どこから始めるか

 秋の文化祭のあと、代休と祝日で連休になるから、二泊三日でいけるところ、そうだな、日光あたりはどうだ。ヒッチハイクの練習が目的だから、行き先はどこでもいい、それよりも親になんて言うかが問題だ。でかいリュックを背負って友達の家に遊びにいくとも言えないし、山に登るって言ったら反対されるに決まってる。と、まず最初の難関について話し合った。

 こういうとき、トシはノッポのわりに不思議とチエが働く。正直にキャンプに行くって言えばいいんだよ。ヒッチハイクが成功するかどうかまだわかんないんだから、そんなことは言う必要がない。というわけで、トシは叔父さんから、ぼくは兄からキャンプ用品を借り、なにも持っていないヒデは家で使っている毛布や米やショウユを持ってくることになった。

 トシが一緒だというだけで、ぼくやヒデの両親は旅行を0Kしてくれた。なにしろトシは学年の1~2番の成績を競う優等生だった。どちらかというと劣等生のぼくやヒデとどうして友達になったのかは、クラスの7不思議のひとつだった。

 文化祭の翌日は後片付けだけで授業がなく、午前中で学校が終わった。ぼくたちは急いで家に帰り、支度を整えてから上野駅に集合した。実は、どこから出発するかというのは大きな問題なのだが、北へ向かうんだったらやはり上野だ、しかも日光街道(国道4号線)が駅前を通っている、というトシの意見になんとなく従ってしまった。それが間違いだった。

 駅の待合室で、それぞれのリュックが均等になるように荷物を移しかえ、水筒に水を詰めて準備完了。四時五分、時刻を確認してぼくらは意気揚々と改札を出た。ところが改札を出たあと、さてどっちへ行ったらいいのかがわからない。目の前がタクシー乗り場、その向こうがデパートで、右手にはガードと横断歩道。信号が変わるたびに人混みに巻き込まれて、じっと立っていることさえ難しい。どうしよう? 相談した結果、とりあえず改札へ戻って道をきくことになった。

 「日光へはどう行くんですか」と訊いて、ぼくはヒデに小突かれた。駅員は列車のホームと乗り換え駅をていねいに教えてくれた。

 「そうじゃなくて、日光街道、いや国道4号線はどこですか」とトシが聞き直してくれた。トシの調べた通り、国道はすぐそこだった。

 いよいよヒッチハイクを試してみる番だ。おまえヒッチサインを練習したか、などと言いながら、三人とも胸をドキドキさせて道を急いだ。国道へ出てみて、ガクゼンとした。車が渋滞していたのだ。

 そもそもヒッチ・サインは、走っている車を止めるためのもので、はじめから車が止まっていてはどうしようもない。たとえ、ぼくたちを乗せようという車があっても、この渋滞では歩道側に車を寄せることもできないだろう。

 どうする? どうするったって、どうしようもない。

 「やっぱ、途中まで電車で行くか?」と言うトシに、ぼくとヒデは反対した。

 「途中って、どこまで行けばいいんだ? そんなこと言っていると、結局日光まで電車に乗っちゃうかもしれない。だめだったら歩く。それがヒッチハイクというものだ」

 ヒデは女のように体の線が細く、一見弱そうに見えるのに、意地っ張りで強情だ。その体でラグビー部に入っているというのも7不思議のひとつなのだが、他の部員もみんなチビやヤセばかりで、ラグビーというよりドッチボールをやっているようにしか見えない。それはともかく、ヒデには根性だけはたしかにあった。

 とにかく最初なんだから基本に忠実にいこうと、ぼくらは重いリュックを背負って排気ガスの中を歩いた。歩いても歩いても、同じような渋滞が続いていた。ヒデはムキになってずんずん進む。それを追いかけるようにぼくとトシが続く。汗が流れ、そこに排気ガスが加わってベタベタ粘り着き、気持ち悪かった。その上、ぼくのリュックはバーナー(コンロ)やコッフェル(鍋や食器のセット))などの金属製品が入っていて、詰め方が悪かったのか背中にゴリゴリ当たり、痛くて重くて泣きたくなるほどだった。三人ともほとんど話をせず、地面を睨みつけながら歩いた。リュックが重いとどうしても背がかがみ、顔が下を向くのだ(これでは視野が狭くなって危険だ。周囲への注意を怠ってはいけない)。そうやって2時間あまり歩いた。

 大きな川に大きな橋が架かっていた。千住新橋とある。陽が沈み、空にはひとつ二つ星が瞬きだしていた。10円のアイスキャンディー(どのくらい昔のことかわかるだろう)を買って、しゃぶりながら橋を渡った。本当は、無銭旅行なんだから1円もお金を使わないつもりでいたのだが、この際しょうがない、非常事態ということで許してもらおう、と三人で相談して決めたのだ。(以後、このような例外は少しづつ増えていく)

 橋を渡ってしばらくすると、車も順調に流れるようになっていた。アイスキャンディーで少し元気を取り戻したばくらは、歩きながら「ヒッチサインはこうやるんだ」と言って、次々に手を上げてポーズを取り、批評し合った。

 「そうじゃなくて、こうだよ。この手首の返しが重要だ」と、トシが実演してみせたとき、日通のでかいトラックがブレーキをかけ、前方で止まった。一瞬、なにが起こったのかわからず、三人ともポカンとして顔を見合せた。

 「おい、止まったよ」

 ヒデが叫んで、あわてて手を振りながら走った。そのヒデに、ボワッと黒い煙りを浴びせてトラックは走り去った。失敗した。車がブレーキをかけて止まろうとしたら、とにかく全力疾走して車に追いつくこと。そのために、リュックは足元に置いておこう、と話合い、再びチャレンジした。

 車は切れ目なく流れていた。近づいてくる車に向かって手を上げ、「乗せて」という意思表示をするのがヒッチサインなのだが、車が多くてそうはならず、手はずっと上げっぱなしだった。すると、乗用車がウインカーを出して歩道側に近づき、ぼくらの前で止まった。タクシーだった。何度やってもタクシーばかりが止まった。その度にぼくらは手で大きなバッテンを作り、ごめんなさいをした。

 「屋根の上にランプの付いているのがタクシーだ」と、トシがみんなに教える。

 「そんなこと、知ってるよ」

 「今ごろわかったの」

 とにかく、遠くにそれが見えたらヒッチサインを中止すること。乗用車ではなく、トラックを狙ってサインを出すこと。この二つを確認し合い、場所をかえてもう一度チャレンジした。失敗を重ねながら少しずつ学んでいくものなのである。

 ぼくは精一杯笑顔を作り(この笑顔が大切だ)、近づいてくるトラックの運転席を見つめてサインを贈った。ぼくからはドライバーの顔は見えないが、向こうからは見えるはずだ。あんたよ、あんた、お願いだから乗せて、と目で訴えた。トラックが何台も通り過ぎていった。目の前を通過するとき、チラリと運転席を見たら、ドライバーがぼくに向かって手を振っていた。それでも、ぼくらは懲りずに続けた。

 「おい、場所をかえようぜ」と、ヒデがぼくのそばにきて言った。

 「でも、こんな見通しのいい所なかなかないぜ」

 と言うぼくに、ヒデが目線で合図をする。その目線を追うと、道路の向かい側、ぼくのちょうど正面に女子高校生(たぶん)が三人いて、ぼくらに向かって手を振っていた。ぼくらがトラックに向かって手を振るたびに、彼女たちが笑いながらぼくらに手を振るのだ。ヒデはそれが恥かしくてたまらないと言う。

 「いっそヒッチハイクをやめて、ナンパしようか」と言いながら、ぼくらは再び場所をかえるために歩き始めた。ふり返ると、彼女たちが手を振っていた。ぼくらも手を振ってそれに答えた。バイバイ、また今度な、と。

 7時近くになっていた。排気ガスで喉はガラガラ眼はチカチカ、笑顔を作る気力もなくなった。今日は橋の下で寝ようか、と本気で考えた。そのとき、ぼくらの前でトラックが音をたててブレーキをかけ、前方で止まった。ヒデがダッシュする。トラックの前輪に足をかけて、助手席の窓を叩き、なにやら話をしてからヒデがOKマークを出すのが見えた。ぼくとトシはリュックを背負い直し、道に置かれたヒデのリュックを持って駆けつけた。

 「三人っけ。ケツさ乗れや」

 と、後ろを指差す運転席の男に、ぼくらはそれぞれ「ありがとう」を言って荷台によじ登った。発車と同時に、ぼくらはずっこけた。ずっこけながら、笑い転げた。やったぜ! (以後これを記念して、千住新橋が北へ向かう時の出発点となった)

 トラックは砂を運んだあとらしく、荷台のあちこちに砂がたまっていて、流れこむ風に巻き上げられてぼくらを打った。足を踏んばり、片手で荷台の縁をしっかりつかみ、もう片手でリュックを押さえて振動に耐えていたから、顔に当たる砂を避けることもできない。荷台が大きく揺れるたびに体が弾み、背中とお尻を打った。風が冷たくて、汗が冷え、そのうち体の芯まで冷えてきた。体を支え合いながら、リュックからジャンバーを取りだして着た。ヒッチハイクも楽じゃない、とつくづく思った。

 トラックが信号で止まると、すぐ隣にバスがやってきて並んで止まった。ぼくらの顔のすぐ上にバスの窓があった。乗客がぼくらを見下ろしている。手を振る子供もいた。荷台に寝そべるようにして身を隠そうとしたが、どうやっても丸見えだ。彼らの目にぼくらはどう映っているのだろう。ちょっぴり情けない気持ちになった。

 市街地を過ぎて真っ暗な国道を走っていたとき、ふいにトラックが止まった。運転席の窓から出た手が「降りて前へこい」と合図していた。ここで降ろされるのかな、と不安になりながら手渡しでリュックを降ろし、最後にぼくが荷台から飛び降りた。すると、助手席のドアが開いて、前へ乗れ、と言う。リュックを荷台に戻し、ぼくらは半分腰を浮すようにして助手席に詰めて座った。本当は定員オーバーで乗せることはできないが、荷台じゃ寒いだろう、ということだった。

 運ちゃん(以後、親しみをこめてこう呼びたい)は、引っ掛けたシャツの間から腹巻きをのぞかせ、頭に手拭いのハチマキを締めて、つぶれた声で聞き取りにくい方言をしゃべった。腕に入れ墨がチラチラのぞく。一見、コワイ人のように見えたが、笑ったときの目がとてもやさしいかった。

 人は正直でなければいけない。オレは十九で結婚し、三人の子供がいる。昔はさんざんワルをやったものだが、社会に出て働いてみて、正直に生きていれば誰かが必ず認めてくれることを知った。ごまかしていい思いをしようとしても、いつか必ずその報いがくる。というようなことを運ちゃんは力説した。その話にぼくらは何度もうなずいた。

 運ちゃんはヒッチハイクについて教えてくれた。今まで三回ヒッチハイカーを乗せたことがあるそうだ。トラックを転がしていると、なるべくブレーキをかけずに一定のスピードで走り続けようとするものだ。それなのになぜ、わざわざ車を止めてハイカーを乗せるのか。それは話し相手が欲しいからだ。一人で長距離を運転していると、退屈したり眠くなったりする。そうでなくも、ヒッチハイカーから旅の話を聞いたり、人生について語りあったりするのは楽しい。つまりギブ・アンド・テイクってやつだな。だからおまえらも何かしゃべれ、と言う。

 しゃべれといわれても、ヒッチハイクはこれが初めてだし、ぼくらは中学三年だから人生についてもロクに語れない。それよりももっと運ちゃんの話が聞きたい。学校にいるだけではわからない世界がある。それを知りたいから、ただの旅行ではなく、ヒッチハイクをしようと思ったのだと話すと、運ちゃんは「君たちはエライ」と言った。学校の勉強も大事かもしれないが、本当に学ぶべきものは社会の中にあるのだ。国道がおまえたちの学校だ。いろんな人に会い、いろんな人の話を聞き、いろんな人がいろんなことを考え生きていることを知ることが大切だ。どんなエライ政治家でも社長でも、底辺で社会を支えている人たちのことを知らないヤツは最低だ。オレはロクに勉強もしなかったが、おまえたちはしっかり学問を修めてエライ人になるかもしれない。そのとき、庶民のことがわかる人間になって欲しい。と、運ちゃんは語った。

 トラックはドライブインの前で止まった。この先で違う道へ曲るから、降りて他の車を拾え、ということだ。「初めてのヒッチハイクの記念だし、あとで礼状を出したいから」と、ぼくは運ちゃんの名前と住所を聞いたが、教えてくれなかった。「こんなヤツもいた、とだけ覚えていてくれればいい」と笑って手を振った。

 「ガンバレや」

 ぼくたちは礼を言い、去っていくトラックに頭を下げた。

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