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彼女たちからしたら、それはもう終わった話で、たぶんこの認識に相違はないだろう。おおよそ間違いない。犯罪者がいつまでもレッテルを張られるのなんて、誰だって嫌だろうし。そりゃあ、更正なんて、できる気がしないのも共感できる。気にしていたはずの世間は、それこそ、至ってまともなことを言っているようで、実際自分事でなければそこに心はない。それなのに、関心がないはずなのに、なぜか吐き出したその心無い無駄な一言が当人の現実に影響してしまう。ネタとか、間違ってはいないとか言いながら、身内だけで、ただ盛り上がるために作られたお約束の上でだけ遊べる遊戯みたいなものでしかないのは明らかなのに。まったく、実態がそんなものでしかないのに、自分の何かを左右させられるなんて、たまったもんじゃない。皆が好きなものを嫌い、話題や流行を追いかけることはしない。唾吐いて好きになれなかった、可愛そうなやつの仲間入りでもした方がよっぽどいい。過去の話にしたくなって、過去を見なくなるのは至って真っ当なのだ。それは真っ当ではない奴等から身を避ける正当な手段で、とても理解できる。過去は自分と向き合うための時間であってほしいと思う。誰かに口を出される他人のものではないはず。介在する他者が必ず存在する以上、自分の物でもないけど。
だから、もちろん彼ら彼女達を責め立てるつもりで、この件を探し出したわけではない。むやみやたらに詮索しているわけではない。
大事なのは付随するおまけの方だ。
「鈴木、桜田、稲山口の三人が過去にデジタル万引きを行っていたのは間違いない。警察も口頭注意していたそうだ。それがこのリスト。しかし、罪にはならない。窃盗は有形物であることが前提だし、著作権侵害で見てもネット上に公開していた形跡がないから、私的複製には該当しない。口頭による厳重注意と猛省を促す何らかの処分があるだけ。事件の方はここまで。おそらくこれ以上もこれ以下もないと思う」
主導は
現行犯で店主にその場で抑えられ、素直に罪を認めた事で、発覚した。学校は本人の意思と反省度合いを鑑みて、こちらも厳重注意止まり。学校にも事情があったのか、表沙汰にはしなかった。よって、車折を含めた一般生徒は知らされていない。俺も探りをいれてこの情報を手にするまで知らなかった事件だ。
「さて、ここまで基本情報を共有したところで、本題だ。実はこのリスト、デジタル万引きのリストでもあるが、それだけではない。他の犯罪も含まれている。たとえば、それこそ普通の万引き、盗撮、たばこ、飲酒、薬物などが列挙されているんだ。それも全て未成年の青年少女。そうだろ?」
「ええ、その通りです」
相棒は間を開けずに、真剣な表情そのままに言った。
「このリストを相棒に用意して貰ったのは、ここに載っている彼ら、彼女らは前科でありながら被害者でもあるということ。この過去に傷をつけてしまった未成年達の共通の被害はデジタル・タトゥーだ」
「デジタル・タトゥー?」
車折は今度こそ聞いたことがないようであった。デジタル万引きの言葉そのものは知らずとも、許可を得ずにマンガのスキャン、電子書籍の違法ダウンロードの事例は身近な話題だから、きっとどこかで見聞きしていたことから類推、理解できるところもあったであろう。しかし、デジタル・タトゥーの方は、言葉から推測できることが確かに少ない。なんとなくわかりそうで、わからない。そんな程度であろう。平成の晩期から令和初期にかけてデジタル革命が起きたことで問題が大きくなった二世代前から続く、このリストの犯罪と同様なレベルで今や定番の事例の一つであるのだが、流石に死語の死後か。
「人の記憶から忘れ去られた過去であっても、当人が忘れられずに隠していたはずの過去であっても、インターネット上に一度刻まれた傷はいつまでも残るということ。複製されて、拡散されて、いつまでも残り続ける。そういうものさ」
誰も覚えていないのに、そこには残り続ける。必死に忘れたはずなのに、そこには残り続けてしまう。記憶の中だけではないのだ。過去はやり直せず、戻ることもできない厄介な代物。だからヒトは前に進むしかなくて、進まされる時間を睨みながら立ち上がって、だけど、この文明が発達しすぎた現代には、そこにはそれが残り続ける。過去は後ろにあるんじゃあないから。いつだって目の前にあるし、隣を歩いているし、自分の中に鍵を掛けて仕舞っているものだ。稲山口も、車折も、相棒も、神も。俺も。
「それは、気が付かなかった」
「気づかなかった?」
車折は悲しそうに笑顔を向けてくれる。正直長く見ていたいものではない。
「〝気〟が、〝つかなかった〟んだよ。ぼくらは毎日のように誰かの過去を耳にしているはずなのに、永遠に残るものだなんて気が付かなかった。昨日の政治家も、三日前の芸能人も、何年も前の事件のことも。毎日ぼくらは聞いているし、見ているのに、やっぱり他人ごとだった。自分なら、って言うことは考えるけど、自分事にして考えたりはするけど、でも結局それは仮定で、想像で、妄想だから自分でもないし、そのヒトでもない。稲山口さんのことも、同じだよね。どうしようも、ないのかな」
俺はこれを聞いて思ったんだ。ああ、やっぱり、
「面白いこというな、車折は」
「もう、恒! こっちは、この問題に! ぼくなりに! ほんと、真剣に悩んでいるんだからね!」
「ああ、はいはい。わるかった。ありがとな」
「じゃあ、恒はなんとかできるの?」
「ああ、もちろん。そっちはな」
そっちはいくらでもできる。問題は、周りを泳いでいるカワウソの方だ。
「ほんとに!」
「車折が望むなら」
「望む!」
「わかった。じゃあ、そっちもやろう」
「……? ということは、稲山口さんの、その、デジタル・タトゥーを解決することが、恒の問題じゃないの?」
「言っただろ。俺の本職は暗号だって。例の発信者が、このリストに関わる過去を洗いざらいひっくり返している可能性がある。もしかしたら、俺の知りたいことに辿り着けるかもしれない。つまり――」
「そういうこと、か!」
「ああ、そういうことだ」
俺の台詞を取られてしまったが、車折は大いに納得したようで、笑顔になった。
「じゃあ、さっそく話でも聞いてくるかな」
相棒と俺、車折は立ち上がって、あの三人の方へと足を向ける。さっきの三人はもう遠くへいってしまったが、車折が電話を掛けながら声を大きくして走ればそれで十分さ。俺たちはこれから過去に関わるんだから、元気にいかないと。自分のではなく、他人の過去に、それも自己都合で触れるのだ。ああ、もう、どうしたってこのデジタル・タトゥーの行く末など、やはり自分から目を背けたい人間の、想像上の戦闘機でしかないんだけどな。
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