第94話 夏祭り


 黄昏の光がぼんやりと薄暗い街並みを照らす。

 決して広くはない道に多くの人が集まり、目指しているのは同じ場所。夏祭りの会場だ。


 遠目で確認できるだけでも、熱気と喧騒がひしひしと感じられる。

 橙色に染まる夏祭り会場は日常から切り取られているようで、今からそこに向かうと思うと浮ついた気持ちを抑えられない。


 時々は涼しい風が吹き込み、前に進む背中を押す。


「凄い人混みですね」


 右隣で関心するように声を発した冬華は、こういった大規模なお祭りの経験がないらしい。

 初詣の際もおどついていたが、大勢が一堂に集まる場所は不慣れなようで、落ち着かない様子でいた。


「またはぐれないようにな」

「むっ、それは日菜美さんに言ってください」


 冗談に反応する余裕はあるようで、冬華は目を細めて抗議する。 

 

「朝陽くんこそ迷子にならないでくださいよ?」

「俺に限ってそれはない」

「自信たっぷりですね」


 冬華から目を離さなければいいだけの簡単なことだ。

 二人ともあちこち動き回るタイプでもないので、はぐれる心配は無用だ。

 しかし、万が一がないとは言えない。


 目の前の男女が手を繋いでいるのを見て、右手がそわそわと騒がしくなる。


 そんな朝陽の迷いを無視して、陽気な声が聞こえてきた。


「ふゆちゃーん、あさひー! こっちこっち!」


 ぶんぶんと手を振る日菜美の隣には、当然のように千昭がいる。

 朝陽と冬華と同じように、二人は甚平と浴衣を着ていた。


「もおおおおおおっほんとうっにふゆちゃんは可愛いなぁ! どんな服でも着こなしちゃうんだからモデルさんとかいけちゃうよ!」

「そ、そんな、褒めすぎですよ……」


相変わらず冬華は日菜美の押しに弱いようだが、絶賛されて満更でもなさそうだ。


「二人とも似合ってるねえ」

「そういう二人もいい感じだな」

「ちょっとー、せっかく浴衣着てきたのにそれだけ?」

「もう十分千昭に褒めてもらったろ」

「それとこれとは別なのー」


 ほら、と言わんばかりに浴衣を見せびらかす日菜美に、朝陽は当たり障りない返事をする。


「もーおっ、ちゃんとふゆちゃんのことは褒めたの?」

「それは、まあ」

「ならよし!」


 なにがよしなのか、日菜美は勝手に納得して頷く。


「それじゃ、レッツゴー!」


 さっそくはぐれそうな背中を追って、四人は夏祭り会場に足を踏み入れる。すると全身が熱気と喧騒に包み込まれた。

 それからすぐに、どこからともなく美味しそうな匂いが鼻腔を襲う。

 その正体は、一本道の両側にひしめく屋台の数々だ。


 焼きそば、たこ焼き、かき氷、フランクフルトにじゃがバター、お好み焼きもあればイカ焼きなどなど。他にもりんごやいちごを水飴で固めたフルーツ飴、わたがし、クレープ、ベビーカステラなどスイーツにも欠かさない。


 歩けば歩くだけ左右から食欲を促される。

 夜ご飯をまだ食べていないこともあり、空腹には耐え難い空気だ。


「……あっ」

 

 ぐぅ、といつの日か聞いたような音が鳴った。


「なんでこっちを見たんですか」

「いや、ちょっと思うところがあって」


 まだ何も言っていないのだが、冬華は察するところがあったらしい。

 ぷくぅ、と頬を膨らませて、グーで軽く腕を小突かれた。


 どうやらお腹を鳴らしたのは、別の人だったようだ。


「ちーくん、お腹ぺこぺこでしょ?」

「それに気づくとは、ヒナってやっぱ天才?」

「ふふーん、ちーくんのことならなんでもわかるのだ」

「まさか、俺がこの時のために昼飯を抜いてきたことも……?」

「そ、それはもちろん知っていたとも!」


 そんな馬鹿らしい会話をしているバカップルが、ふとこちらに振り向く。


「朝陽と氷室さんはお腹減ってる?」

「俺はそこそこかな」

「私も普通くらいです」

「それならまずは軽めのにしよっか!」


 そうして一通り歩いて目星をつけ、四人はとある屋台の前に立つ。


「夏と言ったらこれだな!」


 カラフルなシロップに、ガリガリと氷の削れる音。

 他の屋台よりも涼しげな空気が漂う暖簾には、かき氷と書かれている。


 日菜美はメロン、千昭はレモン、朝陽はブルーハワイ、冬華はイチゴを選び、近くのベンチにそれぞれ座る。

 プラスチック製のスプーンを一刺しすれば、シャクッと気持ちのいい音がした。


「……いって」

「もしかして、頭がキーンとするやつですか?」

「そう、一度に食べすぎた」

 

 うへえ、と意味もなく朝陽が舌を出す。 

 それを見た冬華が急にコロコロと笑うのをなぜか。


「朝陽くん、ベロが真っ青ですよ」

「そういう冬華は真っ赤なんじゃないか?」

「元から赤なので目立たないと思いますけど」


 れっ、と冬華は無言で舌を出す。

 確認してみてください、とのことだろう。

 その姿はあまりにあざとく目の置き場に困ってしまう。


「どうでしたか?」

「赤かったよ」

「それはそうでしょう」


 別のベンチでは二人して頭を抱える千昭と日南がドタバタしている。

 一方で静かに夏の風情を楽しむ朝陽と冬華は、ゆっくりと溶けていく氷を口に転がして味わっていた。


「そういえば、かき氷のシロップって色が違うだけで同じ味らしいですね」

「へー、知らなかった。でも、ちゃんとレモンとかメロンの味する気がするけどな」

「私も同じだなんて思わないんですけどね……ちょっと試してみましょうか」


 そう言って、冬華は朝陽が持つブルーハワイ味のかき氷に手を伸ばした。

 そして自分が持っていたイチゴ味と合わせて、二種類のかき氷をベンチに置く。


「朝陽くん、目を閉じてください」

「……ん」


 何をするつもりなのか、言われるがまま朝陽は目を閉じる。


「次は口を開けてください」


 少し間が空いて出された指示に、こちらもおとなしく従う。

 すると口の中に、冷たい感触が広がった。


「問題です」


 目を開けた先に、スプーンを片手に冬華が微笑んでいる。


「今、朝陽くんが食べたかき氷は何味でしょうか?」


 楽しそうに答えを待つ冬華がいつもに増して可愛らしい。

 屋台を背景に浴衣を着てはしゃぐ子供そのものだ。


「紫になってるんじゃないか?」


 少し照れ臭く感じながらも朝陽は舌先を見せて答えた。

 

「正解です」


 冬華ははにかみ、そして躊躇う様子を見せながらも再び舌を出した。


「意外と分かりやすいものですね」


 悪戯っぽく笑う冬華の舌は、赤色と青色が鮮やかに交わっていた。




 

 

 

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