第25話 氷の令嬢とブローチの行方

 

 ――料理ができないわけではない。


 そう何度も念押しされてから、ようやく詳しい話を聞く限り、冬華は料理が上手くなりたいらしい。


「これ以上、火神さんに心配をかけるのは気が引けるので」


 どうやら、朝陽が色々と心配していることは気づいているようで、きっぱりとした口調で冬華は言い切った。


「確かに、氷室が自炊するようになったら俺が世話を焼く必要がなくなるな」

「そもそも、元から世話を焼く必要はありませんでしたけどね」

「それは……返す言葉がない」

「冗談ですよ。何度も言いますが、そこに関しては感謝しています」

 

 一度冷たく突き放されて、思わず心と身体が委縮したが、直ぐに冬華は柔らかい表情を浮かべた。


 笑み、とまでは言えないが、普段と比べて全体的に大分穏やかに思える。


 その学校では絶対に見ることができない冬華の姿が改めて新鮮に思え、朝陽はふとした疑問が浮かび上がった。


「今更だけど、俺の家に来ることに抵抗はないのか?」

「……抵抗とは?」

「その、何だ……例えば身の危険とか……」

「あなたは私にそういった気があるのですか?」

「それはない。絶対にないと断言できる」


 もし仮にこの場で冬華を襲ったりでもしたら、これから先の長い人生がお先真っ暗になることくらいは想像に容易い。

 

 朝陽としてはそんなリスクを冒す気は全くないし、まず第一に下心を抱くことすら微塵もない。


「ほら、氷室を看病した時も手は一切出してないし……」

「私をベッドまで運ぶ時と私が倒れそうになった時」

「そ、それは不可抗力だろ……」

「……分かってますよ、あなたにそういった心配が要らないことくらい。そもそも、抵抗があったら今ここには居ません」


 本当に今更です、と小さくため息をつく冬華の呆れ様はもっともな反応だろう。

 

 今日に至るまで、不本意な形が多いにしても、冬華は何度も朝陽の家に上がっている。

 男としては色々と複雑な気持ちが渦巻く信頼をされているが、お陰で学年一位から勉強を教わることができるので儲け物だ。


「じゃあ、基本的に今日みたいな流れでいいんだよな。夕飯作って食べて、その後勉強」

「はい、私はそれで構いません」

「……毎日、という認識でいいのか?」

「特に用事がなければそうなりますね。料理にしても勉強にしても、上達は早い方がいいでしょう?」

「まあ、そうだな……」


 言っていることは正しいが、どうもすんなりと飲み込めない。


 途切れかけていた細く短い糸が再び固く結ばれた事に、相変わらずクールな表情をたたえている冬華とは対照的に、朝陽は胸中で様々な感情が入り混じっていた。




 冬華が朝陽に勉強を教える、その代わりに朝陽は冬華に料理を教える。


 互いの得意分野で互いを助け合う、そんな相互扶助の関係を結ぶにあたって、数十分の協議の末に朝陽と冬華は細かい取り決めを交わした。


 ・材料費は折半。

 ・買い出しは朝陽、洗い物は冬華が担当。

 ・食事を共にしない場合は事前に連絡。

 ・勉強会は洗い物が終わった後の一時間。


 材料費に関しては今回も冬華が全額払うと言い出したが、球技大会までの一週間とは違い、朝陽は料理、冬華は勉強とそれぞれに負担がある。

 その為、前回のような妥協はせずに冬華を説得し続け、最終的には折半することで落ち着いた。


 他には特に揉めることなくスムーズに話が進み、後は互いに齟齬が無いか念の為確認をするだけとなる。


「とりあえず、期末試験が終わるまで世話になっていいんだよな?」

「世話になるのは私もですけどね。お互いの目標として良い期限だと思いますよ」

「……そうだな」

「何ですかその含みのある肯定は」

「いや、俺としては丁度いい期間何だけどさ。氷室に関してはちょっと……」

「ちょっと?」

「時間が足りないんじゃないかと……思ったり思わなかったり」


 聞き返された辺りから鋭くなった冬華の眼光に、思わず語尾をはぐらかしてしまったが、"思う"と断定したかったのが正直なところだ。


 実際に冬華が料理をしている姿を見たことはないものの、猫の手に感心していたレベルでは大分先が思いやられる。


「つまり、私の料理センスが絶望的だと?」

「そこまでは言ってないだろ。ただ、勉強と比べて指標が難しいって話だ」


 料理が上手くなりたいという目標のさじ加減にも寄るが、期末試験までの残り一か月弱ではできることが限られてくる。

  

 幸い、冬華は高望みをすることなく、「基本を学べればいいです」と小さく口にしたので朝陽は胸を撫でおろした。


「それじゃ、今日はここら辺にしとくか。明日の集合時間は後で連絡する」

「あっ……ま、待ってください」

「ん? まだ何かあったか?」


 大抵のことは話し終えたので、いつも通り冬華を玄関まで見送ろうと立ち上がると、向かいの席からか細い声で呼び止められた。


 当然無視するわけにはいかずに視線を向ければ、冬華がカバンから手のひらサイズの立方体を取り出してテーブルの上に置く。

 前面真っ白な箱からは中身が推測できないが、何の変哲もないシンプルなデザインには何故か既視感がある。


「……これは?」

「今までのお礼です。金銭は受け取ってもらえないので、これならと思いまして」

「お礼って言われてもな……俺が好きでやったことだし、気にしなくていいのに」

「そういうわけにはいきません。特に、ここ一週間はあなたのお世話に甘え過ぎました。大した物ではありませんが、感謝の気持ちとして受け取ってください」

 

 どこまで律義なんだ、とは思ったものの、もう既に十分知っていることなので驚きはない。

 そして、こうなった以上は簡単には引き下がってくれないことも知っている。


 元より、感謝の気持ちと言われて中身も見ずに突き返すのは気が引けるので、朝陽はとりあえず冬華から差し出された贈り物へと手を伸ばした。

 受け取るか受け取らないかは置いておいて、まずは内容を把握することが大切だ。


 まさかとは思うが、"令嬢"という噂に違わず宝石などがでてきた場合は迷わず返品する。


 そう決めて、大きさに似合わずどっしりとした重みのある箱を朝陽は丁寧に開けて中を覗き見た。


「……まさか、これは」


 朝陽の目に飛び込んできた三本の赤い薔薇があしらわれたブローチ。

 その外見はどこかで見た、というよりは聞いたことがある。


「これって今日のMVPに送られる賞品じゃ……」

「はい、そうです」

「そうです、じゃないだろ。何が大した物ではありませんだ。大した物が過ぎるだろ」


 案外、宝石というのは的外れではなかったようで、咲き誇こる三本の美しい華はルビーにも似た輝きを放っている。

 詳しくは分からないが、少なくとも安物ではないことは素人目にも明らかだ。


 手に取って指紋をつけることすらも躊躇われ、朝陽はそっと箱を閉じて冬華の前へと押し戻す。


「受け取ってくれないのですか……?」

「だって、これはお前が勝ち取ったものだろ。俺に受け取る資格はない。それに……」

「それに?」

「……いや、何でもない」


 この様子だと、冬華は三本薔薇のブローチにまつわる伝説を知らない。

 女子生徒を中心に学校中で盛り上がりを見せていた噂話だが、人を寄せ付けない"氷の令嬢"の耳には届かなかったのだろう。


 そうなると、伝説についての話はややこしいことになりかねない。


 流れで口にしかけたが、朝陽は上手く誤魔化して仕切り直すことを選ぶ。

 しかし、その意識が却って裏目に出ることは予想していなかった。

 

「私はこのブローチがあなたの贈り物に一番相応しいと思ったのですが……」

「……は? そ、それって伝説の……」

「……伝説とは?」


 しまった、と慌てて口を塞いだ時にはもう遅い。


 流石に何でもないと誤魔化し切ることはできず、全てを正直に話すと冬華は顔を真っ赤にしてしまった。 

 比較すると、お腹が鳴った時と同じくらいに頬が染まっているし、つぶらなカラメル色の瞳には薄っすらと透明な水の膜が張っている。

 

 何というか、こっちが申し訳なくなってくる有様だ。


「わ、私はあなたの世話なしでは球技大会に出られなかったので、そのお礼にと思っただけで……伝説なんて知りませんでしたし、他意は決してないですから!」

「分かった、分かったから一旦落ち着こう」


 何も、じたばたと暴れているわけではないのだが、冬華は明らかに饒舌で早口になっている。

 

 その羞恥に悶えている姿は普段のクールビューティーな様子からは想像できない年相応の可愛らしさが垣間見え、どうも扱いづらいので早く落ち着いてほしい。


「とにかく、これは受け取れない」

「ダメです、絶対に受け取ってください」

「なっ、いつになく頑固だな。本当に、お礼なんて気にしなくていいんだって」

「私が気にするんです! ここで引き下がったら、まるで私が色恋沙汰を意識してるみたいになるでしょう!」


 お礼の気持ちとやらはどこいった、とツッコミたかったが、今はそれどころじゃないのだろう。


 中々引き下がる素振りを見せないことに加えて、普段は淡々としている言葉に珍しく熱がこもっているし、それだけ冬華が伝説の存在を気にしていることが伺えた。


 もしかしたら、伝説を意識してブローチを持ち帰るのではと期待したが、それすらも裏目に出るのだから笑えない。

 

 更には、冬華が突然立ち上がったことでブローチの行方が強制的に決まってしまったので、朝陽は呆気に取られることしかできなかった。

 

「私、今日はもう帰りますね」

「ちょっ、おい、ブローチは……」

「それでは、また明日の夜に」


 バタバタ、バタンと騒がしい足音と勢いよく閉まる扉の音が部屋に響き渡り、朝陽は残されたブローチを手に取って大きめのため息をつく。


「確か、意中の人に渡さないと効果はないんだよな……」


 幸か不幸か、冬華の好意を抱かれているとは全く考えられないので、伝説を気にする必要はないことになる。


 ただ、キラキラと光り輝く三本の赤い薔薇を見ればどうしても意識せずにはいられず、朝陽はブローチの置き場に暫く頭を悩ませた。


 

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