第84話 調理実習


 キーンコーンカーンコーンと陽気な鐘の音が鳴る。

 同時に数学の先生が教室を出て、四時間目の授業が終わった。


 ようやく昼休みの時間になり、教室が一気に騒がしくなる。

 ふと周りに目を向けると、教室を飛び出していく日菜美が見えた。

 すぐに「廊下は走らない!」と大きな声が聞こえてきたので、誰がどうなったのかは想像に容易い。

 

 心の中で呆れ笑いを浮かべつつ、目的の席を見ると、冬華はクラスメイトに話しかけられているようだった。


(確か、最近仲良くなった友達だっけ。一緒に飯食べるのか)


 朝陽はその様子を嬉しく思いつつ、ほんの少し寂しいと思ったりもする。

 そんな日々はもう慣れっこで、同時に慣れてしまった自分をもどかしいとも思った。

 

 今は動かないのではなく、動けない。


 朝陽は視線を下に落とし、お弁当箱を開けた。

 中には昨夜の残り物のチンジャオロースやナスのチーズ焼きなどをメインに、今朝軽く作ったおかずが並ぶ。


「おいおい、そんなにガッツリ食べていいのか?」

「昼ご飯なんだから別にいいだろ」


 誰か確認することなく言葉を返すと、机を挟んで対面に千昭が座った。

 どこか呆れたような顔をした千昭は、自分のお弁当箱を開けて、朝陽に見るよう促す。


「今日はこのくらいがベストでしょ」

「少な……くもないな。普通の量じゃん」

「まあね、俺は普段もっと食べるから」


 結局なにが言いたいのか朝陽が怪訝な顔をすると、千昭の顔に今度は笑みが浮かぶ。


「これから調理実習だろ。腹空かせとかないと」


 千昭の言う通り、今日は六時間目に調理実習が控えている。

 昼ご飯を食べた後に炊き込みご飯は重いとか、六時間目を見越して昼ご飯を減らすのは辛いだとか。前回の調理実習は不平不満が多かった。

  

 しかし、むしろ今日は好意的な意見が多いように思える。

 作るのはクッキーで、せいぜい小腹を満たす程度。勉強に疲れた頭にちょうどいい糖分ということもあり、楽しみにしている生徒が大多数だ。


 そして、学校という特別な空間には浮かれた話が付き物で。


「龍馬、クッキー楽しみにしててね!」

「ありがとう、明日香。でも、砂糖控えめでお願いね。監督に怒られちゃうから」

「もちろん! ちゃんとわかってるってば!」


 廊下から聞こえてくるやり取りを小耳に挟みながら、朝陽は卵焼きを口にする。

 ちょうど砂糖控えめで作っていた卵焼きは、フライパンに熱が伝わらなかったようで、少し固めの食感だった。

 

「朝陽もわかってるだろ? 今日はプチバレンタインデーみたいなものよ」

「なんだそれ。初耳だな」

「気になるあの子に手作りクッキーでアピール!ってやつ」

「じゃあプチホワイトデーもあるわけか」

「そうそう、実は男子がアピール日もあって……ってそこじゃねえ!」


 千昭が軽いノリツッコミをして、すかさずグイッと迫ってくる。それも、いつものニヤリと憎たらしい笑みと一緒にだ。


「あの人から貰えるんじゃねーの?」

「まあ、それは……」

 

 あの人が誰を差すのかは、二人の間で必然的に決まってくる。

 朝陽が好きな人、氷室冬華のことだ。


「でも、材料に限りあるし、一人分が精一杯だろうな」

「……何が言いたい」

「もし貰えなくても落ち込むなよ」


 その言葉に、朝陽は思わず言葉が詰まる。

 しかし、すぐに落ち着いて口を開いた。


「今日は随分と挑発的だな」

「気のせい気のせい」

「お前は絶対貰えるし、羨ましい限りだ」

「早くそういう関係になれってことだよ」


 そう言って、千昭は意地の悪い笑みを浮かべた。




 昼休みが終わり、五時間目が過ぎて、すぐに六時間目の家庭科の授業がやってきた。

 生徒は持参したエプロンや三角巾などを持って、家庭科室に移動する。


「それでは各グループ、手順に従って調理を始めてください」


 先生の説明を聞いた後、開始の合図がされる。

 すると、ちょんちょんと肘をつかれ、朝陽は横を振り向いた。

 

「同じグループでしたね」


 えへへ、と微笑む冬華に小さく胸が跳ねる。

 衛生面を考慮して、水色の三角巾と花柄のエプロンを纏った冬華は新鮮で可愛らしい。

 授業が始まる前は大勢のクラスメイトに囲まれ、絶賛の嵐だったのも頷ける。


「失敗するなよ? 俺は口出さないからな」

「むっ。誰かさんにいっぱい教えてもらいましたから、その心配はいりません」


 小声でやり取りをしていると、周りからの目が集中する。

 冬華は気にしていないようだが、朝陽としては中々に痛い上に気になるので、この辺にして早速調理に移った。


 そして、あっという間に生地ができあがる。


「前々から思ってたけど、火神って料理上手いよな」

「それな。ベテランの風格が漂ってるわ」


 男友達にそんなことを言われて少しいい気分になりつつ、朝陽は対面の席に目を向ける。

 

 練習の成果を存分に発揮した冬華は、目立つミスなく調理を終えた。

 あちらも友達から褒められたようで、ニコニコと嬉しそうな笑顔が浮かぶ。


「やっぱ氷室さんって何でもできるな」

「本当、勉強も運動も料理も完璧って凄すぎるわ」


 そんな賛辞の声を内心おかしく思いながら、タイミング良く鳴った電子音に呼ばれて、朝陽は電子レンジに向かった。


「うん、よく焼けてる」


 絶妙な焦げ加減と、香ばしい匂いが食欲を誘う。

 後は少し冷ましてテーブルに持っていけばいいのだが、クッキーに釣られてか小さな足音が聞こえてきた。


「わぁ、とっても美味しそうにできましたね」


 キラキラと目を輝かせた冬華が朝陽の隣に立つ。

 これは私が型を作ったとか、あれは一回り大きくしたとか、いろんなことを教えてくれた。

 

 そして、まだまだ話したりないといった様子の冬華が口を開く。


「立花さんにお礼がしたかったので、上手にできて嬉しいです」

「……立花さんって例の家政婦だっけ?」

「はい。ずっとお世話になっている家政婦さんです」


 冬華はハート型のクッキーを見ながら、言葉を続ける。


「感謝の気持ちを今まで伝えられなかったので、この機会にと思いまして」


 それは冬華らしい、とても素敵な動機だった。 

 

 同時に、千昭の言葉が頭をよぎり、そのニヤニヤ顔を腹いせに脳内で殴っておく。

 それからクッキーを貰える気になっていた自分に朝陽は恥ずかしさでいっぱいになった。

 同じようなことがバレンタインデーにあったな、と思えば苦笑するしかない。


「喜んでもらえるといいな」


 そう無難に言って、朝陽は同じグループの友達が待つテーブルに戻った。


 自分で食べる人、誰かにあげる人。

 冬華は当然後者で、ラッピング作業を進めていた。


 


 後片付けをして授業が終わり、その場で各自解散となる。

 朝陽はさっさと教室に戻ろうとしたのだが、またしても肘のあたりを控えめに突かれて振り向く。その先に立っていたのは、青い髪飾りを付け直し、普段の装いに戻った冬華だった。


「はい、朝陽くん」

  

 冬華が差し出してきた透明なラッピングは、つい数分前に見た物だ。

 中には一緒に作ったクッキーが入っている。

 しかし、これは家政婦にあげると言っていたような。


「家政婦に渡すんじゃないのか?」

「立花さんに渡す分は他にありますから」

  

 曰く、友達に頼んで多めに作ったらしい。


「ありがとう。大切に食べるよ」


 朝陽が笑いかけると、冬華もつられて口角が上がる。

 

 よく見ると、手渡されたクッキーの中には綺麗なハート形も含まれていた。


 

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