少女の影

日は沈み、暗闇が訪れる。

中央では焚き火がパチパチッと音を立て、炎が空高く燃え上がっている。

熊座右衛門のおかげなのか、それともこの焚火のおかげなのか、辺りには獣の姿はなく、自然の脅威に怯えずに身体を休めることができた。

ただ、身体は休めても気持ちの整理だけはどうにもすることができない。

あの時、金太郎を止めれなかったことを鬼人は深く後悔していた。

田吾作のしたことは決して許されることではない。

それは分かっているつもりだ。

だが、田吾作のされた仕打ちを考えればああなってもしかたのないことなのだろう。

大切な人を自分の知らないうちに殺され、あろうことかそのことを隠され、最後まで娘と会うことさえも出来なかった。

それがどんなに辛いことなのか鬼人は分かっているつもりだった。

「鬼人…起きてますか?」

「起きてるよ…けど…ちょっと小便してくる。」

一人になりたかった鬼人は尿意などなかったが嘘をつき、金太郎と熊座右衛門から離れ、茂みの奥へと歩いていった。

「はぁ…なんて言うか…完全にどんよりとしてますね。」

重苦しい空気をどうにかしたいと熊座右衛門は鬼人に声をかけたが、その気持ちは鬼人には届かなかず、鬼人は何処かへ歩いていく。

鬼人がいなくなったことを確認すると熊座右衛門は金太郎に改めて話を聞いた。

「それで…本当は何があったんですか?」

一応の話は金太郎から聞いたが全てを話していないことに熊座右衛門は気付いていた。

真実は聞いた話とは違う。

金太郎は鬼人と熊座右衛門に話していないことがある。

「…何にもねぇよ。」

「嘘おっしゃい。何年貴方と一緒にいると思ってるんですか?ほら、話してくださいよ。」

話さなければきっとしつこく尋ねてくるだろうと考えた金太郎は鬼人が周りにいないことをもう一度、確認すると小さな声で熊座右衛門に真実を話す。

「今回の件…始めっから仕組まれてたんだよ。」

「仕組まれてたって何をですか?」

金太郎は間をあけるとふぅっと息を吐き、焚火の炎を見つめる。

「最初から、最後までだ。」

「それじゃ、始めから田吾作さんは死ぬ気だったというわけですか!?」

「ああ、彼奴は俺達に会う前から自分の娘が妖に喰われてたことを知ってたんだ。」

あの田吾作の反応からするととてもじゃないがそんなふうには見えなかった。

金太郎の話が本当だとしたらかなりの役者だ。

「私にはそんなふうには…。」

「俺もだよ、三代に会うまでは気づかなかったさ。三代が言ってたんだ。俺で自分を襲ってきた人間は三度目だって。」

「三度目…ですか?」

「ああ、一度目はきっと村の男達だろうよ。そんで二人目が…田吾作だ。田吾作には大きな傷跡が身体に残っていた。あの傷は三代のつけたもので間違いないらしい。三代は二度目にきた男に大きな傷を負わせたと言っていた。その傷は彼奴の傷跡が残っていた場所と一致する。」

「ですが、田吾作殿の娘さんが亡くなったことを何故、田吾作殿は知ることができたんですか?」

「…田吾作が洞窟へ訪れた時、三代は食料を食べていたと言っていた。その食料がおそらく…。」

「目の前で…ですか。」

焚き火を見つめる金太郎は静かに頷く。

自分の娘が目の前で喰われていた。

そんな現場に出会してしまったら耐えられないだろう。

「それから田吾作は約束を破った村人や村長に復讐を誓ったんだ。そして念入りに計画を立て、そこに俺達が現れた。俺は一度目は断ったんだ。ああいう奴に関わって損をしたことが山ほどあったからな…。まぁ、それを確かめるために彼奴を遠くから眺めてたんだよ。そん時に彼奴は断れまくって、気持ちが昂ぶったんだろうな、大きな声でみっともなく泣いてたんだよ。そん時に涙声でよく聞き取れなかったけど、今思えば、彼奴は仇をとってやりてぇって言ってたんだろうな。」

目を瞑ると今でもあのみっともない声が頭の中をこだまする。

あの時に田吾作の本心は現れていた。

それに金太郎は気付くことができなかった。

「そうだったんですね…それで同情をした貴方は田吾作殿に協力をしたと。」

「ああ、三代を殺すことが田吾作にはできなかった。だから、かわりに腕の立つ旅人に助けを求めていた。そんで俺達が現れ、かわりに三代を訴った。三代を俺達が相手している間にお前は何をしてたんだ?」

そういえばまだ金太郎と鬼人は熊座右衛門と別れた後の話を聞いてはいなかった。

「そうでした…話さなきゃならないことがっあるんですっ!!!」 

突然、何か大事なことを思い出したのか、目を見開き大きな声を出すと金太郎の肩を掴む。

「おわっ…何だよっ。」

「私見たんですっ、田吾作殿の家の窓から見たんですよっ!!!」

「だから…何を…。」

「鬼人の見たって言う少女の姿をっ!!」

「ああ…そう…。って待てよ…お前…もしかしてそのガキを追いかけて行ったりなんかしてねぇよな。」

「当たり前じゃないですかっ、私は片時も田吾作殿の側を離れたりなんかしていませんっ。ただ…気がついたら…いつのまにか気を失っていて…。」

その後のことは何も覚えてはいないと熊座右衛門は答える。

鬼人や弁剣の話にも出てきた少女。

鬼人は少女のことを椿と言っていた。

「その少女が…三代のことといい、何かしらの関係があると思った方がいいかもしれねぇな。そんでその少女の特徴は?」

「後ろ姿しか見ることができなかったのですが…見たことのない装束を羽織っていました。」

「どんなだよ…。」

「なんか…こう…ひらひらした感じ?」

両手をひらひらとさせる熊座右衛門の姿を見て頭を抑える金太郎に身振り手振りで教えようとするが全く伝わらなかった。

「しゃーねぇな。後で鬼人にでも聞くか…まぁ、話してくれるかはわからねぇが。」

「…私の説明じゃ、不満でもありましたか?」

「はぁ…それにしても鬼人は糞でもしてんのか。もう彼奴が小便に行ってからだいぶ経ってんだろ。」

熊座右衛門と話を始めてから数十分と経っているが鬼人は戻ってこない。

「確かに…遅いですね。まさか…もしかしたら何かあったのかもかもしれませんっ。」

「…ちと探しに行くか。」

全く帰ってこない鬼人に不安を感じた金太郎と熊座右衛門は立ち上がると鬼人の歩いて行った道を辿っていこうとする。

だが突然、殺気が茂みの奥から放たれた。

「熊っ!!」

「分かってますっ!!!」

二人が身構えると茂みの奥から顔を隠した人型の何かが姿を現した。

その頃、鬼人は金太郎と熊座右衛門の元を離れ、近くの湖の近くで腰を下ろし、水面に映った月を眺めていた。

近くにある小石を月に目掛けて投げる。

すると石が水面に当たった衝撃により波紋を作り出し、波紋により月はゆらゆらと動いていた。

こんなところでこんなことをしていても気持ちは優れない、むしろモヤモヤとしたものが広がっていくばかりだった。

田吾作が村長を殺していたあの時、鬼人は田吾作に恐怖を感じていた。

短刀を握りしめ、目を真っ赤に充血させながら、何度も何度も同じ場所に短刀を振り下ろしていた田吾作。

あの時の姿が忘れられない。

怒りや憎しみに心が染まってしまえば誰だってああなってしまうのかもしれない。

鬼人自信も弁剣に暴力を振るわれていたあの時、目の前にいる男達全員に殺意が湧いていた。

そして、気がつけば一人の男の耳を噛みちぎり、殺そうとまで考えていた。

自分も田吾作も変わりはない。

きっと立場が逆になっていたら…そう考えると鬼人も同じことをしたのかもしれない。

怒りによる憎しみを押さえ込むことなど容易なことではない。

そのことが今回の出来事で身に染みて感じた。

「ねぇ。」

不意に後ろから声をかけられその場で前に飛び跳ねてしまい、前のめりに顔面から地面へ着地してしまう。

ジャリジャリとした砂の感触が頬に伝わり、口の中に少しの砂が入り込み、散々な目に合ってしまった。

「ふふっ…。」

その姿を見てなのか、後ろにいる誰かは笑っていた。

「…笑ってないで助けてくれないかな…。」

「あっ…ごめん。」

柔らかい掌の感触が鬼人の腕に伝わる。

誰かの手に支えながら身体を起こしあげると目の前には頭にひらひらとした白い布を被った少女が立っていた。

「君は?」

「………何?」

首を傾げ、キョトンとした顔で鬼人の顔を覗く少女の姿に思わず鬼人は目を逸らした。

「いや…君は誰なのかなって。」

「……分からない…。」

ただ一言そう言うと彼女は鬼人の腕から手を離し、湖を見つめる。

そんな少女の姿を見ているとふと思い出した。

目の前にいる少女は田吾作の村に訪れる前に見かけたあの少女だった。

あの時は椿だと思っていたが、彼女は椿とは違う。

「貴方は…誰なの?」

「オラ?」

「うん。」

「オラは鬼人。その鬼と…いや、ちゃんとした人間だよ。」

「そっか。」

鬼と人の半妖と伝えてしまえば、彼女はきっと怖がるかもしれない、だから鬼人は嘘をついた。

「君は一人なの?」

「……分からない。何にも分からないの。」

「分からないって…どう言うこと?」

「何にもないの。私には何も…。」

名前も誰といたのかも何も知らないと言い切る少女。

そんな不思議な少女に鬼人は惹かれ始める。

「それは…おかしな話だね。本当に何も知らないんだよね。」

「うん、分からない。なんで私はここにいるの。」

「…いや、オラに聞かれても分からないよ…。」

「それも…そうだよね。」

しゅんと落ち込む少女を見ていると鬼人は放っておくことができずに慌てて少女のことを励まそうとする。

だが、少女の顔は暗いまま表情を変えることはなかった。

「ねぇ…貴方はなんでここにいるの?」

「えっと…道に迷ったから…かな。」

「道に?」

「うん…帰る道もこれからどうすればいいかも…分からないんだ。」

「…私と同じだね。」

「…言われてみれば…そうかも。オラも君と同じで分からない。」

これからどうすればいいのか、金太郎達の後を追い続けるだけでいいのか、鬼人は迷っていた。

「…君はどうしたいの?」

「さぁね…分からないよ。このままあの人達の背中を追いかけるだけじゃダメなのかもしれない。けど…怖いんだ。このままあの人達と行動を共にしたら…オラがオラじゃなくなるんじゃないかって…。きっと直義だったら…オラみたいにウジウジしないでパッと決められるんだろうけど…何処にいるかも分からなくてさ。」

「その直義って人に会いたいの?」

「うん。」

昔みたいに直義や椿とまた一緒にいたい。

それが鬼人の望みだった。

「分かった…それが君の望みなんだね。」

少女はそう言うと鬼人の頬に手を当て、目を瞑り出す、少女が何をしているのか分からなかったが不思議と気持ちが落ち着いていく。

その時だった。

「鬼人っ!!!」

後ろから金太郎の大きな声が聞こえ、茂みの奥から血に染まった金太郎が現れる。

「そいつから今すぐ離れるんだっ!!」

背に背負った鉞を手に取ると少女と鬼人へ向かって走り出した。

「金太郎っ、何をっ!!」

振り上げた鉞は鬼人の頬を触っている少女の腕に目掛けて振り下ろされていく。

「ダメだっ!!!」

少女の身を守ろうと鬼人は金太郎の鉞を止めようとした。

だが、身体が固まり、動くことができない。

「なっ…!?」

「大丈夫、貴方の望みは叶えてあげる。」

闇のように黒く染まった少女の瞳が鬼人を見る。

すると少女から影が飛び出し、鬼人の体を包んでいった。

「嫌なんでしょ…あの人といるのが。それならあの人から離れればいい。」

「なに…をっ!?」

「ふふっ…またね…鬼人…。」

鬼人が最後に見た光景は影に囚われながら必死に手を伸ばしている金太郎の姿だった。

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