五話

 あれからどれだけの時間が経っただろう。たくさんの季節が巡った。


 街も以前と比べて様変わりしたと思う。特に変わったのは廃棄区画だ。


 今や廃棄区画と呼ばれるような場所はなくなっていた。再開発の真っただ中だ。元よりそういう計画自体はあったが、予算繰りが難航していたので手つかずだったに過ぎない。


 これまでは優先順位が低く、ようやく行われることになった、という形だ。


「あ、まーちん、こっちこっちー!」


 チェーンの喫茶店に入ったあたしは、ソファ席でブンブンと手を振る英美里を見て、頬を緩める。彼女の快活さは今も昔も変わらない。


「ごめん、お待たせ、檸檬、英美里」

「まったくだ」

「れみーも来たのついさっきでしょ」


 英美里の指摘に檸檬は素知らぬ顔でコーヒーに口を付ける。


「久しぶりだね、二人共。元気してた?」

「まあ、ぼちぼち。研究で頭を抱えることは多い」

「わたしもじきに実技試験があるから、上手く出来るか不安だったりー」


 檸檬は大学で神経科学的な観点からの意識についてを専門としていて、英美里は短大に通っていて今は保育士資格の受験中なのだとか。


 二人共、高校時代とは随分と雰囲気が違っていた。


 檸檬は見た目こそさして変化はないが、何というか研究者らしく常に何かを思惟しているような聡慧さを感じた。その優秀さゆえに師事する教授の研究にも参加しているらしい。


 英美里は以前にも増して美人になっていた。まるでファッション誌から飛び出してきたような出で立ちだ。こんな保育士がいたら、多くの子供の記憶の奥底に理想の女性像として焼きついてしまいそうだ。恐ろしい。


 そして、あたしはというと。


「まさか真奈が高卒で働き始めるなんてな。こんな日までスーツ着て、立派な社畜様だ」

「いやぁ、楽なんだよね、これが。私服も用意しなきゃとは思うんだけど」


 そう、何と既に社会人をやっていたりする。積極的に海外展開している会社の営業で、入社してからというものあちらこちらの国を行き来していた。

 実は日本に帰って来たのもつい先日だったりする。


「世界中を飛び回るのはどうだったー?」

「大変だったけど、楽しかったよ。これまで会ったこともなかったような人にたくさん出会えた。知らないことをたくさん知れた。見たことないものをたくさん見れた」


 桐香はこの社会には欺瞞が満ちていると言った。

 でも、あたしはそうでもないと思う。


 例え社会に強いられても、人はそこまで合理的には生きられない。

 どうしても抑えられない感情が出てしまう。それは今も昔も変わらない。


 世界各地を巡って色々な社会を見たことで、前よりも一層強くそう思うようになった。


「それで、これからはこの街に住んで働くってわけか」

「うん。この街の支社で働けないなら辞めてやるって社長に直談判したらオッケーって」


「またバカみたいな行動力なことで。今も変わらずゴリラしてるんだな」

「当たり前のように言うけど、ゴリラするって何!? もはやゴリラ関係ないよね、それ!?」

「あはっ、久々に聞いたよー」


 英美里が吹き出すのをきっかけに、あたしと檸檬も破顔する。

 こんなやり取りをするのが懐かしかった。

 今は色々と変わってしまったけれど、昔のあたし達に戻ったように思えた。


 しばらく談笑した後、時間を確認したあたしは二人に別れを告げる。


「あ、そろそろ時間だから行くね」

「お熱いこった。明日は寝不足になってそう」

「そりゃまあ、随分と久しぶりだからねー。妬けちゃうなー」

「二人共、何の話かな!?」


 あたしは思わず赤面して反論した。そんなことはない、と思う。


「ま、今の真奈なら心配してないから。思う存分、語らい合うといい」

「そうそう。そんでまたその内、落ち着いたらわたし達も呼んでよ。皆で退院パーティーしよう」

「……うん、ありがとう、檸檬、英美里。行ってきます」


 あたしは二人に手を振って、喫茶店を出た。

 向かう先は街の郊外の丘にあるリハビリ施設だ。車で十数分の距離。

 自動運転のタクシーを捕まえて向かった。



♦ ♦ ♦



 桐香はあの事件を引き起こしたことで外界からは隔離された。


 彼女が非力なこともあって重傷者こそ出なかったが、旧来の社会なら犯罪行為として懲役を科される事例だ。


 現代いまじゃ犯罪は病であるというのが世界共通の認識の為、桐香が罪を問われ刑務所に収容されるようなことはない。

 それでも通常の社会生活が困難であると見なされるのは当然で、総合的な角度から治療する為に専用のリハビリ施設で過ごすことになった。


 とは言え、彼女の病は科学的な治療でどうにかなるものとも思えない。

 共感性が欠如しているわけでも、衝動が抑制できないわけでもないのだから。


 もっと人としての根源的な部分が異なってしまっている。世の人の大半が当たり前に享受しているものを享受出来ずにいる。それが彼女を孤独にしている。


 だから、あたしは彼女に伝えたい。生きることは呪いなんかじゃない。

 あたし達は祝福されて今を生きているんだ、って。


 施設の入り口に着くと、エントランスで受付に自分の名前を伝えて、傍の椅子に座って待った。やがて、見覚えのある姿がこちらに歩いてきた。


 桐香はシンプルな服装に身を包んでおり、その手には少ない荷物を持っていた。実物を見るのは久しぶりだ。


 週末だけは一定時間、施設内との面会や通信が許されている。

 日本から離れてからはどうしても通信でのやり取りが中心だった。


「桐香、ちょっと痩せた?」

「健康的な生活過ぎてどうしてもね。そういう真奈は太ったんじゃない?」

「嘘っ!?」


 あたしが血相変えて自分の体型を確認し始めると、彼女はクスリと笑みを浮かべて。


「嘘。別に変わってないわ」

「……むぅ。それ微妙にディスられてる気がする」


 すっかり着慣れたスーツ姿で出来る女感を出ているつもりなのだけど、桐香には伝わっていない様子だった。


 あたし達は施設の外に出ると、街まで歩いていくことにする。

 大した距離でもない。

 桐香も久しぶりに街の様子を見たいらしかった。


 少し肌寒い程度の気候の中、柔らかな陽光に照らされる道を歩いていく。


 あたしは桐香に問いを投げかける。


「今でも生きるのは辛い?」

「ええ。だから、どうすれば真奈を納得させて心中出来るか、色々と考えたわ。ついでにこの社会を転覆させる方法も」


「そっか。桐香も変わらないね。あたしもどうやったら桐香に生きたいと思わせられるか、たくさん考えたよ。その為に世界だって巡って来た」

「その方法は見つかった?」


「あたしなりにはね。でも、それは多分、言葉にするべきものじゃなくて、一緒に過ごしていく中で伝えていくものだと思う」

「そう。楽しみにしてるわ」


 今のあたし達の意見は平行線だ。決して交わることはない。


 お互いが幸福さいわいでいられる場所。


 平行線のあたし達にとって、それはもしかすれば、砂浜に落とした針を探すような行いなのかも知れない。そんな場所はこの世にないのかも知れない。


 けれど、まだまだ世界は知らないことだらけだ。未知が溢れている。

 だから、きっと大丈夫。どちらも納得できる答えを見つけ出そう。


 それこそあたしがあの日選んだ『在り方あい』だから。


 あたしは桐香の手をそっと握る。相変わらず細くしなやかで冷たい。

 平均体温高めなあたしとは大違いだ。


 あたし達が丘の上から眺める街並みは、あの廃ビルから眺めた景色とは随分と変わっている。以前のように二つに分かたれてはいない。

 一つの新しい街になろうとしていた。

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君と歩んでいく道――To be,or not to be―― 吉野玄冬 @TALISKER7

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