第97話 告白


 花火大会の会場を離れ、薄暗いわき道を歩き、ゆるやかな勾配を登る。しばらくすれば、開けた場所に着いた。

 知る人ぞ知る穴場スポットだが、見たところ周りに人はいない。


 老朽化したベンチに腰掛け、木々の間から夜空を見上げる。


 すでに花火は打ち上がっていた。

 轟音を置き去りにして、煌びやかな火花が舞い散る。

 赤青黄色、緑に橙、紫やピンクまで。漆黒の海に、極彩色の花々が咲いていた。


「綺麗だな」

「はい。綺麗です」


 月並みな感想に笑い合う。

 星の光に負けず劣らず、一瞬の輝きが瞳に焼き付いて離れない。

 

 そう、冬華の横顔を見て思った。


「不思議な気分ですね」


 ふと冬華が口を開く。

 首を傾げると、隣に小さな微笑みが浮かんだ。


「朝陽くんと二人で、夏を楽しんでいることです」


 今から一年前、冬華から向けられた表情は真逆だった。 

 突き放すような冷たい視線が、凍てついた心を分厚い壁で覆っていた。

 

 誰に対しても極端に距離を取り、必要以上の会話はせず、表情はいつも真顔のまま変わらない、氷の様に冷たいお嬢様。


「出会った頃とは大違いだもんな」

「それは……あまり思い出さないでもらえると助かります」

「いいや、絶対忘れないね」

「ダメです、記憶から消してください」


 忘れられるはずがない。

 この少女と紡いだ、氷を巡る物語を。

 

 それから二人は、思い出話に花を咲かせた。


 きっかけは、冬華が高熱で倒れてから。

 助けの手を拒む少女を見捨てられず、朝陽は親切を押し通して看病をした。

 その後、冬華はお礼として勉強会を開くことに。

 成り行きで夜ご飯を一緒に食べ、そこで二人の関係は途絶える、はずだった。


 球技大会を前に、冬華は手首に怪我を負ってしまう。

 一人暮らしで利き腕が使えない状況が、いかに厳しいか想像にたやすい。

 例によって朝陽はお節介を焼いた。

 怪我が治るまでの間、代わりに夕飯を作ろうかと提案したのだ。

 意外にも、冬華はそれを了承した。

 二人の関係は奇妙な縁で続いていく。


 大きな変化があったのは、球技大会の後だった。

 勉強を教えてもらいたい朝陽、料理を教えてもらいたい冬華。

 双方の利害が一致した結果、二人は相互扶助関係を結ぶことになる。


 一緒に料理を作り、一緒に勉強をして、時には一緒に外出した。


 クリスマス、お正月、遊園地。


 いつだって隣には冬華がいた。


 そして、その日は天気が荒れていた

 冬華は学校を欠席し、冷たい雪が絶え間なく降りそそぐ。

 彼女の身に何かが起こったのは明らかだった。

 だからもう一度、朝陽は温かな手のひらを伸ばした。

 言葉を交わすことなく、冬華はそれを受け入れる。


 語られたのは、辛く苦しい過去。

 

 冬華は言った。

 

 また誰かが離れていくのは嫌。

 

 朝陽は言った。

 

 俺は離れない。


 かくして氷の令嬢は姿を消した。

 

 互いを想う気持ちに名前がついてからは、すべてが新しかった。


 決して平坦な道ではなかった。

 随分と遠回りをした。


 ベンチに添えられた手の指先が触れ合う。

 一度は離れ、また触れた。

 やがては冬華の小さな手を、朝陽の大きな手のひらが覆う。


「私は臆病だから、人付き合いを避けていました。そしたら朝陽くんが手を差し伸べてくれて。私はその手を受け入れて、たくさん友達ができて。凄く、すごーく嬉しかった」


 彩り豊かな夜の空に、一つ一つと言葉が消える。


「だから怖かった。また離れていくことが。関係が壊れてしまうのが、どうしようもなく怖かった」


 遠くを見る瞳はなにを思い描いているのだろうか。


「でも、朝陽くんは離れないって言ってくれましたから」


 切なげな表情が一変し、晴れやかな笑顔が朝陽の胸を熱くした。


「俺はずっと傍にいるよ。今も、これからも。冬華の隣にいたいって、そう思ってる」

 

 どこかの誰かが言った。

 告白は確認作業だと。


 二人で過ごした日々を思い返し、これからの日々を想像する。

 その未来に相手がいるかどうか。

 

 火神朝陽には氷室冬華が。

 氷室冬華には火神朝陽が。


 お互いの気持ちは気付いている。

 そうまでしないと怖いのだ。

 

 友達のままでいられたらどんなに楽か。

 今の関係を続けるだけでも十分かもしれない。


 それでもその先を望んでしまう。

 友達以上でありたいと、心が叫んで仕方ない。


 その想いを人は恋と呼び、恋は人を盲目にする。


 それでも目を離さなかった一握りの人間が幸せを掴み取る。

 

「冬華」「朝陽くん」

 

 愛しい名前を呼ぶ声が重なった。

 二人の視線が交差して、思わず笑ってしまう。

 

 花火の音は聞こえない。

 脈を打つ心音で頭がいっぱいだ。


 今まで言えなかった、言いたかった言葉がある。


「好きだ」


 二人だけの世界で愛が紡がれる。


「俺と付き合ってほしい」


 朝陽は真っ直ぐ視線を注ぐ。

 冬華もまた見つめ返す。


 お互いに目を逸らさなかった。

 

「返事は決まっているって、言いましたよね」


 重なる手のひらに、もう片方の手が重なる。


「朝陽くんが好きです。大好きです。狂おしいほど、あなたが好きなんです」


 その瞳が映すのは、最愛の人。

 愛しくて、愛しくて、愛してやまない人。


「私と付き合ってください」


 互いに返事はしなかった。

 想いが通じていれば、言葉はいらなかった。


 朝陽と冬華はゆっくりと距離を詰める。


 この瞬間だけは、目を閉じて。


 そっと唇が重なった。


「好きだよ、冬華」

「大好きです、朝陽くん」


 二人はもう一度、想いを確かめるようにキスをする。


 照れくさそうに笑った冬華は、世界で一番可愛いかった。




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