第三章 氷室冬華の愛し方

第99話 ご報告


 八月の初旬。

 夏休みも半分に差し掛かろうといった頃。


 気温は三十五度を超える猛暑日で、燦々と輝く太陽がじりじりと照り付ける。

 そんな炎天下のなか、アスファルトの上を歩くカップルが一組。

 仲良く日傘を共有し、指を絡めて手を繋ぐ姿は陽光に似て眩しい。

 身体を寄せ合い密着している分、外気に増して暑いはずなのだが離れるつもりはないようだ。

 互いの影が交じり合いながら、二人は目的地に向かって歩幅を揃える。

 

「冬華、緊張してる?」

「……それはまあ」

「何度か会ってるし、連絡も取ってるんだろ?」

「でも今回は毛色が違うというか……」

 

 淡い水色のワンピースを着る冬華は落ち着かない様子で、繋いだ手を緩めたり握り直したりした。


「朝陽くんは緊張しないの?」


 可愛らしく小首を傾げて冬華は最愛の彼氏に問いかける。

 砕けた口調は信頼の証。心を許しきった相手にだけ見せる最も素に近い姿だ。

 付き合い始めは癖になった敬語が抜けなかったものの、今ではすっかりタメ口で言葉を交わしていた。


「俺は緊張というより不安が強いかな。あの二人がどんな反応するか戦々恐々って感じ」

「とても賑やかなご家族だもんね」

「賑やかで済めばいいけど」


 冬華が婉曲的に表現するのを、朝陽は苦笑いする。

 そうして見覚えのある道を歩いているうちに、とある一軒家の前に着いた。


「インターホン押すぞ」

「う、うん」


 ピンポン、と音が鳴り、ややあって久しぶりに聞く声がする。


「どなた?」

「朝陽と……」

「冬華です」

「よく来たわね。少し待って、鍵開けるわ」


 あらかじめ来訪は伝えているため驚きはない。

 どちらにせよ感情が表に出づらい人なので、淡々と対応するのは変わりないのだろう。

 しばらくして玄関の扉が開き、凛々しい顔つきをした大人の女性と対面する。


「いらっしゃい……あら」


 顔を合わせてすぐ、関係の変化に気付いたらしい。

 その無表情な顔に珍しく小さな驚きが表れている。

 

「久しぶり、母さん」

「透子さんお久しぶりです」


 手を繋いだ二人に挨拶をされ、透子の口元が少し緩んだ気がした。


「久しぶり。こうして会うのはお正月以来かしら」

「そうだな。もう半年くらい経つっぽい」

「あの時はお世話になりました……あっ、今も色々と良くしてもらっていて、ありがたいです」

「気にしなくていいのよ。私が好きでやってるし、堅苦しくならないで」


 冬華と透子は連絡先を交換して、今でもやり取りがあると聞く。

 最初は料理を教えてもらう名目だったはずだが、次第にその他の相談をする間柄まで進展していた。


「無事に付き合えたのね、おめでとう」


 祝いの言葉を送る透子の目線は冬華に向けられている。

 朝陽の知らないところで、二人だけの会話が存在するのは明らかだ。


「ありがとうございます」


 冬華は幸せそうな表情でお礼を言った。

 その横顔を見て、今更ながら朝陽は顔が熱くなる。

 

――親に彼女を紹介するのってこんな気持ちなのか。


 今まで色恋沙汰に疎かった分、異性の影すら見られなかった朝陽の初めての彼女だ。

 ここまでの過程ですでに知り合い同士とはいえ、友人から恋人への進展を両親に伝えるのは気恥ずかしい。


「さっ、入って。お茶用意するから」

 

 透子に迎え入れられて、朝陽と冬華は敷居を跨いだ。

 母親の背中に付いていきながら、この先に進むのが思いやられる。


 朝陽が不安と表現していたのは、透子に対してではない。母親には頭が上がらず、質問攻めにされると厄介ではあるが、話が通じる分マシと言える。

 火神家にはひとり、一方的に話を進めて、豪快に笑い、やがて鎮火される山火事のような存在がいるのだ。

 てっきり玄関に出向くと思いきや、今日はまだ姿を見ていない。

 つまり家の中で待ち構えているということだ。


「和明。朝陽とふゆちゃん来たよ」


 和室に向かって透子が呼びかける。

 腰でも怪我をして動けないのか、未だだんまりなのが不気味に映る。しかしそれは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。

 

「入れ」


 襖をノックして開口一番。野太く低い声がする。

 和明という人間を知らなければ、さぞ厳格な性格なのだろうと一歩引いてしまうかもしれない。


「なんで偉そうなの」

「あっ、はい。ごめんなさい」

 

 実際は、妻の尻に敷かれる明るいひょうきんおじさんだ。

 

「君が火神朝陽くんか」


 半年ぶりに顔を見た和明は、変わらぬ髭面で腕を組んでいた。

 口ぶりがわざとらしく、芝居がかっていて気持ち悪い。


「……母さんなにこれ」

「最近見たドラマに影響されたみたい。付き合ってあげて、私はごめんだけど」

「えー、めんどくさい」

「そ、そう言わずに」


 なぜか冬華がフォローに入り、しぶしぶながら和室に足を踏み入れる。


「なかなか骨のある男のようだが……うちの氷室さんを幸せにする覚悟があるのかね」


 和明が見たドラマの名前はすぐにわかった。

 先週、冬華に勧められて一緒に見たばかりだ。


 赤の他人だった二人が紆余曲折合って結婚に至るというストーリーで、和明のセリフは彼氏が相手の両親に挨拶をするシーンに該当する。

 

 どうやらここでは透子と和明と冬華の三人家族という設定らしい。


「どうせなら名前で呼べばいいのに。氷室さんて」

「和明さん、一度ふゆちゃんって呼んでくださったんですけど、透子さんに咎められて以来こうですね」

「父さん繊細だからな。嫌われたくなかったんだろ」


 演技はそっちのけで会話をする二人に、ピクピクと和明の耳が反応する。


「ほら朝陽。氷室さんを僕にくださいって」

「……めんど」

「明らかに嫌な顔をするな!」

 

 そう言われても、嫌なものは嫌だ。

 ただこれで和明が静かになるなら。天秤にかけ朝陽は口を開く。


「……氷室さんを僕にください」

 

 実際に言葉にすると、棒読みとはいえ羞恥心が込み上げてくる。

 ふと隣を見ると、頬を染めながら嬉しそうにする冬華の姿があった。


「私はとっくに朝陽くんのものですけどね」

「……そういう恥ずいことすぐ言うな」

「だって、ほんとのことだもん」


 口元を隠して目を逸らす朝陽に、ニコニコと愛情を隠さない冬華。

 一方で取り残された和明は、首を傾げるどころか身体ごと傾いていた。


「んんん?」


 それから事実を伝えると、和明は目玉が飛び出る勢いで驚いた。

 その声の大きさに透子が出動したが、しばらく騒がしさは落ち着かなかった。

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