運ちゃんの華麗なる変身

 観音様の足の横に隠れるようにして即席ラーメンを煮て食べ、観光客が現われる前にその場所を立ち去った。ヒッチハイクでは食事を素速く作って食べ、素速くその場を離れる芸当が要求される。ぼくは完全にそれをマスターし、身につけるまでになった。学校の休み時間に教室でお湯を沸してコーヒーを飲む、なんてのは朝メシ前だ。

 道路に出てヒッチハイクをはじめたが、車がほとんど通らず、ぼくたちは道端に座って車を待った。務めに出るらしい人たちが通り、登校する中学生の列が通っていった。それを低い位置から眺めていた。人々の日常の歯車が回っている。なんとなく、ぼくたちはそれから外れてしまったようなヘンな感じがした。人の目の高さではなく、道路に近い高さから眺めていると、街の風景が今までとは違ったものに見えてくる。ついきのうまで、建物のなかで暮らしてきた自分の感覚が、当たり前すぎてなんとも思わなかったその感覚が、今ちょっと遠くに感じられる。地面に寝て、路上で暮らす人の感覚に一歩近づいたのだろうか。

 やっと止まった車は大谷石を積んだ小型トラックだった。ぼくとトシが座席に乗り、ヒデがリュックと一緒に荷台の石の隙間に乗った。道路のせいか、車のせいか、ガタガタとやけに揺れた。心配して荷台をのぞくと、ヒデは手足をふんばって揺れる石を必死で押さえていた。「わりぃ、今度代わるからな」

 日光街道の交差点で降ろしてもらった。「ケツが痛てえ」「体がまだ揺れている」と言って、ヒデはリュックを胸に抱いたままよろよろと歩きだし、ドブにはまった。

 日光の駅へ行くというトラックが止まってくれた。ただし一人は座席の下に隠れろ、と言う。定員オーバーが見つかると5000円の罰金だそうだ。ぼくが足元の床に座った。そのぼくに運ちゃんが「スマンな兄ちゃん。最近取り締まりが厳しくてな」と声をかけてくれた。

 「5000円だよ、5000円。まったくこのごろの警察は金もうけばかり考えている」

 と、運ちゃんは警察の悪口を言い、取り締まりの手口や自分が捕まったときの話をした。ぼくらはそれを聞いて、笑いころげた。ぼくは不自然な姿勢で笑っていたから、体のあちこちが痛くなり、途中でトシと代わってもらった。

 トラックは日光駅の裏の広い構内に入って止まった。ここでなにか荷物を降ろし、なにか荷物を積むらしい。お礼のつもりで、ぼくたちもそれを手伝った。運ちゃんはセッタにだぼだぼの作業ズボン、ダボシャツの上に腹巻をのぞかせ、首に巻いたタオルで汗を拭いながらテキパキと作業を進める。トラックの運ちゃんがみんな似たような恰好をしているのはこのためだったのだ、とぼくは納得した。運転するだけでなく、荷物の積み下ろしもしなくちゃいけないのだ。

 運ちゃんが一人で運ぶ荷物を、ぼくらは三人がかりで、やっとこ運ぶ。手助けどころか、かえって邪魔になったのではないだろうか。それでも運ちゃんは、作業が終わったとき「ありがとう、助かったよ」と言ってくれた。そして旨そうにタバコを吸う。その太い腕とがっしりした肩と腰。その運ちゃんを、ぼくはカッコいいと思った。当時は運ちゃんがだいぶ大人に見えたものだが、いま思うとその運ちゃんも二十歳を少し過ぎたぐらいかもしれない。

 ぼくらが礼を言って別れようとすると、「いいか、日光に来たんなら、東照宮を見なくちゃダメだ。すぐそこだから連れて行ってやる」と、運ちゃんはぼくらをトラックに乗せて街の中へ走りだした。「このあと会社へ帰って荷を降ろしたら、午後から体があくから、そしたらおまえらを中禅寺湖に案内する」ということだった。

 運ちゃんは、ずらりと並んだ観光バスの間に割り込むようにしてトラックを止めた。ぼくらは次々に飛び降り、荷台からリュックを降ろした。「二時間後、ここで待ってろ。しっかり見てくるんだぞ。あとでテストするかな」と大声で叫びながらトラックは出ていった。そのバックミラーに向かって、ぼくらは手を振った。それを、修学旅行の女子生徒たちや外人の団体が見ていた。恥ずかしくて、逃げるように早足で東照宮へ向かった。そのつもりだったが、リュックが重くて下を向いてのっしのっしと象のように歩くのが精一杯だった。東照宮を見て歩きながら、ぼくらはずっと違和感を感じていた。団体客でいっぱいのこのような観光名所にはぼくたちは似合わない。ぼくたちのやりたかった旅はここにはない、とはっきり認識した。

 約束の時間にガードレールに腰掛けてさっきのトラックを待っていると、手も上げないのに白い乗用車が止まった。助手席の女性がぼくらを見上げ、ドライバーが後ろの座席を指差して「乗れ」と合図した。ぼくらは「車を待っているところです」と断わった。すろと、ドライバーが降りてきて「おい、オレだ、オレ」と言った。さっきの運ちゃんだった。ぼくらはトラックで来ると思い込んでいて、さっきからトラックばかりを目で追っていたのだった。しかし考えてみれば、仕事を終えてくるのだからトラックのはずがない。それにしても・・・と、ぼくらは驚いた。作業ズボンにダボシャツと腹巻が、一転して白いコットンパンツにポロシャツというさっぱりした格好に変わり、まるで好青年といったふうなのだ。そのうえ美人まで連れているのだから。こうも人が変わるものだろうか。

 「デートですか? 邪魔しちゃうみたいで悪いですね」と言うと、「子供は変な心配をするんじゃない」と車を走らせた。

 彼女は小柄で本当にきれいな人だった。助手席から身を乗り出すようにして手を伸ばし、後ろのぼくたちにお菓子をわけてくれる。その彼女にドライバーはぼくらのことを話した。

 「な、あのリュックを見ただろ。ヒッチハイクで旅行をしているそうだ。それも社会勉強だと思って、だと。中学生なのにえらいもんだ。おれたちより、よっぽどしっかりしている」などと言っては、「そうだよな」とぼくらに聞く。ぼくらは後ろの席でかしこまりながら、「ええ」「まあ、そうです」とくすぐったい気持ちで答えた。

 中善寺湖の湖畔に車を止め、ぼくらは降りて深呼吸をした。とうとう来たぜ、と口には出さず叫んだ。風の中に水や森の匂いを感じ、ぼくらは三人とも、なんともいいがたい満足感のようなものを噛みしめていた。

 「遊覧船の会社に知り合いがいるから、乗せてもらえるようにしてやる」と運ちゃんは言って、彼女を残したまま走っていった。その間にぼくらは彼女に向かって、運ちゃんがどんなにいい人か、仕事をしているときどんなにカッコいいかを力説した。彼女はニコニコして、それを聞いていた。

 遊覧船の事務所から運ちゃんが船のキップを持って戻って来た。

 「無事に東京に戻ったら葉書の一枚でもよこすもんだぞ」

 出航のドラが鳴っていた。

 「ええ、そっちももし結婚したら知らせてください」

 「よけいなことばかり言って、都会のガキは・・・」と、ぼくたちをこずいてタラップへ急がせる。

 船が棧橋を離れてもなおしばらく、二人はぼくらに向かって手を振り続けた。ぼくらも黙って手を降り続けた。

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