第4話 いくつかの推測と容疑者たち

「おろそかにはできないって何のこと?」

 スナックを頬張った凜音が誰にともなく尋ねる。

 飲み物は冷蔵庫に仕舞われ、謎の白い箱もいつの間にかテーブルから消えていた。今は舞が大皿に華やかな盛り付けをしている最中だ。生ハムやチーズのカナッペはもう皿の半分を埋めようとしている。

「ミルザはムスリムなのかもしれないわね」

 舞が作業の手を止めずに言った。

「ムスリム? イスラム教徒?」

「ウズベキスタン出身なんでしょう彼女。ウズベク人なら多くはムスリムだわ。イスラム圏内では白いバラが預言者マホメッドを、赤いバラが唯一の神アッラーを示す場合があるの」

 舞は宗教や民俗、古い伝承伝説について洋の東西を問わず多くの知識を持ち合わせている。私はそれらが仕事で活躍するところを見たことは一度もないのだが、今回はひょっとするとひょっとするのかもしれない。

 凜音がまたスナックに手を伸ばした。

「ミルザが犯人って可能性もないじゃないわけだ。宗教の面から見ると」

「メッセージを残すとして、相手の宗教上の象徴なんて持ち出すでしょうか」

 綾香が真っ当な批判を投げた。舞が笑って、そうねぇと上を向く。

「バラは6月の誕生花にあるけど、容疑者の中に6月生まれは?」

 綾香が画面をスクロールした。

「ミルザがそうです」

「誕生花って世界共通? てゆーかそれぞれの誕生日も書いてあるわけ、その資料」

「出身地も記されています」

 呆れ顔の凜音に綾香が追い打ちをかける。

「被害者エマはカナダのケベック州。ローズマリーはイタリア、ナポリ生まれ。ミルザはウズベキスタン。リナはアメリカのオハイオ州。マークは」

「イギリス! 霧の街ロンドン!」

 凜音が素早く先取りして言った。舞が微笑み、綾香が頷く。

 やはり、と私は思った。所員たちは間違いなくマーク・テイラーなる人物を知っている。

 ただ皆、知人に殺人容疑がかけられているにしてはあまりに暢気だ。この一件の裏には何か私の知らない秘密があるように感じられてならない。

 舞がまた斜め上を見上げた。

「バラの花言葉に関係が……、なんてダメねきっと。色や形があってこその花言葉だもの」

「花言葉って例えばどんな?」

「棘のないバラなら『誠意と友情』、赤いバラの蕾なら『あなたに尽くします』とか。色も形もたくさんあるバラには、花言葉もたくさんあるの。特定はできないし関係があるとも思えないわ。でも、そうか」

 言いながら何か思い付いたらしい。舞が真顔になった。

「花言葉とは違うけれど、バラはずばり『花形』を意味することもあったわ」

「死んだエマが花形なんじゃなかった?」

「いるでしょ、その座を追われた元花形が」



 捜査員に呼び出されたリナ・マリガンは険しい表情で言った。

「エマに呼ばれて寮に忍び込んだマークが彼女を殺したのよ」

 眉根を寄せた捜査員に、リナはずずいと顔を近付けた。

「私、見たの。0時半くらいよ。エマが廊下の電話機を使ってた。人に知られたくなさそうだったから声はかけなかったけど、そのあと彼女、裏口の鍵を開けに行ったの。誰が来るのか気になったから、私ずっと裏口を見張ってた。10分くらいしたら、マークがこっそり入って来たわ」

 とうとうを戻したのか。リナはそう納得して自室に帰ったという。

「ええ。エマを憎んだ時期もあったわ。疑われても仕方がないと思う。でも私は心を入れ替えた。他の団員もそう認めてくれてる。彼女の分まで、私はこれまで以上に頑張るわ。エマがいない今、主役を張れるのは私だけだもの」

 エマが電話機を使うのを見たというリナの証言はミルザが語った内容と一致する。では、と今度は捜査員が身を乗り出した。『rose』という言葉で思い当たることは? 

 リナはかぶりを振った。

「分からない。けどきっとマークに関わる何かよ。そうに決まってる」

 そしてとうとう最後の重要参考人マーク・テイラーが呼び出された。

 ミルザとリナ、2人の証言を信じれば、エマと最後に会ったのはマークである可能性が高い。

 ダイイング・メッセージとの関連こそまだ不明だが、捜査員たちはマークが犯人である疑いは非常に強いと見ていた。鑑識から、凶器に彼の指紋が付着していたと報せがあったのだ。

 椅子に腰を下ろすなり、青褪めたマークは捜査員に、怖かったんだと漏らした。

「鍵は開けておくから静かにねって電話を受けて、エマを訪ねたんだ。やっと自分の想いを理解してもらえたと思った。でも、行ったときには彼女、もう血まみれで……。恐くて僕、逃げたんだ」

 マークの住むアパートから寮までは徒歩で10分程度だという。

 凶器のことはどう説明する、と捜査員がマークを問い詰めた。

「ドアに立てかけてあったんだ。不思議に思ったけど、取らなきゃ中には入れなかった」

 物音を立てないよう静かに入室し、倒れたエマを見てからのことは覚えていないという。恐怖と混乱から、凶器を放ったマークは友人である日本人女性のアパートに駆け込み、ベッドを占領して理由も話さず震えていた。

「情けないと自分でも思うよ。でも本当に僕、何も知らないんだよ!」

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