02.1 IF“世界線”β : IF“Weltline”α

15b

 健康について考えたことはあるだろうか。この場合の健康というのは、自分または本人が健康であるかどうかではなく、健康という状態、言葉そのものについて考えたことがあるかということである。まあ、正直ないわな。俺だって目の前に掲げられている「健康について考えましょう」という横断幕を目にするまでは、思考を巡らせたことすらなかった。中央保健センターにとっては当たり前の考え方なのだろうが、俺にとっては良く分からない考えだ。「自分の健康状態についてチェックし、日々の生活を見直しましょう」なら、そうだな、そうか、そうするか。……と生活を見直し始めるかもしれないが、「健康について考えましょう」では、果たしてどこから手を付けて良いのか分からなくなる。何を考えることが健康を考えることであり、考えたところで何が有益なのか。専門知識のない若造でしかない俺にはわからない。少なくとも、考えるよりも、行動の方が重要では? 俺が今飲んでいる、ネット上では「不味い」と酷評している奴らの気が知れないカロリーとソウルメイトになれそうなあの商品のドリンク版なら、きっと〝健康〟へ一歩近づいているのではないだろうか。考えてはいないけど。飲んでいるだけど。Keep,thinking.しっかし、これうまいよな。普通に。



「くっつん。間違いない。ここで、間違いないよ。大丈夫」


「そうか。ありがとう」



 俺はいつの間にか手に入れていたスーパーカブを例の横断幕を掲げた中央保健センターの向かい側に位置する路肩に停め、ドリンクを飲みながら後方にある小さな本屋に注意を払っていた。天気は快晴。雲が現在進行形で行方不明となっている。この世界線から消失している一つでなければいいが、さすがに目の前のチビ神様でも分からんだろう。理解できるのは、〝ここ〟というのが求めていた過去で間違いないということ。目標は過去での出来事に変化を与え、仮想過去を作って現在の過去と入れ替える。稲山口いねやまぐち明日風あすかの犯罪を未然に防ぎ、その事実を作らないこと。つまり、過去を消すのだ。まあ、俺とチビ神様がここに来た時点で、イレギュラーが認められて過去は既に変化しているのは百も承知だし、そうでなければ仮想過去は創られない。明日風を含めたこの世界の人々にとっては現在だが、俺と未来の明日風達にとっては過去であることに相違ない。言葉の綾といえば否定できないし、勘違いでも誤解でもある。だからこの神様はサイカなのだ。



 ちなみに、くっつんという呼び名と中央保健センターの中央が意味することは何一つわからない。さっぱりだ。



「来たよ」



 俺もサイカとほぼ同時に書店へ入っていくその姿を確認した。特徴的な二本になった髪型を見れば、言わずとも緊張が走る。何も変わらない。相も変わらず 、彼女そのものだ。数年前でもそこに幼さはない。現在にかなり近く、そして、このままあの未来へ突き進むのだと実感できる。



「よし、じゃあいくぞ」



 俺はサイカに、そして自分自身に言い聞かせる。カブの腰かけから離れ、すでに明日風を含めた三名がいる書店の自動ドアへ。音も立てずに開いたのは合図。足を踏み入れてすぐ二手に分かれた。



 書店は非常にアナログな内装を保っており、紙とインクの匂いが漂っていた。棚と棚の間は狭く、通路も人一人が限界。幸いにも、他に客はいなかったのでスムーズに行動できた。明日風たちはおそらく、客が少ないことも承知の上だったのだ。

 

 

 俺は相手に見つからず、相手が視界に入る位置を探す。一方、サイカは三名の真後ろに背中合わせで立つ。未来を変えるための行動を実行するのは彼女だ。俺にはできない。本来、俺とサイカの二人はいちゃいけない存在。イレギュラーな分子扱いなのだ。下手をすればタイムパラドックスを引き起こしかねない危険因子でしかない。慎重に行動しても、目的を達成することなど、人間には到底不可能。それこそ神様でもない限りな。



 そこで、ネックでもあり、鍵ともなるのがタイムパラドックス。例えば未来の子供が過去の親を殺した場合、親の存在が未来から消え、自動的に子共は未来に存在しないこととなり、そもそもこの殺人事態が起こりえないという矛盾が起こる。この「親殺しのパラドックス」などが代表される数々の矛盾のことだ。

 

 

 過去があって、現実がある。過去が異なれば未来も、現実も異なる。だから、闇雲に過去をかき乱すだけでは、変えたい未来に変えることはできないのだ。新しい、他の未来が新たにできるだけ。あったかもしれない未来として、現実ではない世界線の先へと成り果てる。



 このように、タイムパラドックスが起きては、目的は達成できない。しかし、何がきっかけで未来が定まるかなど、過去現在進行形の俺にはわかるはずもない。だからと言って、見当違いな行動を試行錯誤するわけにもいかず。それでは意味がないので、サイカに現実をなぞった架空の過去を作ってもらい、理想に近い未来を設定して遂行してもらう。これが確実な手段だと、このミニ神様と意見が一致したことでこの作戦を行うことが多い。新・過去を現実過去とすり替え、現実過去を空想とする。旧過去を仮定の世界線へと強制移行することで未来を理想の形に近づけるのだ。



「……ちょっと場所変えるわよ」




 すると、サイカを警戒したのか明日風が動いた。取り巻きの男子はより緊張した様相となった。一方、サイカはそのまま動かない。立ち読みを続けている。対象の移動によって俺もその場を動く。こちらからは見つけておかなければいけない。しかし、向こうに見つかってはいけない。



 実際、観測者としての役割はそれだけである。



 当然、過去を操作できる神様がいるならば、全面的に任せてしまえばいいのではないのか。俺がわざわざタイムパラドックスの危険を冒してまで参加する理由はどこにあるのか。提案を受けたとき、初めにすぐ考えた。しかし、その結果が照の創り出した世界と同じモノであると彼女から聞いたとき、同時にひどく納得がいってしまった。



 神様が世界を弄れば、それは神様の世界となる。人間の住まう世界ではなく、ヒトはインテリアになり下がってしまう。誰もが主人公とか、人生の主役は自分自身とか。そんな戯れ言は運命のもとでは独り言に陥る。なぜなら、過去を弄って未来を決めるのはサイカだ。当人でも、その関係者でもない。神様に決められた未来など、定められた世界など、運命と呼ぶ他無い。誰かに決められた未来など、当人からすれば明らかな理不尽。努力しても、才能を生かしても運命から逸脱するために抗うことはできないのだから。



 将来を自分で決めたいと願ったのは他でもないこの俺なのに。



 そして、サイカが俺の知る未来を変えることを決定付ける瞬間を見届けた。

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