第22話 氷の令嬢はオムライスがお好き



 昼休みが終わった後は球技大会の午後の部が待っている。


 基本的に男子は男子の応援、女子は女子の応援をすることになっているが、千昭の活躍を見に来た日菜美を始めとして、異性の試合を観戦する生徒は少なくない。

 つい数時間前を思い出せば、サッカーで優勝した山田の周りにクラス、学年の垣根を越えて女子の群れが出来ていたように、その多くは恋愛的な意味を持っているのだろう。


 そして、朝陽もまた例に漏れず、女子のバスケットボールの試合を見るため体育館へと来ていた。


 ただ、これっぽっちも色恋沙汰を胸に秘めて、意中の人を応援しに来たわけではない。


 朝陽はセオリー通り、クラスの男子を応援するためにグラウンドに向かってソフトボールを観戦するつもりだった。

 そこに昼休みが終わる直前、一緒にお弁当を食べていたバカップルから待ったの声が掛かったのだ。


 ――二人とも、応援よろしくね! 

 ――任せとけ。朝陽と全力で応援する。


 とてもじゃないが、俺は遠慮しておくと言える空気ではなかった。


 おまけに、日菜美は「朝陽にブローチをあげるんだから」と、MVPを取る気満々な様子でかなり息巻いていた。

 その気合の源泉にあるのは昨日の交わした、家に招待するという約束のお礼にあるはずだが、半分以上は恋愛的な興味に由来していそうな気がしてならない。


 仮にブローチを貰っても、その後誰かに渡す気は全くないのだが、それでも暫くはバカップルから弄られそうなので、申し訳ないが素直に応援できないというのが正直なところだ。


「ヒナ―! 頑張れ、そこだ! いけー! ほら、朝陽も応援しろって!」

「……頑張れ」

「声ちっさ! あっ、いいぞヒナ! そのままレイアップだ!」


 随分と温度差が違う、白熱した応援も決勝戦までいくともう慣れてきた。

 それに、最初はかなり浮いていた千昭の熱量と愛の深さがさして目立たない程に体育館全体が熱気に包まれている。


 体育館の二階にあたるギャラリーから顔を出してコートを見渡せば、この異常な盛り上がりの中心には誰が居るのか一目瞭然だ。


 ハーフタイムまで残り五秒というところで、ボールが冬華の手に渡り、マークに日菜美がつく。

 前半の十分でこの二人の対決を何度見たか分からない。記憶に残るのは、二人がマッチアップする度に大きくなる声援と、見応えのあるワンオンワンだ。


 今回も僅か五秒の間に高度な駆け引きが行われ、前半終了のブザーが鳴る直前に日菜美のブロックをすり抜けて放たれたボールが綺麗な放物線を描いてゴールに吸い込まれた。


「うわっ、そこでスリーかよ……。今日、何本目だ?」

「多分、五か六」

「バスケ部でも中々入らないだろそれ……噂には聞いてたけど"氷の令嬢"って運動神経半端ないな」


 実際にシュートを決められた日菜美以上に悔しがっている千昭の意見に朝陽も首肯する。


 決勝に勝ちあがるまでの二試合も冬華の活躍は印象的だった。

 それこそ、女子バスケ部のエースや元全国区の選手である日菜美が霞んでしまうほど。


 正確無比なスリーポイントはフリーの状態だとほぼ確実に決まるし、キレのあるドリブルとフェイントはディフェンスを無効化する。

 そのバスケ部顔負けの圧倒的な実力に、対戦相手はもちろん、ギャラリーに集まる観客も驚きの色を隠せなかった。


「ちょっと下行ってヒナと話してくる」

「ん、俺もついてくわ」

「いいけど、朝陽もヒナに活を入れるつもりなのか?」

「ちげーよ、俺は自販機に用があんの」

「そういうことね。じゃあまたここ集合な」


 ハーフタイムは十分あるので、彼女を直接応援する時間も、飲み物を買い求める時間も余裕であるだろう。


 会話の最後に、ついでにコーラ買ってきて、と都合のいい声が聞こえて来たが、朝陽はあえて無視して体育館の入り口で千昭と別れた。


 


「あっ……」


 体育館裏の自販機は混んでいたので、少し離れた食堂の中にある自販機に出向いて何を買うか迷っていると、背後から鈴を転がすような声が聞こえた。

 

 混んでいるから空いている場所に行こうという思考が被ったらしく、ゆっくりと後ろを振り返れば体操着に身を包んだ冬華の姿が目に入る。 

 その宝石を思わせる綺麗なブラウンの瞳は相変わらず冷淡で感情が読めない。

 しかし、朝陽はどうしても今朝の微笑みを思い出してしまい、会釈もそこそこに顔を背けて自販機に向き直った。

 

「……お弁当、ありがとうございました」

「お、おう……手抜きで悪かったな。もう少し手間暇かければ良かったんだけど」

「いえ、十分に美味しかったです。特に卵焼きは私好みの味でした」


 当たり前の事だが、変に意識しているのは朝陽だけのようで、冬華は至って普通に口を開いて賛辞の言葉を口にした。


 そもそも、あの笑みが意識的に浮かべたものなのかも怪しい。前に冬華の笑顔を見た時も無意識だったようだし、こちらに笑い掛けてきたとは断定しづらい。


 それでも、思い出しては意識が乱され、本人を目の前にすると尚更意識してしまうくらいに今朝の微笑みは破壊力があった。

 今も、たかが手作りの卵焼きを褒められた程度で少しだけ胸が高鳴る。


(何だこれ、調子狂うな……)


 無難にお茶を選び、後ろに並ぶ冬華に道を譲ってから朝陽は軽く首を捻った。

 

 今まで、相手が"氷の令嬢"だろうが何だろうが、冬華とは普通に接してきた。

 色々あって、冬華も言葉は冷たく、態度は素っ気ないながらも、こうして会話くらいはしてくれる。


 その事を踏まえて、この早まる心臓の鼓動の正体は何なのか。

 交友関係が狭い故に参考が少ないが、今まで誰かと話すだけで同じような経験をした事は全くない。


 結局、朝陽は答えを見つけることができず、買ったばかりのお茶を口に流し込んで心を無理やり落ち着かせた。

 そして、そのまま体育館に戻れば良いところを、スポーツドリンクを買った冬華にわざわざ話を振る。


 平静な心で、気軽な感じで。

 このまま変に意識したまま会話を終えるのは、上手く言えないが、何となくモヤモヤして嫌だった。

 

「バスケ、凄い活躍だな。スリーポイント決めまくってさ。もしかして、中学の時にでもやってたのか?」

「見ていたのですか……」

「そりゃバッチリ。応援するって言ったろ」

 

 言葉のニュアンス的に、冬華を応援するために体育館へと足を運んだように思われそうだが、わざわざ否定することでもないだろう。


 冬華もそこに追及することはせず、怪訝な視線を向けたついでに会話に応じてくれた。


「運動は得意といいますか……バスケはよく遊んでいましたから。まあ、点差が点差なのであまり誇れることではありません」

「そうか? 今からでも全然勝てるだろ。ほら、氷室がスリーを打ちまくれば……」

「そう簡単な話ではないですよ。相手はバスケ部の方が多いですし、何より私のマークマンが凄く上手です。前半は何とかなりましたが、恐らく後半は仕事をさせてもらえません」


 冬華のマークマンは前半を通して同じだったので、日菜美のことで確定だろう。

 元全国区の実力は伊達ではないようで、冬華曰く相当な強敵らしい。

 

 それにしても、一試合二十分の試合を二試合と半分こなしたアドレナリンがそうさせるのか、普段は無口な冬華がここまで饒舌なのは驚きだった。

 さらっと言われたものの、幼少期云々の話も新鮮で興味がある。


 ただ、口調はあくまで物静かなもので、語る言葉は冷静そのものだ。


 残り十分で二十一対二十八。

 ハイペースな試合展開で行われた前半は素人目には僅差に思えたが、玄人目にははっきり実力差が映っているのだろう。


 伏し目がちに発される諦めに近い声は、負けを察しながらも悔しさが滲んでいるように思えた。


「……氷室、何か好きな食べ物言ってみろ」

「食べ物、ですか……? いきなり何故……」

「いいから早く」


 理由も言わず、唐突な質問の答えを急かす朝陽に冬華は目に見えて困惑の表情を浮かべた。


 ただ、どうやら答える気はあるらしい。

 口元に手を当てて、少しの間思考を重ねた後、やがてポツリと短い言葉を口にした。


「……オムライス」

「分かった、オムライスだな」

「一体、何の質問なのですか……」

「今日の試合、勝ったら俺が出来るだけ高い材料を使って、腕によりをかけた高級オムライスを作ってやる」

「……えっ?」

「だから何とか頑張って優勝してくれ」


 自分でも何を言ってるんだと馬鹿らしくなるが、一度言葉にしてしまったものは仕方ない。

 

 冬華が先程に増して頭上にハテナマークを浮かべているので、朝陽は更に話を続けた。

 

「個人的に氷室に勝ってもらわなきゃ困るんだ。……あー、正確に言うと、相手チームに勝たれると大分困る」


 これは断じてお節介などではなく、突如思いついた提案だった。


 もし、日菜美が率いるクラスが勝って優勝すれば、間違いなくMVPの座は日菜美が選ばれる。

 その場合、渡すと恋が叶うというジンクスがあるブローチを譲り受けるのは朝陽だ。

 球技大会が終わった後、日菜美だけではなく千昭からも誰に渡すのか、もう渡したのかと面倒臭い追及をされるのは目に見えている。

 

 だから、冬華が勝てば全てが平和に収まる。

 たった、それだけのこと。


 他には全く意図が無いと言えば嘘になるが、細かい事情と同じくして冬華には伏せることにした。

 そもそも、言えるはずがなかった。


「……優勝したら、火神さんが私にオムライスを作ると?」

「ああ、そういうこと……って、オムライス程度じゃやる気に――」

「分かりました」

「……え、マジで? 乗ってくんの?」

「何を呆けた顔を。言い出したのはあなたでしょう」

「それはそうだけど……」


 驚きを隠せない曖昧な相槌に言葉が続く前に、冬華が背を向けて体育館へと歩き出す。


「……その話、忘れないでくださいね」


 動きやすいようにか、うなじ当たりでポニーテールに結ばれたグレージュの髪を、朝陽は呆然と立ち尽くして見送った。


 思い付きで持ち掛けた馬鹿らしい提案は、本当に気まぐれによるもので、気づけば口にしていた軽い冗談のようなものだった。

 

 それがまさか、承諾されるとは夢にも思っていなかった。


(オムライス、そんなに好きなのか……?)


 思えば、卵入りの雑炊を食べた時は涙を流し、お弁当の卵焼きも美味しいと口にしていた。

 

 もしかすると、無類の卵料理好きなのかもしれない。


 それくらいしか冬華が頷いた理由に見当が付かず、朝陽は自分で提案しておきながら困惑気味に食堂を出て体育館へと向かった。

 





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