12
コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならない……と、トルコの諺にあるらしいのだが、黒くて濃いとかなりのブラックを想像する一方で甘さが必要だとはなんとも見かけ倒しだ。まるで十六進コードC0FFEEがcoffeeの黒ではなく、とても明るい青シアン色示すかのようである。しかも、それが恋のようにだってさ。恋が甘いように感じられるのは、相思相愛が早熟した時のみだって言うのを、分かって言っているんだろうか。俺の後ろを鼻歌混じりで着いてくる彼女である彼だって、俺の予想が外れていなけりゃ、今まさにその甘い恋の最中だ。さっきのV-chatで連絡先をちゃっかり手に入れていたからな。そりゃあ、ご機嫌になるのもよく分かる。ほんと。可愛いやつだぜ。
「恒? どうかした?」
「いや、なんでもないよ。それよりいいのか? 地下に行くんだぜ?」
「うん! 楽しみ!」
「……いや、その、あの楽しそうな観光ゾーンには一切いかないぞ。今でこそ、ある程度の観光としての地位を確立している地下街だけども、車折でも、ここがかなり軽視されているってことぐらい分かるだろ。人種や個性で人を差別するのと同様に、住んでいる地域とかで区別しているってことを」
「まあ、ね」
物怖じせず、オブラートの言葉を目の前得無視した俺の発言に苦笑しか浮かべられないのは、至って普通の反応だろう。どうしていいか困るのは、道理だ。まったく、可愛いやつだぜ。
「そこで確認だけど、俺はその差別されている地下に住んでる」
「うん」
「でも車折は俺と友達でいてくれる」
「うん。あたり前じゃんっ」
車折はさも当然のように勢いよく即答する。そして首をかしげる。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、知っていることを認識していて欲しかったんだ。……ええと、そうだな、具体的に言えば……車折は、俺がどんな人間なのか、少なくとも一年以上付き合っているから分かると思う」
「うん」
「だから、何の隔たりもなく接してくれる」
「うん」
「つまり、そういうことなのさ。余計なことを前提情報にして欲しくないんだ。万引きしたことがあるからとか、地下だからとか。そういうこと。罪を犯したら犯罪者となり、そして未来永劫前科者であることはかわらない。ネットに刻み込まれた烙印がスティグマ・タトゥーとしてわざわざ残る必要はないのに関わらず」
二人はゆっくりと、ただ階段を降りていく。靴音が静かにしっかりと、それだけが聞こえる。足元はまだやや暗い。
「昔からよくあったことなんだよ、こういうことは。障害とか、ジェンダーとか。地下に近い意味で言えば、ホームレスや家庭の事情や貧困で居場所を失った子供たちとかもそうかな。地下街は昔から王道の非道に晒されてきた、時代の産物だよ。平成でも、令和でも変わらなかった。この時代でも同じ。結局人間は変わらない」
「……それは、そう思うのは、恒が人間じゃないから?」
俺に向けられたその声はか細く、不安そうで、心配そうに尋ねてきた。俺は地下へと下る足を止め、振り返って言った。
「この街が好きで、地下の人間だからさ。外野の戯言が嫌いなだけだよ」
二人で目指してきた、それこそやがて暗くなりそうな先は、足元が細く明るくなってきた。
もう、ソコに着く。
▼ ▼ ▼
「おまえ、彼女いたのか」
「ちょっと待ってくれ、キング。それは勘違いだ」
「なんだ、違うのか」
「車折は男だ」
王様はしばし口元に手を当てやって、それから言った。
「そうか。それは失礼した」
俺と車折が真っ先に向かったのはアンダーの取締役。尖った若者集団、アンダーGBを束ねるリーダー。指定されたのは狭いカフェで、到着したときには既に王様と新人くんだろうか、新調したてのダークスーツを着た取り巻き数人が居た。俺は地獄のように黒いはずの珈琲を頼み、車折はネオ・ミルクティーを頼んだ。
「なあ、ちなみにだけど、そのネオってなんだ?」
「知らないの?今すっごく流行っているのに」
「いや、ネオ・ミルクティーは知っている。知りたいのは、そのネオが何かってことだ。ほんとに、なんだ?それは」
「植物のなにか、だとおもうけど?」
「え?ネオっていう?」
「うん。らしいよ」
マジかよ……。一体どんな植物なんだよ、ネオ。
「なんだ、沓形はそんなことも知らなかったのか」
「え!?王様……キングは知ってるのか?」
「流行のビジネスを学ぶのはマーケティングの基本だからな」
「そう……なの、か?」
まあ、これだけの組織を束ねるのにはお金も掛かるのだろう。流行をビジネスにするのはさすがのやり手だ。店を構えれば若いやつらのバイト斡旋も手軽だしな。次世代グランフォードをいつも、何台も配備しているし、王様への忠誠心で動く組織だとしても、かなり経費が掛かるのだろう。それにしても、この時代は次世代と付ければなんでもいいと思っていないか?
「まあ、いいや。それより、仕事の話だ。さっき話した通り、俺が今追っている奴の周りが永龍に関係ある雰囲気になってきた。そこで少し手を借りたい」
「承知した。沓形がそう言うなら、きっとそうなのだろう」
「前回は外したけどな。今回もまだ憶測でしかないが、でも、かなりの確信をもっている」
「そうか。それなら、なおさらいい」
王様の緊張していた薄氷が表面で溶けた。どうやら快く協力してくれそうだ。
「よし、それじゃあ、さっそく打ち合わせを始めようぜ」
俺は自分の計画を王様に話した。王様は静かに聞き、部下へ指示を出した。ここまでは、本当に順調に思えた。何もかも規定通りに、想定した想像通りに進んでいた。
そう思っていたのは俺だけだったことを、すぐに知ることになったのがその翌日だった。
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