心の余裕
数ヶ月後…。
屋敷の庭からパシッパシッと力強い音が辺りに響いていた。
その音を聞きながら老人は縁側から二人の成長した若人の姿を眺めている。
一人は強く勇ましく育った御言。
もう一人は昔のようにウジウジとした少年ではなく、力強くたくましく育った鬼人の姿を。
あれから二人は老人の元、修行に明け暮れて今ではそこらの武士や妖をものともしない程の強さを得ることができた。
だが、まだまだ強くなりたいと願う二人は互いに武器を取り、修行に励む。
「なぁ、そう言えばオラまだ爺ちゃんの名前知らないんだ。御言は爺ちゃんのことを知ってて会いにきたんだよな。」
「当たり前だろ…寧ろ、お前があの人の名前を知らない方が……そういえば意図せずにここにいたんだったな。それならば無理もないか…。」
「それで爺ちゃんって何者なんだよ。」
「それは「…お前達…無駄話に花を咲かせている場合か?」
声のした方へ視線を向けるとそこには老人が鬼人達を見ながら呆れた顔をしていた。
「けどよ、オラは爺ちゃんの名前さえ知らないんだぜ。それぐらい教えてくれてもいいじゃんか。」
「そういえばまだ名乗って無かった…かのぅ…。いかんいかん、歳をとってしまうとそんなことさえも思い出せなくなってしまうわい…ほっほっほっ。」
「いや…名前は…。」
「わしの名が知りたかったらまずは御言に勝つことじゃな。ほっほっ。」
高笑いをしながら老人は屋敷の中へと戻っていく。
「だってよ、鬼人。こりゃ負けられなくなっちまったな。」
「そうだね、そんじゃ…御言を倒して爺ちゃんの名前を聞き出しますかっ!!」
一度、本気でぶつかり合った御言の存在は鬼人の中では兄のような存在へと変わり、鬼人がたくましく育つきっかけへとなった。
今ではウジウジとした態度は滅多に見られなくなり、目の前の相手に対してもちゃんとぶつかり合うことのできるように変わっていったがそれでもまだ御言には一歩及ばずに鬼人は空を見上げるのであった。
「はぁ…はぁ…くっそ〜っまた負けたっ!!!」
「はぁ…はぁ…はぁ…まだまだお前には負けんよ。ほら、一休みしようか。」
差し出された手を取ると鬼人は嬉しそうに立ち上がり、御言の肩を借りながら屋敷へと戻っていく。
「鬼人、お前少し背が伸びたか?」
「そうかな、自分じゃあんまり分かんねぇけど。」
「いや…確かに大きくなったよ。」
御言の言うように鬼人の背は実際に伸びていた。
まだまだ御言の方が背は高いが御言自身も一般的な人の身長よりは高い方だった。
自分の弟が成長したような気持ちを感じ、御言は少し誇らしげに微笑む。
「これじゃ、いつかは御言の身長を抜かすかもな。」
「馬鹿言え、お前は一生、俺の下だよ。」
たわいのない会話をしながら屋敷の中へ戻り、居間へ向かうと老人が既に座って待っており、二人も老人の前に正座する。
「どうやらまだ鬼人には名を名乗るには早いようだな。」
タンコブのできた鬼人の頭を見た老人は顎髭を撫でながらそう言うといつものように高笑いをする。
「そんな〜別に名前ぐらい教えてくれたっていいじゃんか。」
「御言に勝ってから言え。それよりもお主達の為に面白い特訓を考えたんじゃが…やるぞ。」
「拒否権は?」
「ないに決まっておろう。」
不適な笑みを浮かべる老人を見て、二人は頭を抱える。
今までこういう時に思いついた特訓はどれもとんでもないものばかりだった。
この前は恐怖心を克服すると言い、老人は鬼人達を滝の上へと連れて行き、飛び込むように命じたり、木の下で一休みしている二人の頭上にあった蜂の巣を石で落としたりと散々な目に遭ってきた。
「…爺ちゃん…今度は…何?」
「…またあの重たい亀の甲羅を背負わせて階段を登るとかか?」
「今回はそんな簡単なものではないぞっ。ってなんじゃ…その嫌そうな目は…。わしの特訓が気に食わないとでも言いたいのか?」
「………。」
二人は何も言わずにジトッとした目で老人のことを睨みつけていると老人は軽く咳払いをする。
「まぁ…お主達がどう思おうと勝手なことじゃが…わしは寂しいなぁ…せっかく夜通し、お主達のことを思って考えてきていると言うのに…わしは寂しいっ!!!」
「だったら、爺ちゃん自らがオラ達に稽古をつけてくれよっ。」
「そうだ、鬼人の言う通りだっ。」
「何おうっ、いつもお前達に稽古をつけてやってるではないかっ!!!」
まるで子供のような喧嘩を鬼人達と老人ははじめてしまう。
「だからっ、ちゃんと爺いが稽古をつけてくれって言ってるんだっ。」
「へへん、わし自ら教えるにはまだまだお主達の経験は浅いんじゃ。悔しかったらわしを納得させてみんかいっ!!!」
「言ったな、御言っ!!」
「おっしっ、やってやるっ!!!」
さっきまで使っていた木刀を取り出すと、二人は武器も持たない老人へ斬りかかっていく。
「ちょっ、お前らっ。わし、武器持ってないっ!!!」
「うるさいっ、準備をしてなかった爺いが悪いっ!!!」
御言と鬼人は左右に分かれ、挟み撃ちをする。
だが、老人は目を鋭くさせると二人の攻撃を軽くあしらい、掌底を二人へくらわせた。
「おっ、武器も持たぬ老いぼれ一人に膝をつけるか。かっかっかっ。」
二人は膝を床へつけると悔しそうな顔をし、また老人に向かって攻撃を繰り出した。
「ほれほれ、ちゃんと当てんかいっ。」
突きを出した御言の木刀を掴むと老人は一回転し、御言の木刀を取り上げる。
「なぁっ!?」
「甘いっ、お主の攻撃は団子のように甘すぎるっ!!!」
「隙ありっ!!!」
御言に気を取られている老人の後ろから思いっきり、木刀を鬼人は振り下ろしたが老人はその動きが分かっていたかのような動きをとり、鬼人の一撃をひらりと避けるとしゃがみ込み、鬼人の股下に木刀を挟み込み、そのまま足を払った。
「ぐえっ!?」
背中から床に倒れていく鬼人。
老人は倒れる二人を見ながらニヤッと笑い、木刀を鞘に入れる仕草をすると高笑いをする。
「かっかっかっ、お主達が力を合わせてもまだまだわしには及ばんなっ!!」
「ううっ…ぐっ…。」
床に倒れている鬼人は頭を抑え、蹲ると苦しそうな声を上げ始め、老人は慌てて鬼人の元へ駆け寄っていく。
「どうした、頭でも打ったかっ!?」
なかなか立ち上がらない鬼人の肩を揺さぶると鬼人はガシッと老人の足を掴み、払いあげた。
「ぬわっ!?」
態勢を崩した老人の隙をつき、御言と鬼人は老人の上に飛びかかり、抑え込むことに成功する。
「やったっ!!」
「油断したな、爺いっ!!」
「馬鹿もんっ、正々堂々とわしに勝たんかっ。まったく…。」
自分の上で喜ぶ二人を見ると老人は軽く呆れはしていたが、右手を目にかぶせると大きな声で笑い出した。
「よぉ〜しっ、お主達を秘密の場所へと連れて行くことにする。だから、早くわしの上からどけっ。」
二人には老人の声は届いていないのか、なかなか退こうとはせずに、互いに笑っていた。
「はよっ、退かんかっ!!」
痺れを切らした老人は二人を押し払うと頭に拳骨を喰らわせる。
「「いってぇっー!!!」」
「お主達が退かんからだっ。ほら、早くわしについてこいっ!!!」
頭にタンコブを乗せた二人はジンジンと痛む頭を押さえながら老人の跡をついて行くと老人は屋敷の裏口から外へ出ると下へと続く道を歩いていく。
数ヶ月後の屋敷で暮らしてきた二人だったが、こんな道があったことは知らなかった。
「これはどこに?」
「行けばわかる。」
この先に何があるのか、二人は顔を見合わせると肩をすくめ、何も言わずに老人について行った。
「着いたぞ。」
顔を上げるとそこには湯気の上がった小さな池のようなものがポツンとある。
池の中には顔を真っ赤にした猿がくつろぎながら気持ちの良さそうな顔をしていた。
「これは?」
「…風呂じゃよ、風呂っ。」
風呂と言う言葉を初めて聞いた鬼人は首を傾げながら御言の顔を見る。
「風呂というのは身体を温めたり、洗ったり、気持ちを落ち着かせる時などに使うものだ。」
「説明ご苦労っ、それでは皆で汗でも流そうではないかっ!」
二人の前で一瞬で裸になると老人は風呂へ飛び込んでいく。
御言も同じように服を脱ぎ捨て風呂へと浸かっていった。
「鬼人っ、お前も来いよっ。すっごく気持ちがいいぞっ。」
湯に浸かり、寛ぐ御言はじっと風呂を眺めている鬼人を誘う。
「おっ…おうっ。」
着ている衣服を綺麗に脱ぎ、畳むと前を隠しながら足先を湯に浸からせた。
「なんじゃなんじゃ、男ならもっとどっしりと構えんかっ。」
うるさい野次を無視して、鬼人も湯の中へと入って行くと大きく息を吐いた。
「はぁぁぁ…こりゃ…気持ちが良いや。」
生まれてはじめての風呂は新鮮でとても気持ちがよく、風呂というものが鬼人は大好きになる。
「何で爺いは今まで風呂を教えてくれなかったんだ。風呂があったと知ったら俺達もあんな冷たい水で身体を洗ったりしなかったのに。」
「この風呂はわしが認めた者しか入れんようにしてるんだ。お前達は文句は言うがわしの特訓について来ているしな…まぁ…その褒美じゃよ。」
「もう何でも良いよ〜。こんなに気持ちいいんだもん〜。」
ユラユラと老人と御言の前を鬼人が通り過ぎて行く。
「まったく…気が緩んでおるっちゅうに……それで話は変わるが御言よ、お主はこの先どうするつもりだ。」
奥へ移動した鬼人を横目に老人は真剣な顔つきへと変わる。
「どうするとは…?」
「わしの下で刀の術を学び終えたら…のことじゃ。」
「………。」
「お主が何をやろうとしているかは分かっている。だが、それをやってしまえばお主は苦労することになるぞ。」
「そんなことは…分かってる…だが…。」
あの時、全てががらりと変わってしまった日に御言は悔し涙を流しながら心に誓ったことがある。
この先、何十年、何百年と経とうと全てを奪った男を許さないと。
その誓いのお陰で今まで強く生きることができた。
その誓いを今更、変えることなど御言には決められなかった。
「一人で全部を抱え込むな、このままじゃ…きっとお主は重荷に押し潰されてしまう。そんな時は肩の重荷を仲間に託すのも手じゃ、そうすればもう少し楽に生きることができる。」
チラッと鬼人の方を老人は見るが何も知らない鬼人を巻き込むわけにはいかない。
「…この荷は彼奴には重すぎる…だから俺が…やるしかないんだ。」
御言の決意は固く、老人の言葉では簡単には揺らぐことはなかった。
そんな死に急ぐ御言に老人はある技を教えることに決める。
「……お主に究極の技を教えてやろう。」
「究極の技?」
「この技はな、とても難しい技じゃ。腕に自信のあるお主でも扱うことはできんかも知れん。」
「……教えてくれ。」
「よろしい、では耳をかせ。」
老人から教わった技は単純なものだった、だが確かに難しい技だ。
「…俺には会得出来そうにない技だ。」
「そんなことはない、やろうと思えば誰にでも扱えるものだ。ただし、この技を使ってしまえば、お主の今までの苦労も全てが水の泡になってしまう。」
「………。」
「わしはな、今まででいろんなことを体験してきた。人とは妖よりも醜い生き物じゃ、相手を蹴落とし、自分だけが助かる道を選んでしまう。わしもそんなことをやったりやられたりでな、苦労をしたよ。けど…この技を扱った時、全てが一回転したんじゃ。苦しかったことも悲しかったことも、全ての重荷が消えた。どうでも良くなったんじゃ。だから、お主も…そうであったら…良いと思ってな。」
過去を思い出し、遠くを見つめる老人の言葉に御言は感じるものがあった。
「………頭の隅には入れておく。」
「うむ、今はそれで良い。」
初めて出会った時ならば、きっと今の話にすら聞く耳を持たなかった筈だろう。
だが今の御言はあの時と比べ、少しばかり心に余裕が出来た。
そのおかげか、こうして老人の話を真面目に聞くことが出来たのだろう。
「なぁ…何を話してんの?」
ぷかぷかとあちらこちらに浮かびながら移動していた鬼人が顔を真っ赤にしながら二人へと近づいてくる。
「鬼人…お前…ゆでだこみたいだな。」
「これで少しは鬼らしくなったのではないか。」
二人はそう言うと大きな声で笑い出し、鬼人を馬鹿にした。
そんな二人の態度が気に入らなかった鬼人は拗ねてしまうと風呂から上がり衣服を身に纏う。
「ふふふっ、鬼人待ってくれっ。」
「御言っ!」
鬼人の後を追い、風呂から上がって行く御言を引き止めると老人は湯から立ち上がり、
「鬼人のことを頼んだぞっ。」
と言うと御言の隣を通り過ぎ、衣服を身につけずに裸で屋敷へと戻って行った。
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