第3話


 しばらく滑空することおよそ、10分。端の方から移動を始めたせいかもしれないが、それでも森はかなり広いようでいまだに端は見えない。しかしそんな中で何やら、先ほどの湖よりもかなり小さいものの、同様に開けた場所を眼下に発見した。そこには小屋らしきものも確認できた。

 しかも、近づくに連れて見えてきたのだが、人らしき影も大勢見える。

 徐々に速度を落とす。飛行もこの10分間のうちにすっかり慣れていたためスムーズに飛行できるようになっていた。


 どうやら、影は人であっていたらしい。こちらの世界の人とは初めての邂逅だ。

 ただ何やら雲行きが怪しい。

 まず、その人間の格好が怪しい。ボロボロのバンダナのようなものを頭に巻いて、薄汚れた七分丈のズボンを履き、袖無しの毛皮の上着を素肌の上に直接着ている、いかにもな服装なのだ。しかも、うろついている30人くらいの全てがその格好なのだ。

 しかも、こっちを見て、「化け物だ!」「らなきゃられるぞ!」等の声が飛び交っている。

 その声を聞き、おお、向こうに連中が何を行っているか分かるぞ! しかも、日本語に聞こえるな……、等と少し浮かれたが、どんどん状況は悪くなっている気がする。

 あれ? なんか騒がしくないか? ってか、なんか酷くないか? 化け物って俺の事だよな……。


「ああ、そういえば俺、竜だった」


 飛んでいるにもかかわらず、竜だと言う事をすっかり忘れていた。加えて言えば、竜の姿のまま会話に応じてくれる人間が果たして何人いるのか。それについての考えもすっぽりと抜け落ちていた。どうやら、この様子を見るに、このままでは普通の会話を期待するのは難しそうだ。そもそも、山賊か盗賊らしき恰好のやからと話が通じるのかと言う問題があるが、それについては、向こうの言っている言葉が分かるということから期待してもいい気はするが。


 と、すっかり自分の世界に入り込んでしまっていたが、どうやら、盗賊(仮定)たちは準備を整えたらしく、こちらに対して、弓を構えていた。


「弓か……、これ、射られたら流石にヤバいかな? でも普通の弓っぽいし、一応俺だって竜の端くれのはずだから鱗で弾けるか」


 等と呑気に考えている間に、盗賊の頭らしき奴が声を上げた。


「撃てぇい!」


 どことなくドスの効いた重い響きの声の後に、次々と風を切るような音が飛来した。

 ただ、飛んで来る矢の音に異音が混じっている。明らかにただの矢の音じゃない。確かに風を切り進んで来るそれは普通の矢に見える。が、しかし、矢の周りを何か透明なものが、渦を巻いて包んでいるのだ。

 それでも、明らかに危険そうな矢に対して危機感を抱かなかったのは、無意識のうちにあの程度ならば問題ないと判断したからだろう。

 本能に近い部分で悟っていたそれは、間違いでは無かった。しかし、起こってしまったことは、そんな考えを貫いた。何が悪かったのか、と聞かれれば、ただ運が悪かったとしか答えられないだろう。

 一斉に飛んできた矢は、そのほぼ全てが風を纏っていた。しかし、そのせいで隙間を埋め尽くしてしまい、互いに干渉し、まるで光の乱反射のように暴れ回って矢の嵐と化してしまったのだ。

 その矢の嵐に上半身が包まれた。始めのうちは確かに何の問題も無かった。軽くつつかれた程度のものだった。そんな中、吹き荒れる内の一本が顎と首の境目辺さかいめあたりに直撃した。

 一瞬の出来事だった。当たったその瞬間、視界が真っ白になり、わずかに遅れて恐ろしく鋭い、それでいて馬鹿みたいに重い痛みが全身を貫いた。


「GYAoooooooooou!」


 無意識のうちに、叫んでいた。そこに先ほどまでの楽観的な考えはない。

 余りの痛みに口を突いて出たその声は、人成らざる響きで森に行き渡り、そこに住まう全ての者を心の底から、身体の芯から震え上がらせた。

 盗賊達も例外ではない。すぐさま次の矢をつがえようとしていた盗賊の手から矢がこぼれ落ちる。仲間に指示を出していた盗賊のリーダーらしき者の怒号も止まり、歯をガチガチと打ち鳴らす。他にも、細かな作業をしていた盗賊の動きが止まる。

 竜の叫び声が止む頃には、森を不気味な程の静寂が支配していた。


 そして、唐突に惨劇の幕が上がる。

 すでに、はっきりとした意識は無い。


「ああぁっ……、邪魔だ!」


 朦朧もうろうとした意識のまま、鬱陶うっとうしいとばかりに、荒れ狂う矢をまるで蠅を払うかのように無造作に振るう。すると、その腕の動きに合わせて突風が発生した。

 突風は矢を巻き込み森へと吹き荒ぶ。矢が、前衛で弓を構えていた盗賊達に当たり、強風が、その盗賊ごと木々をなぎ倒す。そのまま木々は砕け木片となり、さらに盗賊を巻き込んでいく。

 風に煽られ盗賊のほとんどは宙に舞い、決して柔らかくは無い地面に叩き付けられ、真っ赤な花を咲かす。

 運よく避けた盗賊は、盗賊よりも高く吹き飛ばされた木片により、ハチの巣と化す。


 一瞬だった。ほんの二、三秒のうちに辺り一面がらくたの山と成り果てた。そこには鬱蒼と茂っていた森も、そこに住まう動物も、動き回っていた盗賊も、その盗賊が住んでいたであろう小屋もなにもかもが無くなっていた。

 森のあった場所は荒野のように地面を晒し、小屋は土台のような後と僅かな床の痕跡を残し更地と化していた。

 空に舞う一匹の竜を中心に直径1キロメートル程の範囲にはもう生命と呼ばれるものはいなくなっていた。

 そして、先程までの嵐が嘘のように静かな空間が形成された。酷く物悲しい空間だった。

 そんな静寂を一身に受け、僅かな間とは言え意識が朦朧としていた俺はようやく我に返る。


「これは……、俺がやったのか……」


 ゆっくりと地上に下りながら、思わずといった様子でこぼれた言葉には、されど人を殺したことについての後悔の感情などは無かった。強いて言うなれば、森を破壊してしまったことに対する申し訳なさや、たったの一振りの破壊力の高さに対する驚きの感情があった。


「なんていうか……、あんまり人を殺してしまった事についてあんまり後悔しないんだな……」


 何となくだが、理由は理解している。

 さっきは舞い上がって忘れてしまっていたが、結局は『俺は竜。元人間ではあるが、今は違う。だからさっきの奴等は違う生き物』と言ったような考えが心のどこかにある様な気がするのだ。ただ、奴等が攻撃してきたと言う事も『殺人』と言う事実を容認しやすくしている一つの要素な気がする。違う生き物でも、結局は元同じ生き物と言う感覚もあるのだから。


「まあ、何にせよ有り難い。後悔はしなくとも、『罪悪感が無いか』と問われれば流石に無くは無いからな。後悔してここで立ち止まるってのが一番困る」


 先ほどの戦闘で、否が応でも理解させられた。ここが異世界で、そんなことで躓いていてはすぐに命を落とすであろう事を。

 そりゃあ、竜が頭上に飛んできたら矢くらい射掛けたくなろう。ただ、そういう事ではないのだ。

 地球ではそう思っても手元に弓矢などない。しかしそれがある。それこそ決定的で間違えてはいけない違い。盗賊だけしか見ていないからと言って、あれだけの数の武器を持ち寄れるのだ。少なくとも、地球よりも身近だろう。

 加えて、竜は決して無敵ではない。そりゃそうだろう、と思うかもしれないが、少なくとも、人間にはどうしようも出来ない存在だとばかり考えていた。無意識のうちに。人間は竜よりも下の存在である、と。

 しかし現実は、竜にも弱点があり、人間でもそこを付くことが出来ると言う事だった。

 確かに、地球の御伽噺に出て来る竜には、『逆鱗』という弱点のようなものがある。しかし、フィクションの中ではあまりそういう話を見なかった。俺が、そういった話を読まなかっただけかもしれないが、少なくとも、よくある話ではなかった気がする。大抵が、かなり強いか、それこそ神にも匹敵するレベルの存在だったりすることが多い。雑魚い竜でも、弱点なんて聞かなかった。そもそも、弱点があっても、盗賊が如何こう出来るものじゃなかったはずだ。


「取りあえず今は気を付けるくらいしかできないし、戦闘に関しては慎重に行こう。魔法的なもの……もう、魔法でいいや。魔法もうまく使えないし」


 そう。今はどうしようもできないのだ。先ほどの強烈な突風も偶発的な物で自発的にはどうすればいいかまだよくわからないし、弱点である部位はこの巨体では隠し様が無い。なので、決意するだけにした。もし、戦うことになったらその時に改めて考えよう。最悪は、逃げよう。


「さて、とりあえずどうするか……」


 呆然とし、いろいろと考え、ふと気が付けば、太陽はすでに頭上を通過した後だった。

 夕方とまでは行かないが、もう三時位にはなっているのではなかろうか。

 

 先ほどの空からの光景を思い出すと、この森の終点はまだまだ先だったはず。このまま行けば、夜になってしまうだろう。

 人間だった頃は、夜目が全くといっていい程効かなかった。地球であれば完全な暗闇などそうそう行き当たらないが、こちらでは簡単にお目にかかれる事だろう。

 はっきり言って御免被りたい。

 なにせ、こちらでは夜になったときに夜目が効かなければ命に関わる。

 仮に効かないのであれば、せめて、あの初めにいた場所で、壁を背にしておきたいのだ。何というか、先ほどの戦いで少し臆病になっている気がするが、このくらいがちょうどいいだろう。

 因みに腹は得に減っていないので、食糧についてはまだ考えていない。


 ということで今回は、ここいらで引き換えそう。


 そう、結論を出した矢先だった。

 何処かからくぐもったうめき声のようなものが聞こえたのだ。

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