05『All is white』
三月八日
家族で使うブラックボードには、ココねーちんとぶじにかえってきます──とある。窓に目を
「──マジで?」
「マジで。おそよう、ささめん」
そう、何食わぬ顔で即答したコイツの声は相変わらずデカい──っていうよりよく通るのか。声量というより声質の問題。運動神経が規格外過ぎてスポーツがつまんないっていうなら、
デニムのエプロン、おなじみのハーフアップでまとめたヘアに赤いバンダナ。
──何かリニューアルオープンしたレトロ喫茶の看板娘っぽい。
カウンター越しに
「朝ご飯?」
「ブランチ。ささめんにとってはな」
「──そっちにとっては?」
「早めのおやつ」
味見するかと訊かれて、楽しみにとっとくとだけ返した。電気ケトルからお湯を注いだばかりのインスタントコーヒーを混ぜながら、またも目線は外へ。
──このクソ寒い中、よくやるわ。
「心配?」
まこが、ノートパソコンの画面に目を向けたまま言った。
「別に。ただ、珍しい組み合わせだなって思っただけ」
つくしとココだなんて──。
そう、あくまで率直な感想を述べながら向かいの席に着く私に、
「ははーん」
とまこが言った。
何というか、今にもこっちの頬をつついてきそうな目つきだった。
「そのははーんの続き言ったら怒るから」
「ささめんカワイイ~」
ささめん言うなしとツッコミを入れてから、コーヒーに口をつける。
パソコンの画面を覗き見たりはしない。まこが眼鏡をかけてるときは仕事モードだから邪魔したら悪いし、何より──朝から見るにはちょっとばかし不適切なモノが映っている可能性もある。
まこは私たち五人義姉妹の義母で、人形作家として活動している。実際は作家同士が集まってやってる雑貨店で、人形以外にも色々出品しているらしい。ただ、自宅で大がかりな作業をしてるトコは見たことがないから、その店にアトリエを借りてる作家もいるっていうし、まこもその一人なんだろうと思う。
一度、まこの個展を観に行ったことがある。
先入観を持ってほしくないからと、チラシは渡されず、場所だけを教えられた。
いつだって、大人の女性らしいシルエットに、パステルカラーの差し色が映える、新人お天気キャスターみたいな義母のことだ。さて、どんな洒落た空間が広がっているのかと向かってみたら──。
強烈だった。思ってたのと全く違った。
それは、女の子が楽器に取り込まれているのか、いっそ女の子が楽器を取り込もうとしているのか、元よりそうした生きものだったのか。くすんだワンピースからぞろぞろと、木の根っこみたいに散らばり伸びる
タイトルは──
微笑んではいるけど、少し不安げな顔で、まこが言う。
──どう、思う?
──何と言うか、ぞっとする。
──良かった~。グロテスクだとか痛々しいって言われたら、どうしようって思ってたの。
──ごめん。グロいとは思った。言わなかっただけ。
──思っていて口に出さないことが大切なのよ。ささめちゃんはブシドーね。
帰りに二人で寄ったカフェで、どうして他の義姉妹じゃなくて私を呼んだのか尋ねた。
──晶ちゃんと鏡花ちゃんは、方向性こそ全然違うけど、思ったことを飾らずに言うってとこは同じでしょ。だから、連れて来たら私が傷付きそう。つくしちゃんはまだ早いっていうか、ほら~ささめちゃんがそういう目をすると思ったから自重したんですぅ。
──ココは?
──あの娘は、感化されると後々がねぇ。
アーティストの言いたいことって、いまいちわからん。
「へいおまち」
そう言って、晶がテーブルに置いたのは、サイコロ状に切ったトーストに、リンゴのバター炒めを乗せて、セイロンシナモンを振った一品。
フォークで刺し、ほいと言って差し出してくる。ありがとうって言いつつ、それなりに素早くフォークに手を伸ばしたけど、あっさり
晶の料理は当たり外れが激しい。本人が言うには、だってこのタイミングで味見しろってレシピに書いてなくね──だそうだ。屁理屈通り越して、もはや
まっ心配な組み合わせだけどよ──と言って、晶は厚切りのトーストにかじりついた。その上には、私に出したものと同じりんごのバター炒めがたっぷり乗っかっている。この娘の胃袋事情からしたら、おやつの内ってヤツなんだろう。
「ケータイも持ってったしヘーキじゃねえの」
家では個人のスマホを持っている私を除いて、義姉妹共有のガラケーがある。外に出かけるときは、持っていく決まりだ。
「持ってったって、会ってたの?」
「いいや、鏡花が持たせたって。カイロも渡したし、釘も刺しといたって」
「──何て言って?」
「ぼーっとするな。はしゃぎ過ぎるな」
どっちがどっちに向けた言葉か、考えなくてもわかってしまう。カーチャンか、あの義妹は。
「鏡花ちゃんって、ママっていうよりカーチャンっぽいわよね」
まこの──私の心を読んだんじゃないかって発言に、わかるわかると頷く晶。
今さらながら、思う。つくしには一緒に寒空の下を散歩するねーちんがいて、はしゃぎ過ぎないようにと出かける前に釘を刺してくれるねーちんもいる。あの頃とは違う。
ねーちんは、もうささめねーちん一人じゃない。
まこに茶化されたのもあって、ただ妬いてるんだって思ってたけど。これはもっと、複雑な心境というか。口元にマグを近づけて──。
目の前を、煙が過ぎった。
温もりのない、一筋の、黒い煙が。危うく落とすとこだったマグを、何にもなかったふうを装いながらテーブルに置いて、私は言う。
「晶、クロスバイク貸りる」
フードの中に隠した耳が、千切れそうなほど痛い。
──イヤーマフ着けてくるんだった。
ペダルを漕ぎながら、テレパシーに集中してみるけど、妖精のひそひそ話みたいなノイズを拾ってばかり。
あの黒い煙は、私の契約ギノー──シャロが怪我をしたって証拠。アイツがピンチだという報せ。でも、シャロが本当に倒されたなら、もっと強い幻覚に襲われているはず。それこそ、こうやってクロスバイクを漕いでる余裕なんてないはずだ。
降る雪は小粒。イメージだと逆だけど、確か大粒より積もりやすいんだったか。
本格的に積もったら、つくしとココは。
流石に──それまでには帰るか。
目的地が見えた。
と、吐く息の白さが薄れる。降っている雪が赤く染まって。見渡す限り一面、ヒヒイロゴケのきらめきが流れるように広がった。
ギノー。空想上の産物を語る上で欠かせない伝承や信仰の、悪い部分だけが寄せ集まって、この見渡す限りのヒヒイロゴケ──その一部を以て、実体化した存在。
形ある悪意。妖怪と似て至らぬもの。シャロは、私にそう教えた。
人間の恐怖を食料源にしているとか、
なら──この苔は?
物質に同化し、記憶を留め、ギノーの肉体をも形づくるコイツらは?
「一体、何だっていうんだか──」
十朱市園芸センター。閉鎖したこのセンター内に、シャロと私のアジトがある。
クロスバイクを門の前に止めて、ベルトのケースから、もうどこにも繋がりっこないプリペイド携帯を取り出す。そいつの液晶から、テントウムシほどのコケの塊が一つ、這い出て来た。その数は増えに増えて、あっという間に携帯を食い尽くしたところで。
弾け飛んだ。
生成したのは、マガジンに仕込んだ釘からエネルギーを抽出して放つネイルガン。残弾数は拳銃でいう
門を乗り越えて、左腕の内側に刻まれたエンボスに意識を
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