「御屋形さまが……?」


 日頃は良くも悪くもその本心が滅多におもてに現れることがない直周なおちかの細い目が驚愕に見開かれていくのを、直鷹なおたかは自身の荒い吐息で白く濁す。

 ツ、と額から滑り落ちた汗が、顎先で玉を作るのを乱暴に手の甲で拭うと、直鷹は荒い息の向こうにいる少年へと是と頷いた。

 弾かれた汗が、ぽたん、と枯野色かれのいろの廊下へと落ちるのをそのままに、彼は指先にある室へと足を踏み出し、後ろ手に戸を閉める。

 夜の帳が完全に上がり、東の空から陽の光が降り注ぐ時刻。

 昨日までの曇天が嘘のように晴れた空は、果てのない澄んだ世界を広げている。肌を舐める空気は、積もった雪のせいかこの季節にしては珍しいほど湿っており、繰り返される荒い呼吸が幾度となく白い靄を生み出していた。

 夜明けと共にさかき家の菩提寺である栄福寺えいふくじを発ち、雪の残る道を愛馬で駆け抜けてきた直鷹は、花咲城はなさきじょう虎口こぐちへとつい先ほど辿り着いたばかりだ。馬上のまま城番じょうばん(門番)に開門を命じると、浄衣姿のせいか、すぐに当主の御伽衆を務める「伽太夫とぎだいふ」と気づいたらしく、日頃焦った様子などを見せない直鷹の姿に慌てて真新しい木戸を開門してくれた。

 そして既に雪が掻き払われた坂を一気に上がると、昨日は作業中止していたらしい者たちの太い声が響いており、直鷹は顔馴染を近くに見つけると馬を預け、阿久里あぐりより城代じょうだいとして宿直番とのいばんを申し付けられていた直周を探し出した。

 彼はなにやら大量の書物を自身の横へと積み、既に奉行衆の詰所で業務を開始していた。机の上には算木さんき数字(筆算のようなもの)が書き綴られており、どうやら阿久里から頼まれたらしい普請作業に関する資金繰りの計算をしていたようだ。

 突然単身で現れた直鷹へと何事かと一度瞬きをする彼へ、昨夜、阿久里が何者かに攫われたという事実のみを口早に告げると一瞬で彼の顔色が変わった。

 細い目が見開かれた後に、眉根に苦しげな皺が寄る。


「そ、れは……、いえ。貴殿がここにいらっしゃるということは、まことなのでしょう」

「話が早くて助かる。問答をしているだけの余裕は、いまは流石にないしね」

「それで、如何なさるおつもりですか? 貴殿のことですから、何も報告のためだけに花咲ここへ帰ってきたわけでもないのでしょう?」

正解アタリ


 確かに報告だけならば、弦九郎げんくろうに任せればいいだけの話だ。それだけではないからこそ、周囲の様子を探らせる役目を彼に与え、直鷹本人が城まで一刻(約二時間)をかけて戻ってきたのだ。


「これ、普請の? 榊に頼まれていたやつ?」

「はい。御屋形さまより資金繰りに関して調べるよう、お出かけ前に託けられましたので……過去、花咲城の普請が行われた際の商家の出入りなどの記録と、会計の帳簿を見比べて違いなどないかをまず確かめてから、と……」


 直鷹は、直周の視線が横に積まれた書物の山へ流されるのを追って、腰を落とした。そしてその山を崩しながら、外題げだいに書かれた文字を追っていく。なるほど、直周のいうように、そこには過去の商家の出入りを記したものやその際に入用となったもの、その請払うけばらい(支払い)に関する帳簿が重なっていた。


「……これって、花咲城が築城された当初のもの、で間違いない?」

「はい。御屋形さまから数え、三代前の由郷よしさとさまが築城された折のものです。ここに、日付と、当時の公方さま(将軍)の御名もありますし、まず間違いないかと」

「これ、どこかの書庫にしまってあったやつ?」

「元はそうですが……。此度普請をするにあたり、築城当時の関連文書は持ち出しておりますので、全てあちらに」


 直周が身体の向きを変えながら、肩越しに振り返った先には六畳ほどの部屋。日頃は特に使用されていない空きの間だが、時折奉行衆の業務が立て込んだ際には文書などを一時的に保管している場所である。

 そこに、床の半分以上を埋め尽くす冊子や巻子装かんすそう(巻物)が散らばっていた。それらすべてが、築城当時の関連文書らしい。

 先代が非常識な当主だったからこそ、ちょうど阿久里の代で普請を行わなければならない事態になったわけだが、まさにそのお蔭で日頃は書庫の奥底で眠っていたはずの大量の文書がこうして目の前にあるのだからありがたいという他はない。


「ここに、築城時の普請図ってあった? 多分、ないってことはないと思うけど」

「あ、はい。それならば、恐らく巻子装のどれかだったと思いますが……申し訳ありません。まだ整理をしておらず、どれがそうなのかまでは目録が作れておりませんが」

「いや、助かった。書庫から出してもらっているだけでありがたい」

「しかし、何故普請図を……?」


 直鷹は立ち上がると背後に直周の声を聞きながら、爪先を文書の散らばる部屋へと向け歩を板間へと落としていく。そして次の間の床を踏むと即座に腰を落とし後についてきた直周へと肩越しに視線をやった。


「俺がここに戻ってきた理由のひとつでもあるけど……、多分榊はまだ寺の……栄福寺のどこかにいるんじゃないかと思ってる」

「……最初から、高梨たかなしはそれが狙いだったのでしょうか」


 直周がそう思うのも無理はない。

 阿久里の今回の外泊が決まったのは、高梨家からの頼みに便宜を図る形でまとまった話だからだ。前々から計画されていたものならば、攫う相手も計画を組みやすいのだろうが、なにもかもが急であり、またそれを事前に知ることが出来たものなど――そう、自身の兄くらいではないだろうか。

 つまり、榊家当主がお忍びで出かけており攫う機会なのだと知ることが出来るものなど、高梨の他にはいないのである。


「さてね。ただ、最初から榊が目的ではなかったんだろうなとは思うよ。俺がその場にいたら、少なくとも榊攫えなかっただろうからな」

、ということは、他に攫われた者がいるのですか?」

「あぁ。いい忘れてた。高梨の姫が、榊と一緒に攫われてる」


 驚きに息を飲む気配を背後に感じながら、直鷹は一番近くにあった巻子装を手に取ると、くるりと巻かれた緒を解き、板間へとザ、と横へと滑らせていく。そこに書かれた絵柄へと睫毛の先を向ければ、まず最初に現れたものは櫓の設計図。軽くそのまま視線を流してもどうやら目当てのものはなさそうだ。

 次、と直鷹の手が流した巻物をそのままに次の円柱を掴んだ。


「何故、御屋形さまがまだ寺におられると思われたのですか?」

「まずこの誘拐が綾姫あやひめの狂言だって前提で話を進めるんだけど」

「狂言?」

「そう。榊が手に入れた情報だけど、どうやら高梨の姫君は、水尾みずおへ嫁ぐのが嫌らしい」

「……なるほど。愚か、と申し上げるほかはないですが、それで狂言による誘拐を演じた、と」

「ははっ、相変わらずいいたい放題だね。まぁ俺も概ね同感だけどさ。ただ、共謀した奴がそれなりに策を練ったんだろうな。夜中に鏑矢が鳴ったんだけど、そうなるとおれたちは一度外を確かめにいかなきゃならんでしょ。で、その隙に攫った体にしようってことだったみたいだね」

「その折に、ちょうど御屋形さまも高梨の姫君をおとなわれていて、ということでしたか」


 そういいながら座り込んでいる直鷹を追い越し、部屋の奥へと進んだ直周が腰を下ろす。そしてちらりと細い双眸を向け、そして「なにを探せばよいか」と訊ねてきた。


「築城時の……花咲城全体の平面図。あとは井戸の付近の詳細図があればそれも」

「井戸?」

「天守近くに、何か所か古井戸あるのわかるか? 完全に枯れてるやつ」

「……あぁ、はい。……なるほど」

「地獄に仏ってのはこのことだな」


 まぁ、記憶が正しければその仏を蹴り倒したこともあった気がしたが。

 僅か半年ほど前の出来ごとだ。

 阿久里と再会・・したのも、彼女と手を取りあうこととなったのも――。


(なんか随分前から……近しいような気分になってたけど)


 半年。

 まだ、半年だ。


(でも)


 ちらり、巻子装へと落としていた視線を持ち上げると、そこには直鷹の意図が読めたらしい縁者の少年が自身と同じく手懸りを探し出そうと彼の足元に転がっていた巻子装へと手を伸ばす。す、と視線を流していけば、自身がいることへの違和感を感じないほどに馴染み見慣れた花咲城の一角。

 半年の間に、ここに沢山の縁が自分にも出来た。

 一言で、利害の一致した同盟なのだと断言することを、恐れるほどに。


  ――一度伺いたいと思っていたのです。


 不意に鼓膜に蘇る声は、昨夜彼女から問われた言の葉。


  ――もし、お父さま――もしくは、兄上さまが、それでも榊を追放するのだと……滅ぼすのだと、そう決断されたなら……、水尾の家臣である貴方と交わしたあの約束――同盟は、破棄という認識でよろしいのでしょうか。


 思わず、いい淀んだその先にある答えを、いまだ音にすることが出来ない。

 けれど。


「実際問題、この国で一番偉い一族である守護大名家の菩提寺に、外部から狼藉者がわざわざ人の多い晩に押し入るかと考えたら、答えは否だ。と、なれば綾姫の言からしても狂言なんだろうが、そうなると共謀者は高梨家の者たち以外あり得ない」

「土地勘も働かない他人の領内、さらにこの雪……となると、慣れている者でも女連れて逃げるのは容易じゃありませんね」

「寺を出る前に熊に外調べさせたら、ぐるっと寺の周り回った足跡があったらしいし……もう間違いないでしょ」

「しかし……そこまで気づいていながら、よく寺を出る決断をなさいましたね」


 もう何度目になるかわからない、シュル、という紙が流れていく音を耳に捉えながら、直鷹の視線が一度持ち上がる。


「まぁ……急いては事を仕損じる、急がば回れっていうでしょ」


 かつて、「兵は神速を貴ぶ」と孫子の兵法を口にした少女とは真逆の主張だ。


(あれも)


 半年前だ。

 まだ、半年前なのだ。

 彼女との、思い出は。

 直鷹はやや前傾になり腕を伸ばす。ツ、と指先で手前に転がした巻子装は、ころん、と大きく一度回転すると彼の手のひらへと収まった。

 シュルリ、とそろそろ手慣れてきた仕草で緒を解くと、ザ、と紙を横へと流す。滑るように中の図面を確認していき――そして。


「っ!」


 落とした視界の先に、井戸の断面図が突然その姿を現した。まるで心臓が二倍にも三倍にも膨れ上がったかのような圧迫を、喉の奥に感じながら、直鷹は板間へ置いていたそれを自身の膝の上へと持ち上げると、その先にある図へと黒曜石の瞳を流していく。

 そこにあったのは、見たこともない平面図。

 見たこともない、地図。

 複数の井戸から繋がっていくその地図は、複雑にいくつもの道を描きながらもその終わりを「至 栄福寺」と結んでいる。


「三代前のご当主さまに、感謝申し上げなければなりませんね」


 抑揚少なく降ってきたその声を見上げれば、感情の出ないそのおもてが薄く三日月を食んでいた。


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戦国稲荷御伽草子・弐 〜咎の恋と雪の婚礼〜 笠緖 @kasaooooo

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