正義のヨッパライ
そこはドライブインというよりも、たんなる国道脇の小さな食堂で、ただ広い駐車場があるというだけのものだった。まわりに人家はなく、車の通りも少なかった。真っ暗な中にそこだけ暖かそうな灯りがともっていた。その温もりにひかれて中に入り、ぼくは牛乳を買って、持ってきたパンを食べた。食べてみて、初めて空腹に気付いた。もっと食べようとすると、ヒデが怒りだした。
「ここはまだ途中なんだから。メシはちゃんとどこかに着いてからだ」
それでちょっとケンカになった。
「腹が減っちゃイクサはできねえ」
「あとで欲しいって言っても、オレの弁当あげねえからな」
「いらねえよ、そんなもの」
トシはもくもくと自分のおにぎりを食べていた。
水筒の水を捨て、かわりに食堂のお茶を詰めてから、ぼくたちは駐車場の前でヒッチハイクを始めた。駐車場に止まっているトラックがぼくらを拾ってくれるかもしれない、とズルイことを考えたのだ。すると、食堂から出てきた男がぼくらを乗せてくれると言って、自分の乗用車を指差した。ヤッター、乗用車なら楽ちんだと喜んだのも束の間、方向が反対で断念するほかなかった。
ぼくらは国道に三人離れて並んだ。先頭がぼく、次がトシ、それからだいぶ離れてヒデ。つまり、こうだ。まずぼくが前方にトラックを発見してヒッチサインを送る。運ちゃんが、「あれっ、なんだろう」と思ったところで、トシがダメ押しのヒッチサインを出す。もしそこでブレーキをかければ、ちょうどヒデの前あたりで車が止まる。リュックは三つともヒデの足元に置いておき、交渉成立となればぼくとトシがすぐ駆けつける、という作戦である。
案の定この作戦は成功した。止まったのは小型トラックで、運ちゃんの指示ですばやくリュックを荷台に放り上げ、助手席につめて座った。運チャンは顔に深いシワを刻んだ初老の人で、ヒッチハイカーを乗せるのは初めてだ、と小さな目を見開いて言った。
「どこまで行くんか?」
「日光」
「日光へは行かんな」
「途中までで結構です」
「じゃあ、宇都宮だな。その先は車もあまり通らんだろうから、電車で行くんだな」
途中、信号もないのに渋滞で止まった。はるか前方に黄色いランプがいくつもチカチカしているのが見えた。
「事故かな。お巡りに見つかるとマズイから、一人降りて、歩け」
と言われて、窓がわに座っていたぼくが降りた。スポーツカーがひっくり返って潰れていた。そのまわりに警官がうじゃうじゃいて、道路にチョークでなにかを書いたり、トランシーバーで交信したり、うろうろしたりしていた。その様子を眺めながら、ぼくはその横を歩いて通過し、しばらく行ったところで待っていてくれたトラックに乗った。
「すごかったですね、今の事故。安全運転で行きましょう」
とぼくは言ったのに、運ちゃんは空いた国道をびゅんびゅん飛ばし、すぐ前に車がいれば必ずそれを追い越した。ちょっと怖かった。
トラックを降りるとき「あっちが駅だ」と運ちゃんは教えてくれたが、そのあっちがどっちなのか、よくわからなかった。街の中には違いないが、店はほとんど閉っているし、車も人もあまり通らない。とにかく行こう、と歩いていたらお巡りさんに捕まってしまった。ヒッチハイクをしているとよくお巡りさんの職務質問にあったものだ。不振人物というよりも、心配して声をかけてくれたのだろう。危険なことはしないほうがいい、というわけだ。だけど、そんなことを言っていたら何もできやしないのである。
ぼくらは交番に連行され、名前と住所、電話番号、それに親の名前も書かされた。車に乗せてもらって国道で降り、これから電車で日光へ行く。明日は文化祭りの代休で、決して学校をサボッているわけではない、などと必死で説明し、駅への道順を聞いた。日光は物価が高いとか、このへんは夜はこわいところだとか脅かされ、すぐに電車で家に帰るよう説教された。親に連絡されるのかなあ、と心配しながらぼくたちは駅へ向かった。
駅に着いたとき、時計は0時近くを指していた。日光へ行く電車はもう終わっていたので、今夜は待ち合い室のベンチで寝ることにした。待合室は意外と明るく、人の出入りも多かった。ヒデは水筒のお茶を飲みながら、のり巻きのお弁当を食べた。ぼくらには一つもくれなかった。ぼくはトシが残しておいたおにぎりを一つもらった。お腹が落ち着くと眠くなってきた。少しすれば人も減るだろうから、それまでトランプでもやっていよう。さっきから向かいのベンチで酔っ払いたちが大声を上げて騒いでいたから、彼らと目を合わさないようにするためにも、何かをやっている必要があった。あまり面白くもないトランプゲームに熱中しているふりをしながら、ぼくたちはときどき酔っ払いたちの様子をうかがった。二人の酔っ払いがベンチを占領してビールや酒を並べ、三人目の酔っ払いが出たり入ったりしている。どこかで残飯や酒の残り物なんかを探してくるらしい。
電車の到着と発車のアナウンスがあり、人がざわざわと動いて、見回すと待合室にはぼくらのほかに誰もいなくなっていた。酔っ払いたちもいつのまにかどこかへ消えていた。今までのベンチをヒデが使い、隣にトシ、ぼくは向かいのベンチに移った。さっきまで酔っ払いのいたベンチだ。いつ人が入ってくるかわからないから、寝れるうちに眠っておこうと、ぼくはリュックを枕にして横になった。こうすれば荷物を盗まれることもない。
どのくらいたっただろう。ぼくは夢を見ていた。夢の中で酔っ払いがわめいていた。それは夢ではなかった。二人いた酔っ払いのうちの一人が帰ってきて、「そこはオレの席だ」とぼくに向かって怒鳴っていた。
「てやんでえ、おい、学生。ふてえヤローだ。ちょっと目を離せばコレだ。油断もスキもあったもんじゃねえ。どけっ、てんだよオ」と、ぼくの顔に酒臭い息を吹き掛ける。ぼくは完全に目が覚めたが、怖くて目を開けることができなかった。身動き一つできずに、ぼくはそのまま眠っているふりを続けた。ヒデもトシも助けに来てくれる様子もない。きっと彼らも寝たふりをしているのだろう。薄情なやつらだと思ったが、そのうち酔っ払いはぼくから離れてベンチの間をうろうろし始め、どこかのベンチを蹴っ飛ばす音が聞こえた。これじゃやつらも寝たふりをするしかない、とぼくは納得した。とにかく刺激しないことだ。
ところが、酔っ払いは自分の声にますます興奮し、「ちくしょう」とか、「このやろう」と怒鳴りながら歩き回る。ぼくのところにだけは来ないでくれ、と祈った。(いざとなると、友達を見捨ててでも自分を守ろうとする。くやしいけれどぼくもそうだ、とつくづくわかった)。バチが当たったのか、酔っ払いはまたぼくのところにやってきた。「おい、学生! 学生だからって偉くねえんだ。オレだって英語ぐらい知ってるぞ」と、わけのわからない英語をがなりたてた。そして「どうでえ、答えてみろ」と待合室のがらんとした空間に怒鳴る。待合室は静まりかえったままだ。
「なんとか言ったらどうでえ。オレとは口がきけねえってのか」
すぐそばでビンの割れる音がした。ぼくは思わず身を縮めた。しまった、眠ったふりがバレてしまう!
「くそっ、殺したろか」という声がして、酒臭い息が顔にかかった。薄目を開けてみると、ぼくの喉元に割れたビールビンが突きだされていた。すーっと血の気が引いていくのがわかった。
そこにやってきたのが正義の酔っ払いである。
「子供相手になにやってんだ、ボケ!」
三人目の酔っ払いのようだった。たぶん新しい酒をぶら下げていたのだろう。
「いいから、あっちで飲もう」
と、まだブツブツ言っている酔っ払いを連れだしてくれた。助かった!
薄目を開けて、酔っ払いのいないことを確かめてから頭を起こし、まわりを見回した。ぼくの顔のすぐ下、ベンチの足のそばにビールビンの破片が散乱していた。欠けたビールビンの本体は見当たらなかった。ふーっ、と大きく息を吐いてぼくは天井を見上げた。ヒデとトシが起き上がり、あたりをキョロキョロうかがいながらぼくのまわりに集った。
「大丈夫かよ」
二人はぼくの体や喉元あたりを確認するように眺めて言った。
「死ぬかと思った」
ぼくは外の様子を警戒しながらつぶやいた。声が震えていた。次いで、体が震えてきた。震えながらタオルで額の汗を拭った。背中もびっしょり濡れていて、ヒンヤリ冷たかった。これが冷や汗なのか、とヘンに感心した。
「あの酔っ払いかっこよかったな。オマエ、命の恩人だぞ」と、ヒデが言う。
「うん。正義のヨッパライだ」と、トシがうなづいた。
夜中はどんな危険が待っているかわからない。このあとのヒッチハクでも、何度も駅の待合室で寝たが、その前にぼくは用心深く周囲を観察し、安全に気を配るよう心掛けた。そしていつのまにか、危険の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚が発達していったように思う。
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