第24話 氷の令嬢と大マジな提案


 高級オムライスをペロリと平らげ、さて洗い物をしようといったところで冬華が名乗りを上げたのはおおよそ予想がついていた事だった。


 一度言い出したら中々引き下がらないことは知っているものの、一応は俺がやると声を掛ければ、冬華は無言で見覚えのあるお弁当箱を差し出して来た。

 同じく無言で受け取れば、「ありがとうございました」とお礼の言葉が耳に届く。

 更には「とても美味しかったです」との誉め言葉も頂戴したが、食堂でも同じやり取りをしたので、朝陽は頷くだけにとどめておいた。


「……これ、氷室が洗ったのか?」

「もちろんです。ピカピカにして返す、そう約束しましたから」

 

 女子には少し大きめの、保温機能付きステンレス鋼素材のお弁当箱の蓋を開けて中を見れば、部屋の照明に照らされて新品同様の光沢を放っている。


 まさに、ピカピカという副詞がピッタリ当てはまる仕上がりに朝陽は暫しの間目を疑った。


「念のため聞くけど漂白剤とか使ったか?」

「漂白剤、ですか? いえ、普通に洗っただけですけど……」

「普通に、か」


 ちょっとやそっとではここまで綺麗に洗うことはできない。

 ましてや、前に見た冬華の洗い方では到底不可能なレベルだろう。


 それ故、漂白剤というチート技の使用を疑ってみたが、どうやら見当違いだったらしい。


 普通に洗ったという言葉通りなら、冬華の洗い物スキルが急激に上達したと考えるのが妥当だ。

  

 冬華が無言で洗い終わったお弁当箱を差し出して来たのも、そういうことだろう。

 どうやら、「私はここまで綺麗に洗うことができる、だから任せろ」と言いたいらしい。


「分かった、洗い物は氷室に頼むわ」

「頼むも何も、夕食をご馳走になった身として当たり前の事ですから」


 その言葉を千昭にもそっくりそのまま聞かせてやりたいと軽くため息をつきながら、朝陽はキッチンに向かう冬華の背中を追った。

 

 目的はもちろん、急激に上達したらしい冬華の洗い物スキルを確かめるためだ。

 

 冬華は最初、ジロリと不機嫌そうな視線を送って来たが、前例を思い浮かべて観念したのだろう。 

 今度は表裏正しくゴム手袋を装着して、早速シンクに向き合い洗い物を始めた。

 

 


 結論から言えば、冬華の洗い物スキルはお世辞にも上達しているとは言い難いものだった。

 ここ一週間続けてきたお料理教室ついでの洗い物教室の甲斐あってか、洗い方の基本は身に付いていたものの、まだまだ無駄とむらがある。

 

 それでも、水切りかごに並ぶ食器はお弁当箱と同じく眩い光沢を放っていた。

 

 一見矛盾に思える不思議な光景だが、答えは案外簡単で単純だったので朝陽は思わず笑ってしまった。

 そのせいでリビングへと追い出されてしまったのだが、冬華が何故お弁当を新品同様綺麗にできたのかは十分に見て取れた。


 ピカピカになるまでひたすら洗う、ただそれだけの事。


 お陰で水音が止まるまでニ十分近くとかなりの時間が掛かっていたが、機嫌を損ねそうなので余計な口出しはしないでおいた。


「……洗い物、終わりました」

「ん、お疲れさん。悪いな、全部やってもらっちゃって」

「ですから、それは――」

「当たり前ってか? いいんだよ、俺は助かったんだから素直にお礼くらい言わせてくれ」


 二度あることは三度あるということで、後に続く言葉を先読みして返せば冬華はぐぬぬ、と若干口を尖らせた。


 ただ、それ以上は何も言い返して来ないで、黙って下を向いてしまった――というより、視線を別の方向へと向けたといった方が正しいか。

 その大きな茶褐色の瞳に映るのは、朝陽がダイニングテーブルに広げたテキストとノートの数々だ。


「……お勉強ですか?」

「あ、ああ……球技大会が終われば直ぐ期末テストだからな。早めに対策しておこうと思って」

「それは殊勝な心掛けですね……ただ、問三と問七は間違っていますよ」

「嘘だろ、自信あったのに……本当だ、解答と全然違う」

「ここは途中式のミスによるものですが、こっちはそもそも解法が違いますね。まず二次方程式ではなく……」


 いつもは洗い物が終わると、冬華は短い一言と共に自分の部屋へと帰っていくのだが、何故か今日はいきなりの勉強会が始まった。

 一直線に玄関へと向かうのではなく、ダイニングテーブルの空いている席に冬華が座り、丁度食事中と同じような光景になる。


 急にどうしたと驚きと疑問が浮かんだものの、わざわざ教えてくれようとしているのだから、せっかくの厚意を断る必要はない。


 大人しく机に向き直って意識を勉学へと集中させれば、冬華の透き通るような声がスッ、と耳に入り込んで来た。

 文字や図解を使わず、声だけでの説明なのに、頭の中にはハッキリと正しい解答への道筋が浮かぶ。


「やっぱ学年一位は凄いな、先生より全然分かりやすい」

「またそれですか……。教職を専門としている先生方より一生徒の私が優れている事などあり得ませんよ」

「でも実際、俺的には氷室の解説が一番分かりやすいぜ? 最近は英語にも苦戦してるし、いっそこのまま家庭教師として雇いたい……くらい、だな……」


 凛とした表情で謙遜を続ける冬華に、お世辞でも大袈裟でもなく心の底から凄いと思っている、そう伝えたかったのだが、勢い余って口が滑った。


「家庭教師……?」

「いや、それは比喩というか何というか……」


 慌てて誤魔化しを図れば、冬華が少し首を傾げて訝しげに視線を飛ばしてくる。

 下手に言い訳をした事が裏目に出たのか、どうやら追及は逃れられなそうだ。


 ただ、朝陽としては別にやましいことを抱えているわけではない。ここは正直に話すのが得策だろうと直ぐに体裁を整える。

 

「ほら、前にも今みたいに勉強を教えてもらった事があったろ? その時のお陰で、中間の成績が大幅に上がったんだ」

「それは火神さんの努力の賜物では? 私の助力など微々たるものだと思いますが……」

「うーん、何て言えば伝わるかな。一人だと限度があるっていうかさ……とにかく、氷室の教え方は俺に合ってるんだよ。だから、家庭教師にピッタリだと……って何言ってんだ俺」


 忘れてくれ、と言葉を付け加えて朝陽は真正面に座る冬華から顔を背けた。


 前にも一度、同じようなことを思い浮かべたことがあったが、あの時は絶対に断られるだろうと踏んでいたから声には出さなかった。


 しかし、今回は言葉にして実際に本人に伝えてしまった。

 ただ、冬華が家庭教師の依頼を受けてくれるなどとは思っていない。

 

 今日、こうして夕食を共にしていること自体が本来は存在しなかった時間だし、食事が終わった後も小さなテーブルを挟んで顔を合わせていることだって予想外だ。


 本当は、冬華が弁当箱を返しに来て、この不思議な関係が終わるはずだった。

 それなのに、不思議な関係は不思議とまだ続いている。


 思えば、高熱で倒れた冬華を介抱してから今日まで、その一カ月以上にも及んだ冬華との縁を繋ぐ細く短い糸はいつでも途切れる可能性があった。


 実際に途切れた時もあったが、奇妙な巡り合わせで今もこうして繋がっている。


 だからきっと、言わなくていいことを口走ってしまったのだ。

  

 後数分もすれば途切れてしまう、細く、短い糸に縋るように。


 忘れてくれとは言ったが、冬華はどういう反応をするかはどうしても気になった。


 ぎこちなく首を動かして再び正面に向き直れば、冬華は口元に手を当てて、長く細い睫毛を少しだけ伏せている。

 この仕草は何かを長考している時という一種の癖だ。本人に自覚があるかどうかは知らないが、少なくとも朝陽はそう認識している。


 考える余地がある、そういうことだろうか。


 もしかしたら――そんな淡い期待が朝陽の胸に浮かび上がる。


「……私で良ければ、あなたの家庭教師……というには荷が重いですが、勉強をサポートするくらいなら構いません」

「……マジで?」

「ええ、大マジです」


 そんな返しもできるんだ、と感心する暇もなく、朝陽は大きく目を見開いた。


 もしかしたらが今まさに現実として冬華の口から紡がれた。 

 その言葉の一つ一つが信じられず、何度も頭の中で繰り返す。

 

 要約すれば、冬華が勉強を教えてくれるということだ。


 あの心を閉ざし他人を拒絶した"氷の令嬢"が勉強を教えてくれる――つまりは、朝陽との人間関係が続くことを受け入れてくれた。


 朝陽としては、家庭教師を受けてくれたことよりも、その事実の方が驚きが強かった。


「……ただし、交換条件があります」

「条件? 時給とかなら全然払うけど……」

「そういう話ではありません」


 だったらどういう話なんだ、と首を捻る朝陽の心情を見越したのか、冬華は少しだけ視線を彷徨わせた後、やがてゆっくり深呼吸をしてから口を開いた。


「私はあなたに勉強を教えます。その代わり、あなたは私に料理を教えてほしいのです」


 

 

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