第35話 氷の令嬢と思い出のレストラン



 朝陽の両親が経営するsoleilソレイユ levantルヴァンまでは片道一時間以上も掛かる。


 二度電車を乗り換えながら、ガタンゴトンと揺られ続け、ようやくお店の最寄り駅に着いた時には日はすっかり落ちていて、夜空を見上げれば少しだけ星の瞬きを見ることができた。


「次の角を右、ですよね?」

「ん、あってる」

 

 道行くカップルの眩しい笑顔と街灯の明かりに照らされながら大通りを歩いている間、朝陽と冬華の会話は弾まない。 


 ここに来るまでの間、期末テストで冬華が四連覇を果たした事、朝陽の順位が大幅に上がった事を互いに褒め合ったがそれっきりだ。


 辛うじて、道順の確認で言葉を交わす以外はほとんど無言の時間が続く。


 冬華は基本無口だし、朝陽もあまり喋る方ではない。

 それにしても、ここまで互いに口を閉ざしているのは何故か。


「道順、調べて来たのか?」

「あっ、いえ、そういうわけでは……」


 もうあと数分ほど歩けば目的地に着く。

 このまま、ずっと黙ったままではいけないと、朝陽が何気なく会話を振った。


 その質問はとある意図が含まれているもので、もしかしたら、程度の小さな疑問点の確認。

 

 そんな、推測の域を出ないハテナマークは、ゆっくりと紡がれた冬華の言葉で解消された。

 

「私、小さな頃に一度だけ、ソレイユルヴァンに行ったことがあるんです」

 

 伏し目がちに呟く冬華の声に、驚きはもちろんあったが、それ以上に納得がいった。


 冬華がやけにsoleil levantに詳しい事に加えて、一緒に行きたいなどと言い出すものだから、何か並々ならぬ思いがあるのではと考えていた。


 それは、単に高級料理に釣られた訳ではなく、店名に関係があるような。

 聖なる夜に異性と食事に行くというハードルを壊してでも、冬華にはsoleil levantに行きたい理由があるのだろうと推測することは容易な事だった。


「今でも鮮明に覚えているんですよ? この道も、内装も、料理の味も全て」

「それは凄いな。記憶力がいいってどころじゃない」

「私にとって……家族との、大切な思い出なんです。だから、きっと記憶に強く残っているんだと思います」


 遠い過去の記憶に思いを馳せる冬華の瞳には穏やかに郷愁の色が感じられた。

 それと同時に、表情はどこか暗いようにも思える。

 

 夜の闇がそうさせるのか、それとも心の闇がそうさせるのか。


 恐らく、後者だろうなとは予想が付く。


 彼女の表情が明確に暗くなったのは、家族という単語を発してからだ。

 前にも何度か同じようなことがあったのを覚えている。


「……もうすぐだな」

「ええ、そうですね」


 少しだけ、大切な思い出とやらを詳しく聞こうかと考えた。

 今まで、冬華の過去に触れる事を避けていたが、両親が経営するお店に関係があるとすれば、そこにプラスの感情が含まれるのなら聞いてもいいのではないかと。


 しかし、結局朝陽は別の事を口にしていた。

 何か言葉を続けようとしていた冬華もそれに応じる。


「スープ、変わってないといいな……」


 クリスマスイブの喧騒に紛れて、隣からそんな声が聞こえた。

 

 恐らく、独り言だったのだろう。

 いつもの敬語口調で丁寧な言葉遣いではなかった。


「多分、変わってないと思うぞ」

「き、聞こえてたのですか……」

「そりゃ、隣に居るからな」


 頬を淡く染め、分かりやすく恥じらう冬華に自然と笑みがこぼれる。


 大通りは若い男女で溢れていて、夜道を歩く二人の距離は自然と近づく。

 少し揺れると肩が触れ合うこの距離間は、周りの状況がそうさせるのだとしてもむず痒い。


「うちはコース料理の中でスープだけは固定されてるんだよ。父さんと母さんが二人で初めて作り上げた料理だから思い入れがあるらしい」

「あのスープにそんな事情が……」

「良かったな、大好きな卵料理がまた食べれて」


 少しだけ鼓動を早める心臓を落ち着かせようと、朝陽は遠回しに冬華をからかってみた。


 soleil levantのスープは卵がメインだと決まっている。


 雑炊、玉子焼き、オムライスに続いて、そんなに卵料理が好きなのかと。


 きっと、冬華は子ども扱いされてると頬を膨らませるはずだと朝陽は思っていた。

 

「……はい、とても嬉しいです」


 予想に反して、冬華は素直に肯定の言葉と穏やかな笑みを浮かべた。

 

 その小さな微笑みは見慣れてきたはずなのに、朝陽の心を幾度となく惑わせる。


「あっ、見えてきましたよ」


 少し先に見える看板を指差して、冬華がまた唇をたゆませる。


 無意識なのか、目的地を前に足取りを早める冬華の後姿を見つめながら、朝陽は防寒着に包まれた身体がさらに熱くなるのを感じた。

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