。急いでスマートフォンを取り出して、ココに連絡しようとして。

 ──右膝?

 身に刻まれたエンボスから伝達を受けて、初めて気付く。それほどに微小な傷が、右膝にある布地の裂け目から覗いていた。エンボスは、ハンドラーの状態を把握するセンサーとしての機能も有している。

 戦いの最中、火の粉でも──跳ねたのか。

 ボンディングスキンのタイプがもう一段階低ければ、二度とティーンズモデルのオファーを受けられない肌になっていたかもしれない。

 それにしても──。


 液晶が、物凄く見づらい。


 ぐらりと、視界が傾いた。

 膝をついて。世界は、またも余すところなく緋色に飲まれて。

 肌に、目に映る肌全てに、十字架を模した発疹が刻まれている。

 まさか、あの火球。仕込んでいたのか。弾に、毒か──。

 スマートフォンを手放した。火傷に、人差し指と親指を潜らせる。

 視野が、端から暗く蝕まれてゆく。

 痙攣する指の端が、を捉えた。


 ──クギを抜いたの。痛みのもとになっているクギ。痛いだけじゃなくて、痒いとか気持ち悪いとか、そういうのも全部まとめて、今抜いたの。だから、もう治ってるよ。


 が、抜けない。手に十分な力が入らない。右手を左手で、さらには右腕の袖まで噛み締めて、渾身の力で引っ張る。それでも、なお──叶わない。ならば。


 ささめは、を噛み潰した。


 釘が抜けた。勢いあまって手をすっぽ抜けた。

 肺に、一気に空気が入り込んで激しく咽る。

 ぼやけていた視界が、一瞬でクリアになって、くらりときた。

 傍には、抜いたばかりの釘が転がっている。棘だらけの、いかにも抜けにくそうな、抜くときに猛烈な痛みを伴いそうな形をしている。

 ひとまず、毒は抜けた。

 けれど、どうにも瞼が重過ぎる。

 天井から少しずつ、苔の塊が剥がれていって──。

 何だか大粒の雪みたいだった。

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