第26話 氷の令嬢と抜き打ちテスト



「ここに飾ることにしたんですね。色が映えていいと思いますよ」


 球技大会の翌日の土曜日、約束の時間通りにインターホンを鳴らした冬華を迎え入れると、白々しく賛辞の言葉をかけられた。

 嫌みの意味を込めて、押し付けられたブローチを目に入りやすいシューズボックスの上に飾っておいたのだが、やはり持ち帰る気はさらさらないらしい。


「本当にこんな貴重な物を貰っていいのか? 俺が持ってても宝の持ち腐れだぞ」

「それは私とて同じことです。感謝の気持ちとして、あなたに贈ることが一番の使い道だと思います」

「まあ、そういうことなら有難く貰っておく」

「……もちろん、恋愛成就の伝説などは全く関係ありませんからね」

「分かってるって。そこまで自意識過剰じゃないから安心しろ」


 朝陽は少し優しくされただけで好かれていると勘違いしてしまうような脳内お花畑の男で断じてない。

 冬華に好意を抱かれているなどとは微塵も思っていないので、意識するだけ無駄な事だと冷静になった今では考えることができる。

 

 冬華も冬華で一晩明けて頭が冷えたのか、頬を染めることも語気を強めることもせず、淡々と会話を終えてからリビングへと進んだ。


「何だか今日はテーブルの上が散らかってますね……」

「すまん、片づけが間に合わなくてな」

「別に気にしませんよ。勉強をしていたようですし好感が持てます」

「そりゃどうも。氷室先生との勉強会のために予習をしておいた甲斐あったわ」

「せ、先生はやめてください。そんな大層なものではないですから」

「そうか? 俺的にはしっくりくるんだけど」

「……やめないなら、私も火神先生って呼びますよ」

「うわっ、何か嫌だなそれ……あー、でも、シェフよりはマシかな……」


 何ですかそれ、と訝しむような視線が飛んで来たが、わざわざ話すことでもないだろう。

 適当にはぐらかして会話を終えれば、冬華もそれ以上追及することなく、興味を別の物に向けた。


「……この本だけ、勉強とは関係ありませんね。料理関係の本でしょうか」

「ああ、それは氷室用。後で使うから置いておいたんだ」


 冬華が目に付けたのは、シンプルなデザインのノートや参考書とは明らかにジャンルが違う数冊のレシピ本だ。

 表紙はカラフルに彩られ、ページをめくれば食欲をそそる料理の数々が掲載されている。


 言わばレシピ本とは料理における教科書であり、その使用法は一つしかないのだが、冬華はあまりピンと来ない様子で首を傾げていた。


「この本を使って料理を学ぶということですか?」

「まあ、そんなとこかな。とりあえず、八ページ目を開いてみてくれ」

「八ページ……カレーが載ってますね」

「それを今日は氷室に作ってもらう」

「……え?」

「今日は氷室にカレーを作ってもらう」


 どうやら聞き逃してしまったようなので、もう一度はっきりと同じことを伝えれば、冬華の手からゆっくりとレシピ本が滑り落ちた。


 それから小さく「私がカレーを……」と伝えられた言葉を二、三度反芻し、ようやく理解が及んだらしい。

 口をパクパクとさせた後、まん丸な目を大きく見開いた冬華は昨夜を思い起こさせるような動転振りで朝陽に詰め寄った。


「き、聞いてませんよそんなこと!」

「そりゃ言ってないからな」

「あなたが料理を教えてくれるという話のはずでは!?」

「もちろん教えるけど、その前に氷室の腕前を見ておく必要があるだろ?」

「それは、そうですけど……」

「てことで早速始めてくれ。材料はキッチンに置いてあるから」


 若干強引な気がするが、言っていることとやっていることは正しいと自覚しているので堂々とした態度で構える。


 初心者に高度な技術を教えても意味が無いし、その逆もまた然りだ。

 冬華は何を苦手として、何を教えるべきなのかまずは見極めなければならない。


「本当に私が作るんですか?」

「本当に氷室が作るんだよ。料理ができないわけではないんだろ?」

「……あなたって結構イジワルなところありますよね」

「それは心外だな。俺はかなり優しいぞ」


 自分で言うことではないと思います、と至極真っ当な意見が冷ややかな視線と共に飛んでくるが、この件に関しては本当に優しさを見せている。


 抜き打ちテストのような形になったのは確かにイジワルだったかもしれないが、その分、作ってもらう料理はかなり初心者向けのカレーを選択した。

 何より、カレーは以前にスーパーで会った時に冬華が材料を買い込んでいたので作った経験が必ず一度はあるはずだ。


(まあ、それでも色々と心配だけどな……)


 渋々な様子でキッチンへと向かった冬華は、並べられた材料と調理器具を前にしてようやく覚悟を決めたらしく、ゆっくりと包丁に手を伸ばした。

 

 その単純な動作がかなり危なっかしく思えるし、そもそもまずは野菜を洗うべきなので、朝陽は早くも口を出したくなるのを必死で抑えて見守った。


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