13
つい先日、フェイクニュースに踊らされて地下へやってきた男がいた。内容は地下に街を作っている中国人が日本を侵略するとかなんとか。そして、その発信源は薬中毒の違法滞在者であった。ホログラムで偽装したタバコに違法薬物が詰め込まれており、捕まえた若者はただの凡人ばかり。フェイクを流したのもただ、彼らの組織側からの指示だった。踊らされた凡人に踊らされた依頼人。神下のアドレスも、ネット上のアカウントも容易に特定できたため、テラの情報を流した本人ではなかったことが同時にすぐにわかった。ネットの投稿の方が本命だったのだが、残念ながら例の投稿者本人ではなかった。特定は簡単だったのだ。きっと神の踏み台にでもされたのだろう。
さて、この男。この間はただのぶ男でしかなかったが、今回再び最重要参考人と成っていた。というのも、先ほど稲山口宛のメッセージの中に見覚えのあるユーザー名、アドレスと部分一致しており、もしかしてと照合すれば案の定だった。
いや、ほんと何をしているんだろうな、この男は。女子高生の弱みを握って何を企んでいたのやら。神下が以前依頼人だったときに貰ったこの男の情報を元に相棒が治安維持のために活動を始めようとしていた。
それが昨日まで。
「すまない。最悪の結果だ」
「まあ、仕方ないよね。結局は自分が蒔いた種だったわけだし」
「すまない」
今朝、稲山口が襲われた。登校中の白昼堂々たる犯行だった。彼女は腕と脇腹を切り裂かれ、すぐに救急車で緊急搬送された。命に別状なしだが、治療のため入院することに。犯人の方は、当時終始興奮状態で、すぐに現行犯にてその場で取り押さえられたそうだ。
俺は学校へ向かうはずの足をそのまま病院へと向けた。病室の扉を開けた時、稲山口は静かに、ただどうしようもなく吹いてしまった風を受け止めるだけにそこにいたかのようだった。俺に気が付くと、ベッドから半身を起こして、なぜか見たことのない微笑みで迎えてくれた。それは、何かに対するやさしさがあった。だから一層切ない。
「なんで、あんたが謝るのさ」
「いや……その、俺が、身勝手だった。急ぎすぎた、と思って」
「へえ? どうして? 私のために警察まで裏で動かしてくれていたのに?」
「ああ、身勝手だった」
たとえ昔に過失があっても、現在が咎められる必要はないっていうのに。わざわざ掘り返すような真似をした、俺は……今回は最悪だ。
「……ほんと、すまない」
「いいよ、犯人は捕まったんでしょ」
「ああ」
「攻撃的なのが一人捕まった。それでいいじゃない」
「ああ」
稲山口はすると、とても素直な顔でこちらを見た。俺は驚いた。彼女の素を見てしまったからだ。男女問わず、昔からこういうものにはことごとく弱い。
「でも、でも……これで全部終わりじゃないよね。私の過去が消えたわけじゃないんだよね」
稲山口は続ける。すべてを肯定されたくて。すべてを否定されたくて。どちらもして欲しくはないのに。
「……ああ」
俺は一つ返事で答える。まだ、考えが中途半端だから。
「ねえ、まだ続くのかな。こんなのが」
「……」
答えられない。
「ずっと。ずーーっと、一生、死ぬまで」
「……ああ。そう言うやつがいる限り、そうなるだろうな」
でも、答えてしまう。
応えさせられたこの答えに、堪えなくちゃいけなくなることを知っているのに。知っているから求め、心で泣く。
心でしか泣けない。
「そっか」
「……すまない」
「だから、なんで謝っているのよ」
ああ、ほんと、なんでだろうな。どうして俺は謝っているんだろうな。
彼女の健気さに心を打たれたのだろうか? いや、そんなことはない。今まで俺は自分のためだけに行動してきた。他人ばかり救っているのも、それで自分を救っているからに過ぎない。では、これが自分の失態だからか。この最悪を予測できなかったからか。見込みが甘かったからか。いいや、そうでもない。己の想いを実現させるためなら恋人の想いすら、世界だって神だって敵に回してその姿も運命も変えさせたのだ。どんな結果だろうと、俺は対応を変えて自分のために生きていくだけ。では、自分ごとに他人を巻き込んだことへの罪捻でもあったのだろうか。これが、身勝手に他人の過去に踏み込んだ挙げ句の結果で、それが俺の一番嫌いな人間であるはずなのに、その自分が今ここにいるからか。いいや、たぶん、そうではない。
ああ、きっとこの世界を疑い始めたからだろう。彼女のことも疑わなくちゃいけないから、謝らないといけないのだ。
スマホが震えた。俺はこの時代でもマナーモードはバイブレーション機能。受け取ったメールを確認すると、俺は稲山口に伝達事項を伝える。
「俺の相棒からメール……はもう死語か? まあ、犯人の方は警察でおとなしく話をしているそうだ。すぐに処分も決まるだろうよ」
「そう」
しかし、彼女はまだ悲しそうだった。それは別に吉報でもなければ、自分事とさえ思えないようだった。それこそ何かを諦めてしまったような、諦めざるを得なかったような、そんな理由で悲しそうだった。たとえば、未来とかだろうか。
「……車折」
そこへ車折が病室に神妙な面持ちで入ってきた。彼はすぐにそれがばれることのないように、目線が合うとすぐに笑顔を作った。心配が駄々漏れの笑顔に。
「稲山口さん、大丈夫? た、大変だったね?」
「やあ、ゆうくん。どうも」
稲山口は子犬を見るように微笑む。
「学校さぼっていいの?」
「恒から明日風さんのことを、恒から聞いて、その、心配だったから」
「あら、名前で呼んでくれるのね」
「あっ……ええと、……だめだった?」
「ううん、構わない。その方が仲良さそうだし」
車折は不本意だろうが、俺には彼がとてもうれしそうにその時は見えた。もう、彼女とは、冗談でも言えない。
▼ ▼ ▼
誰かさんの自己欲求によって、別の誰かを傷付けた過去は変わらない。また、彼女の数々の小さくとも許されない罪咎も消えることもない。しかし、犯人はすでに捕まり、現実に切迫した脅威は一旦終息している。一方で、その過去というのは永遠に消えない。収束した現実に光を当てれば影ぼうしのようにすぐ分かってしまうため、常に付きまとってくる。見えているようで、でも見えなくて。見えてしまったらもう、その時点で空気的日常はミステリーに変わってしまう。だから厄介だ。だから身勝手に踏み入るべきではなかった。愚かだった。
だから、今度は自分を排して。
俺のためではなく、彼女のために。
さあ、何ができるのだろうか。
彼女の過去をネット世界から消し去る? 数々の相棒たちの手を借りれば不可能ではないだろう。しかし、それで解決か?
彼女自身を周囲に認めさせ、二度と光当てる無粋な奴が現れることがないようにするか? 彼女の人間関係内ならまだしも、今回のような外野全ては無理だ。芸能人の好感度ランキングトップファイブにでも入らない限りな。
ではどうすればよいのか。簡単である。そもそもの原因である彼女の過去を無くしてしまえばいい。存在しなければ、悩むことはない。非常に簡単だ。しかし、これまで散々語り尽くした通り一度起こった過去が消えることはない。それはもう、神様だって承知のこと。では、消すとはどういう事か。ここからは常識ぶった考えはいらない。だって神頼みだから。
神様にお願いするのだから。
他の可能性だった過去を現実の過去とすり替えること。これが、サイカという神と手を組んだ理由の一つなのであることは、間違いない。
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