気がつけばここに
目を開けると目の前には真っ黒な闇が広がっていた。
一筋の光もないこの闇の中で過ごしていると時間の間隔など分からなくなり、どれくらいの時が経とうとしているのかさえも分からなくなる。
鬼人は少女の影に取り込まれてから闇の中を永遠に彷徨っていた。
自分が生きているのか、それとも死んでいるのかさえ分からない。
気がおかしくなってしまいそうになったことも何度もある。
だが、その度に鬼人は鬼助から託された石を力強く握りしめ、正気を保っていた。
父親である鬼助から渡されたこの石を握り締めていれば不思議と心が落ち着き、嫌な気分も少しは楽になる。
そして、とうとう鬼人の前に小さな眩い光が現れる。
「目を覚ませっ、鬼人っ。」
光から小さな声が聞こえた。
その声には聞き覚えがある。
力強くて優しい父の声。
「父…ちゃん。」
いくら捻り出そうとしても出なかった声が出るようになり、手足の感覚が呼び戻される。
「父ちゃんっ!!!」
真っ直ぐに力強く、一歩、又一歩と足を踏み出すと光が鬼人の体を包み込み、鬼人の体は現実の世界へと呼び戻された。
「ここ…は…。」
太陽の光が眩しく目を隠しながらゆっくりと開けていく。
すると目の前には緑が生い茂った木々が目に入り、青々とした草の香りが鼻腔を突き抜ける。
帰ってこれた。
そう思った時だった。
「おいっ、そこのお前っ!!!」
後ろから若い男の声が聞こえた。
「…えっ?」
ゆっくりと振り返ると刀を構えた若い男が鬼人の真後ろに立っている。
黒い布を頭に巻き、顔には大きな傷跡を残した鬼人と同じくらいの歳をした男。
その男には何故か、懐かしさを感じる。
「こんな所で何をしているっ。」
「えっ…えっとっ…。」
状況を理解できずにキョロキョロと首を動かすと男の他にも奥に白髪に染まった頭と喉元まで伸ばした顎髭を生やした老人がニヤニヤとしながら鬼人のことを見ていた。
「貴様っ、質問に答えろっ!!!」
「こら、御言よ。客人にそんな態度をとるな。…すまんな、最近の若いもんは血の気が多くてな。」
優しい態度で老人は鬼人に手を伸ばすと鬼人は差し出された手を取り、身体を起こし上げる。
老人の手はとても暖かく、元の世界に帰ってこれたのだと実感をすることができた。
「あっ…ありがとう。」
「礼なんか良い、それよりも食事でもどうだ。どうやら腹を空かせているようだが…。」
老人がそう言うと鬼人のお腹から大きな音が鳴り、顔を赤くした。
「そんな…俺の為に剣技を教えてくれるのではっ?」
「ほっほっ、誰が教えると言った?」
「なっ、俺は貴方に剣技を教えてもらう為にここへ来たのですっ。貴方も先ほどっ「気が変わった、飯を食おう。話はその後じゃ。」
「くっ…。」
若い男は下唇を噛むと鬼人のことを睨みつけ、老人と鬼人の前から立ち去った。
「あの人…放っておいていいの?」
「どう追い返そうか考えていた所だったんだんじゃ、それにどうせまた来るだろう。今は放っておけばいい。」
老人はそう言うと片目を閉じ、またほっほっと笑い、山道を登っていく。
「それで…突然、姿を現したお前さんは何者だ?見たところ、妖には見えんし…人にも見えん。お前さんの名は?」
「オラは…鬼人。その…何でここにいるのかはオラにも分からないんだ。」
「分からないってことはないだろう、お前さんがここに来た経緯を教えてみなさい。」
老人のことを信用していいのか、迷いはあったが悪い人にはとてもじゃないが見えず、鬼人はこれまでの経緯を説明する。
「成る程…人と鬼の子…か。こりゃまた、珍しいもんを見てしまったな。たまげた、たまげた。」
驚いたような口ぶりで話をしてはいるがどうにもそんなふうには見えなかった。
「その…オラの話を聞いて何かわかったこととかある?」
「ん〜…ない。」
「どうやってここに来たとかも?」
「知らん。」
「………。」
落ち着いた態度で話を聞いていたから何かを知っているのではないかと期待はしたが、どうやら何も知らないらしい。
「…ただ一つ言えることは…お前さん…水浴びをしたことがないだろう。」
「水浴び?」
「お前さんから獣の匂いがしてな…。別に臭いと言っているわけではないが…わしの家に来たらまずは井戸で身体の匂いを落とせ。」
老人は鼻を摘みながら鬼人と話をしていた。
自分の体がそんなに臭うものなのか、自分で確かめてみると確かに、熊座右衛門の匂いがこびりついているような気がした。
しばらく老人とたわいのない話をしていると目の前に階段が見えて来た。
だが、その階段はとてつもなく長く終わりが見えない。
「さてさて…ここまで来たら後はあの階段を上り切るだけだのぅ。しっかりとついてこい。」
そう言うと何食わぬ顔で階段を上がっていく。
ここまで結構な距離を歩き、鬼人は疲れを感じていたにもかかわらず、老人は汗一つかかず、涼しい顔をしながらさらに何千もの段数がある階段を登り切ろうとしていた。
「これを登り切るの?」
「当たり前じゃ、この先にわしの家があるのだからな。それともなんだ、わしがお前さんをおぶって登るとでも思ったのか?」
「……。」
果てしなく続く階段を眺めながら唖然としていたが、他に行き場のない鬼人はぐっと歯を噛み締め階段を一段ずつ力強く登っていく。
それからしばらく階段を登っていると後ろから声が聞こえる。
「これぐらい…あの時と比べれば…。」
そこにはさっきの若い男が鬼人と同じように息を荒くしながら鬼人の横へ登ってきていた。
「…お前には負けん。」
小声で男がそう呟くと鬼人も負けじと階段を登っていく。
二人は競い合うように速さを上げると全速力で階段を駆け上がって行った。
「ふっ…若いのぅ。しかし、自分の体力ぐらい考えんか。」
まだまだ先は見えないにもかかわらず、二人の息は荒くなっていく。
そしてとうとう二人の足が止まってしまった。
「はぁ…はぁ…。」
膝に手をつき、その場で立ち止まる二人の横をひょいっと軽い足取りで先へ進む老人。
二人はその姿を見て唖然としていた。
「ほっほっ、まだまだ先は長いぞ。そんな所で休んでいちゃ、日が暮れてしまうだろうな。はっはっは。」
どうしてあの老人はあそこまで元気なのだろう。
そんなことを考えていると鬼人の一段先にいる男は鬼人の方を振り返り、
「あの嘘つき爺いに負けてられるかっ、お前も根性を見せろっ!!」
と大きな声で叫ぶ。
だがそう言う男の足はすでに限界を迎えているのかプルプルと震えている。
「お前の方だって足が震えるぞっ。そんなん登り切れるのかよっ。」
「何ぉ、俺はこれぐらいまだまだ大丈夫に決まってるっ。見てろよ、お前よりも先にこの地獄のような階段を上がってみせるっ。」
そう言うと男は震える足でまた進み出した。
鬼人も両頬を叩くと気合を入れて、男の後ろを歩いていく。
そして、数時間をかけて階段を登って行くととうとう先が見えてきた。
「見ろっ、やっと終わりが見えたぞっ。あと少しだっ、踏ん張っていくぞっ!!!」
「うっ…うん。踏ん張ってこう。」
既に老人の姿は見えなかったが鬼人と若い男は肩を貸し合いながら最後の力を振り絞り、無事に階段を登り切るとその場に倒れた。
「はぁ…はぁ…やったぞ…。俺達はやったんだっ。」
「うん……やったね。」
ニッと笑い合う二人は拳をぶつけ合う、いつのまにか二人の間には奇妙な友情が芽生えていた。
「それで…あのおじいさんは…。」
「知らん…。」
二人は息が整うまでそのまま横になったまま休み、ある程度体力が戻ると奥に見える屋敷へと足を運んでいく。
屋敷の中では既に到着していた老人がお茶を飲みながら、鬼人達のことを待っていた。
「随分と遅かったのぅ。」
「あんな階段を登らされたんだ…そりゃ、これぐらいかかるだろう。」
「わしが若い頃でもまだもう少し早かったような気もしたが…まぁそんなことはどうでも良いわい。よし、飯にでもしようか。」
料理を取りに奥へと歩いていく老人の背を見送りながら二人は机の前に座り込み、机の上に置かれた水を乾ききった喉に流し込む。
やっと一息つくことができた二人だったが老人の持ってきた料理を見た途端に声を失った。
疲れ切った二人の前に出された食事は精のつくものばかりでとてもじゃないが食べ切れる自信はなかった。
「こっ…これを食べるの?」
「ご不満でもあるのか?今日は客もいることだからちと豪華にしてみたのだが…。」
「………うっ…。」
差し出されたものは肉と肉、そしてまた肉だった。
肉しかない料理を見て二人は口を押さえると顔を下へ向ける。
「遠慮はいらん、たーんと食え。」
老人は久しぶりの客人に満面の笑みで肉料理を勧めてくるが二人はそれどころじゃなく、料理を直視することができない。
「爺いはこれを…食えるのか…。」
「当たり前じゃ、むしろこれだけではまだまだ足りんくらいじゃわい。」
「…これを食べれば…強くなれるの?」
「そんなわけないじゃろ。」
だったら、もう少しさっぱりしたものを出してくれてもいいではないかと二人は考えるが老人は料理を下げる気などなかった。
ゴクリッと胃液を飲み込むと鬼人と男は顔を見合わせ覚悟を決めると料理を一気に腹へ流し込んでいく。
そして皿が空になる頃、二人はその場に倒れ込み天井を見つめていた。
「もっ…もう…食べれない。」
「…同じく…。」
ボコっと膨れ上がった二人の腹を見つめると老人は嬉しそうに高笑いをする。
「飯も食ったことだし…。」
「修行を…うぷっ…つけて…うっ…ゴクッ…くれるのか。」
「お前さんがその状態で修行ができるのなら、構わんが?」
「………。」
若い男は立ち上がろうとするが胃の中に入っている肉の塊が邪魔をする。
「……今は…無理みたいだよ。爺ちゃん。」
若い男の様子を見ていた鬼人がそう言うと男は立ち上がろうとするのを諦め、元に戻り天井を見つめていた。
「ほっほっ、それじゃ一休みしようではないか。」
二人と同じように老人も一緒に寝転がり、三人は床で寝そべりながら天井を見つめ、各々のことを自己紹介を始めた。
「そういえばまだお主の名前を聞いていなかったな。」
「俺は…御言(みこと)。ある目的のために爺さんの元へと修行をつけて貰いにやってきた。」
「目的…どうせ、くだらん理由じゃろ。」
「くっ…くだらなくなんかっないっ!!!俺は…俺はっ…。」
過去に何があったのだろうか、男は目を瞑ると眉間にシワを寄せ、歯を噛みしめる。
だが、さっき食べた料理が腹の中で暴れ出したのか口元を押さえると白目を向いていた。
「お主の過去に興味はない。だが、今のお前には教えれることはない。」
「何故…だっ、どうして教えてくれないっ。」
「憎しみや怒りの籠もった刃は自分の身を滅ぼす。わしは死のうとしているものに剣技を教えるつもりは毛頭もない。」
話がいまいち分かっていない鬼人は二人の話を黙って聞いていた。
すると今度はそんな鬼人へ若い男は質問をする。
「お前は…何の為にここへきた。お前もきっと俺のように目的のためにここへきたのだろう。」
「えっと…その……オラは何でここにいるんだろう。」
気の抜けた返答に老人は大きな声で笑い出し、若い男は黒目を取り戻し、呆れていた。
「何のために…だと…。お前…この爺さんが何者かぐらいは?」
「…分から…ないよ。」
「………刀を握ったことは?」
「…一度も…。」
「…お前……強くなりにここへきたのでは…。」
「オラは…ただ…気付いたら…ここにいて…。」
「………。」
鬼人の返答を聞き、白目を向きながら静かになる御言と二人の会話を聞き、静かに笑う老人。
そしてまずいことを言ったのかもしれないと不安を感じる鬼人。
それからしばらく三人の元へ沈黙が訪れ、三人は静かに眠りに落ちた。
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