不思議なカップル
ヒデが後ろを振り向いて、目で誰かに挨拶を送った。ぼくもトシもびっくりして振り向いた。待合室の隅に、大学生ぐらいの男女が肩を寄せ合って小さくなっていた。 そのカップルとぼくたちは目線で挨拶を交わした。そこには大惨事を生き残った者同士のような親密感と気恥かしさがあった。男は彼女の肩を抱いてなにやら話し、立ち上がって「それ、テントですか」とトシのリュックをさして言った。トシのリュックの上にはテントの入った黄色い袋がくくりつけてあった。
「あの酔っ払いが戻ってこないうちにどこかへ行きましょう。そのテントに入れてくれるなら、タクシー代を出しますから」
彼女もベンチで盛んにうなずいている。一刻も早くここを立ち去りたい、というふうだ。
トシを残して、ぼくとヒデでタクシーを探しに行った。時計を見ると、夜中の二時を過ぎていた。駅前に止まっているタクシーはなく、少し離れたところにタクシー会社の灯りが見えた。受け付けの窓を開け、部屋で休んでいるドライバーたちに事情を説明して、タクシーを出してもらうよう頼んだ。「知らない人と行かないほうがいい」とタクシー会社の人は言った。
「そういえばあのカップル、こんな夜中になにしているんだろう」とヒデがつぶやいた。ぼくもそれがさっきから気になっていた。二人ともほとんど口をきかず、深刻な顔をして身を寄せ合っていた。紙袋一つで荷物もほとんど持っていないのに、どこへ行くつもりだったのだろう。駆け落ちかな? でも駆け落ちだったら二人だけでどこかへ行くだろう。だいいち、ぼくらのテントに入れてくれというのもヘンだ。
そう考えてちょっと不安になったとき、「よし、オレが行こう」とドライバーの一人が車を出してくれた。ぼくらはそれに乗って駅へ帰った。
リュックをトランクに詰め込み、ぼくとヒデは前の座席に座った。後ろはトシとカップルだ。男が「鬼怒川へ行こう」と言ったが、ドラーバーは「テントを張るだけなら、大谷観音が近くていい。まかせなさい」と勝手に決め、夜中の街を猛烈なスピードで走り抜けた。
大谷観音がどういうところか、ぼくらは全く知らなかった。ドライバーは入口の駐車場で車を止め、「その道を少し行けばひらけた芝生があるから、そこがいい」と教えてくれた。「キャンプ場じゃないから、朝早く、観光客が来る前にテントを片付けるんだぞ」と言って、タクシーは戻った。タクシーが行ってしまうと、足元も見えないほどの闇が現われた。ぼくらは手探りでリュックの中から懐中電燈を取りだし、カップルをかばうようにして歩いた。
崖の下に芝生があった。懐中電燈であちこち照したが、まわりの状況はつかめない。かなり広く、平らな芝生らしい。荷物をほどき、手分けしてテントを張る。トシの借りてきたテントは大きく、しかも初めてなので扱いにくかった。懐中電燈の光はあまりにも頼りなく、限られた部分しか照さないので、からまった紐をほどいたり、落としたペグを探したりするのにも手間取り、なかなか作業がはかどらない。カップルは闇の中に立って見ているだけで、手伝おうともしなかった。(ヒッチハイクでは夜中にテントを張ることが非常に多い。まず自分のテントに馴れておくことだ)
ようやくテントが立ち、カップルを呼んだ。闇の中からすうーっと白いスカートが現われた。そうだ、白いスカートだった。男は確か赤いポロシャツとスラックスだったと思う。ぼくたちは二人をテントの一番奥に入れ、入口にリュックを出して寝た。みんな、なかなか寝つけない様子だった。
ヒデの声で目が覚めた。入口側で寝ていたはずのヒデが、外で「なんだ、これは」と叫んでいる。5時30分。ろくに寝ていない眠たい目をこすって外をのぞくと、まだ明けきらぬ薄明かりのなかに巨大な観音像が立っていた。崖だと思っていたところは、切り立った岩壁に刻まれた大谷観音だったのだ。その足元に立ってヒデが手を合わせている。ぼくもヒデの隣に立ち、手を合せた。とにかく、こうして朝を迎えることができたことに感謝しなくっちゃ。トシが、続いてカップルの二人もテントからはい出して観音像を見上げ、ぼくらの脇に並んだ。ぼくらはまるでガリバーの国の小人のようだった。
「スゲー」「デカイ」と何度も口に出して言ったあと、ぼくらは「ヤバイ。人が来る前にテントを片付けよう」と、テント解体作業にかかった。カップルはやはり見ているだけでひとつも手伝わなかった。テントをたたむのに苦労しながら、ぼくはときどきカップルの様子を横目で見た。彼らはほとんど話もせず、ぼんやり立っているだけだった。彼女の白いスラックスが芝の夜露に濡れていた。スラックス? 確か昨夜はスカートだったはずだ。いったい、いつ着替えたのだろう、しかもあの狭いテントの中で・・・と、手だけは動かしながらぼんやり考えていた。そして、気がつくといつのまにかふたりは消えていた。
テントの袋をリュックにくくりつけ、ゴミを落としていないか、芝生を点検しながらぼくは訊いた。
「あのカップル、どこへ行った?」
「知らない。さっきからいないよ」
「帰ったんじゃないの」
二人を探したけれど、どこにも見当たらなかった。
「なんだ、あいつら。帰るんだったら一言挨拶していけよ」と、ぼくらは不満をぶつけ、なんかよくわからない連中だなと話し合った。
「それに、いつのまにか着替えている」
「あれっ、おまえも気が付いた?」
三人とも誰一人、彼女の着替える気配を察知した者はいなかった。
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