狼の集会

 党集会の日、ジルフィアは寒風に痛む傷をさすりながら、ちらしの住所へと足を運んだ。生来、とんと政治には疎い彼女ではあったから、あのヒスイの輝きに魅せられて、夢遊病者のように引き付けられた、と言ってしまった方が正しいだろうか。


 きょろきょろと周囲を見回して、彼女はファニトレの小柄な姿を人ごみの中に見つけた。ファニトレは、党員たちの間を周りながら、また、あの愛らしい微笑みを周囲に振りまいていた。ファニトレは、ジルフィアの姿を認めると、彼女に駆け寄って、彼女が約束を果たしたことを喜んだ。


 ファニトレは、紹介したいものがいると言って、彼女をホールの奥へと連れて行った。彼女の案内する先にいたのは、不況にあえぐこの国にあって珍しく整った身なりをした、一人の青年であった。ファニトレが、青年に彼女を紹介すると、青年は新たな同志に歓迎の意を表した。

 彼女が元軍人で、知識層であり、何より女性であることが、青年を大きく喜ばせたようだった。青年は、この苦しい時代だからこそ、性別や生まれにかかわらず、全ての人民が政治的な信念を持って活動することが大事である、と語った。ジルフィアには、とんと興味のない話ではあったが。


 その後も、ファニトレは党員たちの間を歩いて回り、そのたびに、彼らにジルフィアを紹介した。そうして過ごすうち、彼らの集会が始まった。


 彼らの集会は、簡単な討論会から始まった。彼らが、彼らの理想とする社会の実現について議論を交わす最中、ファニトレもまた、積極的にその小さな手を掲げて、意見を述べた。しかしながら、彼女の意見はまとまりがなく、尻すぼみになりがちだった。どうやら彼女は、酒場の世間話は得意でも、あまり討論には向かない性分のようだった。


 その意見に誰よりも辛抱強く、また、その他の意見にもしっかりと耳を傾けていたのは、誰あろう、ジルフィアである。彼女は、ファニトレの意見に何度もうなずきながら、議論の行方を眺めていた。ある時、ファニトレがまたおどおどと意見を述べ、ほかの党員に攻撃されていると、ジルフィアはすっと背筋を伸ばし、その手を挙げた。

 彼女の表明は、初めてのものとは思えない、見事なものであった。散文的なファニトレの意見をまとめ上げ、またその中に芯を通し、彼女はすらすらとその意見を述べた。彼女の頭の中には、まるで最初からあったかのように、演説の草稿が浮かんでいた。また、彼女はファニトレへの攻撃者に対し、その矛盾を痛烈に批判した。彼女の声は、広いホールにあって通りもよく、彼女の糾弾には、聞くものの動揺を誘う、不思議な迫力が満ち満ちていた。


 ファニトレは、ジルフィアが決断的に相手を糾弾する度、あの大きなヒスイを輝かせ、音の出ないよう、小さく拍手をした。ジルフィアは彼女の笑顔を横目で見るたび、熱いものが胸にこみ上げ、また、おのれの声に熱がこもっていくことを感じ取った。この快進撃に、誰より驚いていたのは、ジルフィア本人であろう。


 やがて討論会が終わるころ、党内でも有力者らしき件の青年が壇上に上がり、この度の議論の結果について、鮮やかに総括した。彼は、討論会の功労者として、ジルフィアを壇上に招き、党員に紹介した。この小さな政治的サークルの信ずる理想の社会において、彼女のような人間こそ大きな役割を果たす、と、青年は言葉を飾って煽り立てた。

 当のジルフィアはといえば、遠くにあってなお目を引くあの緑色が、彼女自身に一生懸命に注がれていることに満悦していた。また、彼女はファニトレの立ち上がった姿が、あの故郷の女神像によく似ている、と心の内で感嘆した。


 討論会での快進撃を経て、彼女はその思想にのめり込んだ。元来、一つのことに集中するであったから、ジルフィアはその思想について、乾いたスポンジのように知識を吸収した。図書館や本屋に足しげく通い、また、党の主催する勉強会や討論会にも積極的に参加した。そんな生活の中でも、彼女の仕事ぶりはよどみなく、正確で、また、より冷徹であった。


 私生活において、ジルフィアとファニトレは、多くの時間を共にするようになった。党で意見を述べる時とは打って変わって、ジルフィアはファニトレの話に、寡黙に、辛抱強く耳を傾けていることが常だった。ファニトレの家族親戚や近所の事情について、ジルフィアはファニトレ以上に詳しいのではないかと思われた。


 やがて、彼女の顔が党内でも馴染みとなったころ、件の青年が彼女を幹部に推薦した。ジルフィアにとって、党内の立場などさして重要なものではなかったが、ファニトレが喜ぶので引き受けた。彼女の就任をもって党内の派閥は青年の優勢となったようで、青年は党首となった。


 幹部ともなれば、党内での彼女の活躍の場はますます広まった。彼女は党の会計を取り仕切ることになり、また、街頭へ出て演説を行うようになった。青年はより多くの男女を同志に迎えることを求め、彼女の演説は、その不思議な迫力に満ちた声は、その期待に大いに応えた。

 演説の場には、ファニトレを伴うことが常であった。親しみやすく、愛らしい彼女もまた、同志を大きく増やす一助となった。


 次第に、彼女の左耳があの歌を思い出すことも少なくなっていった。


 彼女の活躍も相まって、小さな政治的サークルであった党の存在は、この国の多くの人にとって無視できるものではなくなっていた。青年の期待通り、ジルフィアが元軍人で、女性であることは、大きく注目を集め、その支持を大きく伸ばす結果となったのだ。

 演説の中で、彼女は時に国の在り方を狼の群れに例えた。存続という一つの目的をもって組織され、互いに対して忠実であることを彼女は求めた。

 青年はこの演説をいたく気に入って、党の集まりを冗談めかして狼集会と呼ぶようになった。狼の群れは、野放図に、無軌道に拡大を続けた。

 ――彼らはまた、狼の名の通り、狩りをも行うようになった。その組織には、ジルフィアが従軍経験で培った、知識Know How人脈Connectionが、大いに生かされた。


 やがて、彼女らの党は、国政へとその歩みを進めた。忠実な狼たちがその躍進を支えた。


 演壇の裏で、ファニトレはそっとジルフィアに草稿を手渡し、ほほ笑んだ。ジルフィアにしてみれば、草稿の内容はすべて頭に入っており、はた目には不要なやり取りに思われた。しかしながら、このほんの少しのやり取りが、彼女の演説に力を宿すと、いつしかジルフィアは確信していた。


 表からは、狼たちの期待に満ちた声が届いていた。人々は手に党旗を掲げ、彼女の登壇を待っている。


 ジルフィアはすっと背筋を伸ばすと、ぎこちなく足を動かして、光の指す壇上へ登っていった。

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