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 鈴木、桜田、稲山口、車折、沓形はおしゃれな喫茶店に入ってゆっくり話すこともなく、学生行きつけのチェーン店や食堂で腹を満たすこともなく、ただ同じ空間『V-Chat』にいた。もう少し具体的には、歩いて移動したのではなく、いつの間にかそこに立っていたという感覚である。



 そこは現実において、つまり物理的には全く異なる場所に立っているのに、同じ空間を共有する場所であった。どうしても、ここには自分達だけがいるのだと、否が応にも感じられるのだ。だからと言って、完全にこの空間へ入り込むわけでもない。現実での視界や感覚と仮想空間であるこの世界での会話や感覚。双方同時に途切れず、継続しながら同時に得ている状態。



 VNSSにおける新機能、『V-Chat』が話題を持ち、これほどまでに共有・利用されているのは簡単に身内という世界を作ることができるからだ。たとえそれが身内でなくとも、それこそ誰とでもプライベートを作り、他の誰も触れない二人だけの国にすることができる。もちろん、複数だって、大勢だって、ただ車折と二人きりになることだって意図も簡単にできる。一方的ではなく、双方からの同意によるログインが必要となるが、一方的に離脱することが可能な分、安易さが感じられるのが魅力か。



 一方で、インスタントに作れる関係だからこそ、その継続にはより信頼と親密性が求められる。じゃないと、赤の他人といつまでも一緒に居たいだなんて、それこそビジネスじゃない限り無理だ。その手軽に接続できることから新しい犯罪の温床と揶揄されつつも、ビジネスチャンスになっているのも事実。ロックライブのイベントとか、お化け屋敷みたいなアトラクションとか、芸能人と云々とかとか。ほんとに、ドライな現代人向けには、うってつけのツールだ。



 VNSSのチャットルーム、簡単にV-Chatと名付けられているこの機能を今回使用したのは、同じクラスだけどそこまで仲が良いわけでもない俺たちの関係を的確に示唆している。もちろん、仲を取り持ったのは車折だ。あのつい断るのをためらっちゃう頼み方は卑怯なんじゃないかと、俺だって思うよ。もちろん、俺なら断れないぜ。お願いされたら何だって引き受けるし、悩みも問題もすぐに解決してやるだろうさ。紛いなりにも探偵をやっているのだ。友人以上の存在として、一心を掛けて遂行するつもりさ。……しかし、車折が仕事に同行する許可を頼んでくることはあっても、悩みや問題を頼まれたことはない。一度も、ない。



「それで、ゆうに頼まれて来たけど、話ってなに?」



 稲山口は俺の方を向かずに、俺に向かって言った。ちなみに相棒は立場や職業柄等のいろいろを考慮して念のため待機である。



「では、単刀直入に。〝V-Chat Code @akasi_art_envy〟 って奴知ってる?」

 

 

 俺はヴァーチャルならではの機能を使い、目の前の空間に@からそれ以降の文字を書いた。それを見た稲山口は、ため息を今にも吐きそうな顔を隠し切れず、感情だけを冷静にしながら目線を元に戻した。残りの男子は隠さずに怯え始めた。各々が必死に平静を取り繕っていたが、VRでもわかる動揺が見てとれた。大丈夫、間違いない。安心して話を続けられる。



「実は俺たち、こいつの事を追っているんだ。だけど、どうしてもネット上にしか出て来なくて、困ってるんだよね。まぁ。何をしでかしている奴かって言うのは、君たちも良く分かっているみたいだから説明を省いて話を続けるけど、どうだい? 協力してもらえるかい?」



 これに、男子の一人は声をこぼす。



「……それで、俺たちの過去を暴こうって言うのか」


「いや、そうじゃない。そうではない。その、言い方悪いが、そんなことはどうでもいいんだ」


「!?……どうでもいい、だと!」


「待って」



 稲山口がその男子を遮る。



「続けて」



 俺は頷く。



「さっきも言ったけど、目的は君たちを含めた複数の人間に対して、主にインターネット上で過去の罪咎を吹聴して回っているこの男だ。デジタル・タトゥーを悪戯に利用して、無関心だった人間に話題を提供するだけのただのツールみたいな奴。ああ、男って言う性別だけは分かっている。しかし、それ以上に情報はない。年齢も、住所も不明だ。唯一接触できるとすれば、主戦場のインターネットか、当事者か、だと思っている」



 稲山口はここでようやく俺の方をしっかりと向いた。その鋭い目線に現実で車折に向けた優しさはない。



「なるほどね。それであんたたちは私たちに接触したってわけ。おおよそ、同じ学校だから色々と都合が良かったんでしょ。色々と」


「ああ、その通り。色々とな」



 この場合の色々は、無論過去に対する後ろめたさに漬け込んでいることと、現実で直接会うことのできることの二点だ。かなり飲み込みが早い。



「なるほどね、だから直接私たちに会いながらも、V-Chatここを選んだのね。まあ、いいわ。あの男が片付いて、それで面倒事が無くなるなら、それに越したことないし」



 取り巻き男子二名は顔を見合わせながらこのやりとりを窺っていたが、やがてこれが決定事項であることを悟ると、素直になり始めた。



「いいわ。話してあげる。どうやらこの空間を繋いでいる回線、ある程度のプライベートは保たれているみたいだし」



 おっしゃる通りである。この空間は警察からお借りしている特別なV-chatなのだ。まあ、一応捜査の一環となるしね。相棒が待機なのはそのためでもある。相棒も暇じゃない。



 そして、稲山口はこう、言ったのだ。



「男に一度接触されたことがあるわ」


「それは、本当か!?」


「ええ。嘘ついても仕方ないわ。本当よ。正直かなり怖かったもの。最初の頃はネットで言われるだけだった。この二人からそれを聞いて、しばらく続いて、ああ、一生残るんだなって、自覚したんだけど、それが、目の前の生活にまで来るなんて思ってなかった」


「そうか。……その、被害とかはあったのか?」



 辛さで埋まったはずの過去を思い出させ、再体験させる質問は流石にためらいがあった。そんな心配など恐らく知らずに、明日風は真面目に答えた。



「ううん。直接的なことはなにもないわ。最初はメールがたくさん来た。すぐにV-chatの勧誘もミリオンセラーだし、一方的なメッセージならそれこそ永遠に。内容は徐々にエスカレートしていって、一ヶ月後ぐらいあとかな? 最終的にはご丁寧に予告状を出して来た。翌日、通学路の帰り道に声をかけられた、ってわけ」


「それは稲山口さんだけ?」


「うん。この二人も散々みたいだけど、実際に接触されたのは私だけ」


「そうか。わかった」



 俺はそれから脅迫状、数多不特定から寄せられた妄想染みたメッセージを余すところなく見せてもらった。相棒にも同時共有。すべてを見せてくれたのは俺への信頼ではなく、とにかく現状をどうにかしてほしいという縋りに近いのだろう。もう、どうしていいのか、どうしたらいいのかで苦しいんだ。だから、俺はこのこぼした本音を大切にするんだと誓った。

 


「なあ、ここの、この、そう、それ。そいつからのメッセージに覚えある?」


「いや、ない。もうこの辺りのはまともに確認すらしてないから」


「そうか、わかった」


「そのメッセージがどうしたの? ただの嫌がらせにしか見えないけど」


「ああ。文章自体はな。死ねとか、価値がないとかそういう言葉ばかり並べてあるが、大事なのはこのユーザーだ」



 稲山口はやや苛立った。そしてすぐに、その顔を驚愕と困惑でいっぱいにした。そんな、それ本当なの?そんなこと、できるの? と。


 俺は「任せろ」の一言でこの空間を後にした。出入り自由だから、こういう時にも便利だな。



 V-chatが終わってすぐ、車折は俺に駆け寄ってきた。



「ねえ、恒! さっきのどういうこと?」


「ん? ああ、そのままだよ。さっき、言ったろ? 接触した男、つまり俺たちが追っている男は複数のアカウントからメッセージを飛ばしてきていたみたいだって。それこそ、まるで何かを確認するために」


「えっと、つまり……」


「こっちの話をしてなかったな。悪い、悪い。さっき心当たりがあるとか、犯人の目星はついたから任せろと言ったのは、ついこの間までその男の知り合いを追いかけていたからなんだ」


「え? ほんとに」


「ああ、間違いない。相棒はとっくに動き出していると思うぜ。車折はどうする? まだついてくるか?」


「もちろん! 久々の地下だね!」



 車折はとても嬉しそうで、とても愛でるべき顔に愛しさが止まらない笑顔を浮かべていた。まったく、地下なんてなにが楽しみなんだか。それにしても、便利な世の中になったものだ。今度はV-chatを成層圏にでも設定して、車折とお茶でもしようかな。



「もしもし? やあ、キング。朗報だ。今度こそ永龍の情報が流れてきたぜ」


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