04『きみのカラダはぼくらのもの』

 ねえ、どうして白いの。肌の色が。髪の色が。

 そんな質問にあと何回答えればいいのだろう。

 鎮目しずめ家にいた頃、まだ小学生で十朱とあけ市にはいなかった頃──困っている私をいつも助けてくれたのは、鏡花きょうかさんだった。

 鏡花さんは、正道まさみちさんとみなもさんの実の娘で、私を含む里子たちのまとめ役をしてくれていた。けれど、私がそんな質問責めにあっているときだけは、あまり助けてくれなかった。

 年を取って、どこに行ったって、この質問からは逃れられない。だから、今のうちに自分が何者かを説明することに慣れておいた方がいいと、鏡花さんは言っていた。

 私のように、生まれつき肌が白く、髪も白や金色だったりする人をアルビノという。今でこそ、その存在は世間に知られている。私も、自分と同じ症状の人がいることを、鏡花さんから聞いて初めて知った。けれど、アルビノが知られていなかった頃、それは得体の知れない、普通じゃないものだったはずだ。

 でも、私は──。

 アルビノはメラニン色素が少ないから他人ひとより白い、少ないから目も悪い、そういうことだって説明できる。したくてもできなかった人たちが、昔はいたのだ。その人たちを思えば、私は恵まれている。

 そう──思おうとしていた。

 人と話すときは目を合わせなさいと怒られる。紫外線に弱いから、眩しいから、顔を上げられないだけなのに。

 だから、足許ばかり見ていた。鏡花さんと一緒に歩くときは、いつも彼女の履いた黒い靴を追いかけていた。


 どうせ──私の気持ちなんてわかりっこない。


 いつしか、そう眩しくなくても、前を見なくなった。

 目が悪いから、レジで小銭を選ぶのも難しくて、小銭入れごと落としてしまったとき、後ろに並んでいたおばあさんが、拾うのを手伝ってくれた。そんな優しい人の顔さえ、よく見えなかったのがつらかった。

 ある日、玲市れいいち兄さんに整体に興味があるのって訊かれた。待合室で、そんな本を開いていたんだから、そう尋ねられるのは当たり前だろう。

 この頃、玲市兄さんは正道さんが営む接骨院の患者さんの一人だった。病気のせいで青くなった白目を隠すため、いつもレンズの青みがかったサングラスをかけていた。

 このとき、私は鎮目家が里親という個人からファミリーホームと呼ばれる事業に移ろうとしていたことを知らなかったし、玲市兄さんがそこの職員さん候補だったことも知らなかった。

 ましてや、この人がのちにお義父とうさんになる人だなんて思ってもいなかった。

 ──目が悪い人はこういう仕事に就くから、今のうちに知っておこうかなって。

 ──将来のことを今から考えるのは立派だと思うけど、僕なら、まず歩いてみるかな。

 ──歩くだけ?

 ──うん、歩くと頭の中が広がるし、何より遠くまで行けたら達成感がある。

 自分の足で歩けてるって、実感することは自信になる。


 だから、歩いてみた。


 知らないことをしてみようと思った。

 この家には、どんな人たちが暮らしているんだろう。どんな仕事をしているんだろう。この家の小学生も自分と同じ学校に通っているのか、そうじゃないのか。歩いて、歩いて。怖そうな犬を飼っている家の前はゆっくりと。ほこらやお地蔵さんの前で、手を合わせるわけでもなくただ足を止めて──。

 やがて、湖に着いた。

 眩しい。

 それは、本で見る景色だって、白いページが光を反射するから同じことなのに。

 この眩しさは、躰の隅々まで感じられる。

 こんな素敵な場所に、自分の足で。

 これが──達成感なのかな。

 木陰にリュックを下ろし、振り向いて、目に飛び込んで来たのは──。


 最初は、わた飴かと思った。


 薄く薄く、向こう側が透けて見えるくらい引き延ばされたわた飴。

 それは、ちょうど私一人が通れるくらいの大きさで。

 すだれみたいに、どこからか見えない糸で吊るされていた。

 簾越しに見る湖は、何だか赤い。

 びっしりと赤いのようなものが水面に浮かんでいる。

 どうも向こう側の天気は雪らしい。

 降っている。きらきらしている。それは。


 ──ほんとうに、ゆき?

 

 肩が、びくりと跳ねた。いつの間にか、簾に触れるくらい近付いていたことに気付いた。いや、すでに指先が当たってしまったような──。

 誰か。

 足がもつれて、尻餅をついた。

 もう──目の前に簾はなかった。ただ、何の変哲もない湖が広がっていた。


 家に着く頃にはすっかり夜だった。

 初めて、みなもさんに怒られた。叱られたというより、あれは──怒ってくれていたと思う。玲市兄さんは、私が勝手にやったことなのに自分が余計なことを言ったせいだと謝りに来てくれた。

 アルビノだってこと以外で、誰かの気を引けたことが、実はちょっとだけ嬉しかった。

 でも、あの簾は──。

 気になりはしたけれど、眠れないほどではなかった。


 散歩が唯一の趣味になって、鏡花さんや里子のたちがそれに付き合ってくれて、みんなそれぞれに悩みがあって、悩んでるのは私だけじゃないんだって気付けた、そんなある日。

 かくれんぼに誘われた。

 よく知らない娘たちで、かくれんぼをして遊ぶふうには見えなかった。

 それでも、ついて行ったのは、いつも私を守ってくれる鎮目のみんなの顔が、頭に浮かんだから。ここで断ったら、きっと迷惑がかかる。

 季節は夏。

 弱視の私にとっては迷路でしかない山道を歩き回り、開けた場所に着いたところで鬼役を押し付けられた。顔を伏せて、数を数えて──あえて途中で止めた。文句は聞こえなかった。

 ああ、やっぱり。

 女の子たちはいなかった。

 そして、日傘がなかった。


 何度も転んだ。

 足許が見えにくいだけが理由じゃない。酷い目眩めまいがしていた。

 気温が高くなっている気がする。

 日に晒された肌が、真っ赤になっている。

 アルビノについてよく知らなかった頃、日傘を持たず、半袖で外へ出たことがあった。日に焼ければ、少しはまともな色になるんじゃないかって淡い期待を抱いたからだ。

 あの時は、何ヶ月も包帯を外せない目に遭ったけれど──。

 これは水ぶくれで済むのかな。みんなのところに帰れるのかな。

 涙が浮かんで、また転んだ。

 何だか、地面の感触がちくちくしている。


 見渡す限り、金属の削りカスみたいなもので覆い尽くされていた。


 手に取って、目を凝らしてみる。力を込めれば、容易くほぐれてしまうそれは。赤い──苔のようだった。

 地面だけじゃない。木まで真っ赤に染まっている──と思った矢先。

 幹の後ろから、何かがぞろりと現れた。

 怪我をしているのだろうか。弱ったふうな足取りだった。ボロボロのポンチョみたいな衣装、有刺鉄線で縛られた両腕、頭は──狐だった。鋭い歯がむき出しになった口に、今にも壊れそうな口輪くちわを着けている。目は白く濁っているけれど──。

 確実に、私を嗅ぎ付けている。

 逃げないと。

 何とか走り出して、すぐ──何かを踏んでしまう。

 網? 

 放り上げられるからだ。頭を過ぎったのは、足をロープに引っかけて宙ぶらりんにする罠。けど、違う。これは、獲物を空高くはね上げて、ただ地面に落とすことを目的とした罠。

 鈍い、音がした。

 かかと。足から落ちた弾みで、踵から──飛び出ている。

 叫び声がする。

 ああ、これは。叫んでいるのは、私か。


 くちゃくちゃといやな音がする。

 手が、足が失くなっていく。

 どこまで食べられたのかなって、見ようにも頭が動かない。

 首が折れているのだろうか。

 いや、折れたら死んじゃうって聞いたことがある。

 なら、まだ折れていないのか。


 それとも、実はもうとっくに。


 空から降るこの苔は、まだ止みそうにない。

              ※

 神社の石段を降りたところに、真っ赤なトラックトップ──平たく言えばジャージなのだけれど、手足が長くしなやかなスタイルのこの娘が着ていると、何だかサマになっている──を着たあきらがいた。自転車にまたがったまま、背を丸めてハンドルの上で腕を組んでいる。

 目が合うと、

「よう、ユキンコ」

 と言って、晶は軽く手を上げた。

 ユキンコ。それは、晶が私につけたあだ名だ。家族の中でそう呼ぶのは晶しかいないのだけれど──残念ながら一部のクラスメイトには浸透している。

 どうして、境内うえまで来なかったんだろう。

 そう思いつつ振り向いて、確かに私のためだけにこれを上るのは面倒だろうなぁと自己完結する。

「叱られるぜ」

「どうして?」

「一人だろ。危ないじゃん」

 ──危ない? 

 晶の言葉につい小首を傾げて、思い当たる。

 つくしちゃんの躰に、誰かと争った形跡はなかった。

 それでも、欠けてしまったのだから。

 長女のささめ姉さん、次女の晶、三女の私、四女の鏡花さん、五女のつくしちゃん。

 

 そこから、


 そういう気持ちになるのが、自然なことだ。

「ごめんなさい」

 声が、思いのほか深刻に響いたのかもしれない。謝んなよ──と言われ、頭を撫でられる。

 私の身長は一五〇センチ未満。一方晶の身長は、同年代のほとんどの男子より高い一七五センチ。身長差的に撫でやすいというか、つい手が伸びやすいのだろうか。

 ──今日は、スニーカーも赤い。

 晶のファッションは、いつもどこかに差し色がある。帽子が赤かったり、ピアスが赤かったり、今日はどこも赤くないなぁって思ったら、ティントリップのピンクが濃いめだったりする。見習おうとまでは思わないけれど、女の子としておしゃれにそういうこだわりを見せる姿勢は素直に尊敬する。

「ささめ姉さんとさ」

「うん?」

 仲直りしたのって、すんなり訊けないのは、二人がああなった責任は私にあるからで。

「バスケした」

「え?」

「ワンオーワンだよ。勝ったぜ」

 それは──。

「仲直りできたってこと?」

「私とささめんはただテーブルに向かい合って、さあ仲直りしましょで仲直りできるほどオトナじゃねぇってこと」

 もういいから帰ろうぜと、晶は半ば強引に会話を打ち切った。

 ささめ姉さんは──バスケ部に入っていた。去年の全国大会では優秀選手に名前が挙がっていたし、スポーツ選手として将来有望な十代の子を紹介するローカル番組でスポットを浴びるくらいの実力もある。

 それでも──。

 全力で走るささめ姉さんが、ドリブルしながら走る晶に追いつく姿が、私には想像できないし、ささめ姉さんのシュートが、晶のブロックを前にして成功する場面も、私には想像できない。

 晶は、スポーツ万能という言葉でくくってはならない域にいる。

 私がこの娘に気を許しているのは、思えば──そういうところがのかもしれない。

 晶が、顎で荷台を指した。

「二人乗り?」

 訊いて、何て間が抜けているんだろうと思う。ジェスチャーでわかったくせに。

「おお、校則違反だから内緒な」

 それでも、晶はイライラしないで、私のテンポに付き合ってくれる。

 うん、二人乗りをすれば、早く家に帰れるだろう。早く、着いてしまうんだ。あの家に。


「ねぇ、歩いて帰らない?」


 これが、鏡花さんや学校の友だちだったりしたら、きっと私はこう言うのだ。

 ──ごめん。先に行ってていいよ。

 相手が晶なら、お願いできる。もちろん気軽にとはいかないけれど、拳をぎゅっと握って丹田のあたりに力を込めれば、何とか口にできる。

「二人乗りがいやってわけじゃないの。校則違反はもちろんいけないことだと思うけど、それだけじゃなくて」

 上手く言い表せないのだけれど──。

 晶が、自転車から降りた。

 いいぜ歩いて帰ろうとだけ言って、理由は訊いてこなかった。

 もうすぐ春休み。今年で、私は中学二年生になる。

 けれど、つくしちゃんは五年生にはなれなかった。


 殺されたからだ。今の私をつくった、かつての仲間たちに。


 そんなのもう──。

 私が殺したようなものじゃないか。

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