第9話 バカップル


 想定通り、勉強会を最後に朝陽と冬華が会話をしたり、関わりを持つことは一切なかった。


 何度か姿を見かけた際には相変わらず人を寄せ付けない空気を身に纏っていて、"氷の令嬢"の健在ぶりを匂わせる噂を何度も耳にした。

 その度にお腹の音を恥じらう姿や穏やかに柔らかく微笑む姿が思い出されて不思議な気持ちになるが、だからといって何かが変わるわけではない。


 ほんの少し些細な変化があったとすれば、マンションで顔を合わせた時に小さく会釈をされるようになったくらいか。


 結局は赤の他人のまま、一週間と少しが流れるように過ぎていった。


「朝陽ってこんなに頭良かったっけ」

「……少なくともお前よりは」

「それは自明だろ。万年赤点ギリギリの俺と比べるな」


 四日間に及ぶ地獄の定期テストを乗り越えた後、暫しの解放感に活気づいた学生達は答案返却日を迎えて再び顔の色を曇らせた。

  

 数人は周りと対照的に明るくはしゃいでいるが、その全員のテストの点数が良かったわけではない。寧ろ、現実――つまりは成績表を直視することを止めた人こそ多く見られる。


 そして、千昭もまた例に漏れず、凄惨な成績表を隠すことなく両手で広げて呑気に笑っていた。


「いやでも本当、二十位台は凄いと思うぜ。成績優秀者として張り出されるレベルじゃん。何か特別な勉強とかしたのか?」

「あー……まあ、そんなところかな」

「何だその曖昧な返事。俺にも教えろよ高得点の秘訣」

「……誰かに教えてもらう、とか」

「なるほど。それじゃあ、俺は朝陽に――」

「丁重にお断りさせてもらう」

 

 ブーブーと文句を言ってくる千昭は放っておいて、手元の成績表に視線を落とせば過去最高の順位と点数の羅列が目に入る。

 

 日頃から予習復習を続けている朝陽にとって、出題範囲が固定されている定期テストはそう難しいものでもない。 

 直前になっても一夜漬けなどせず、いつも通りの勉強と十分な睡眠を後に挑み、それなりの成績を取る。


 ただ、今回はそれなりどころの話ではない。大幅に成績を上げ、上位三十名からなる成績優秀者に名を連ねることになった。

 その勝因は間違いなく冬華に苦手な数学を教えてもらったお陰なのだが、そっくりそのまま千昭に教える訳にはいかず、朝陽は適当に言葉を濁して話題を変えた。


「そもそも千昭は彼女に構ってばっかで勉強しないだろ」

「だって彼女可愛いんだもん」

「理由になってねえよ……」


 高校受験を経て入学している以上、朝陽と千昭の頭の出来にそれほど差があるわけではない。それでも両者が対照的な成績を取るのは単に勉学に対する優先度の違いだ。

 

 千昭は頭の回転が速く、機転が利くし、要領も良い。

 もし、勉強に力を入れれば朝陽と同じかそれ以上の順位を叩き出せるはずだが、いかんせん彼女の日菜美との時間を優先してしまうために毎回赤点の前後を彷徨う問題児と化していた。


「朝陽も彼女作れば分かるって。きっと補習コースまっしぐらだぜ?」

「その場合、俺は一人暮らしができなくなるな」

「……つまりは気軽にお泊りが――」

「できなくなるな」

「よし、朝陽。お前は彼女を作るな」

 

 華麗なまでの手のひら返しに苦笑が混じるが、誰かに言われなくとも朝陽は今のところ彼女を作る気はなかった。

 

 そもそも恋愛感情を抱く相手がいないし、千昭のように誰かとイチャイチャしたいという願望もない。


 第一、一人暮らしをするための条件として学年全体の三分の一以上の成績を収める必要がある。

 仮に千昭の未来予想が当たれば親が住む家に戻ることになり、考えたくもないが通学時間の問題で転校の可能性だってあった。

 

「でも実際勿体無いよなー。"氷の令嬢"と同じっていうかさー」

「は? 何でそうなるんだよ」

「いや、どっちも愛想が足りねえなと思って。まあ、朝陽の場合は身なりを整える必要もあるけどな」

「うるせえ、余計なお世話だ」

「ほら、そういうとこ! もっとニッコリ笑顔で対応しなきゃ。長ったらしい髪もばっさり切ってセットしたほうがいい。せっかくカッコいい顔してんのに宝の持ち腐れだぜ」

  

 千昭もことわざを使えるのか、とズレた感想が浮かぶも声にすると怒られそうなので黙っておく。


 突然例に上がった冬華と同じは大袈裟にしても、愛想がないことは朝陽も自覚はしている。

 あまり会話を好むタイプではないし、何かとぶっきらぼうな態度になるので不機嫌に思われてしまうことも多々あったりする。


 自分を客観的に分析することができるので、山田のような俳優似のイケメンでも千昭のような爽やかな顔立ちではないが、身嗜みを整えればそれなりの容姿になることも分かってはいた。

 

 しかし、異性に好かれたいがために元々の性格を変えたり、時間とお金を掛けて自分を磨こうとは毛ほども思わないのが現状だ。

 

「やめだやめだ。この話はこれで終わり」

「何だよ、連れねえなー。朝陽イケメン化計画はこれからってのに」

「おい、勝手に恐ろしい計画を立てるんじゃねえよ。俺はこのままが一番なんだ」

「そうは言ってもな。この計画の成就を待ち望んでいる人は沢山いるんだぜ」

「嘘言え、そんな好き物はお前しかいねえよ」

「いやいや、少なくとも一人はいるって……ほら、丁度いいところに」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた千昭に嫌な予感を覚えつつ、視線を同じ方向に向ける。その先に天敵とも呼べる人物が立っていたのだから笑えない。


「ちーくん、朝陽ー! テストどうだった?」

「良いところに来たなヒナ。テストなんかよりも朝陽イケメン化計画について話そうぜ」

「何それ、ちょー面白そう! えっ、もしかしてついに朝陽も意中の女の子ができたわけ!?」


 廊下から眩しい笑顔で駆け寄ってくる、千昭の彼女――相葉日菜美あいばひなみに朝陽は思わず頭を抱えた。


 肩甲骨あたりまで伸びるセミロングの明るい茶髪に、小動物のような愛嬌のある顔立ち。

 性格もまさに人懐っこい小動物に似て底抜けに明るく、天真爛漫という言葉が良く似合う賑やかな少女だ。

 その対照的な性格故に、朝陽はいつも日菜美の前では心身ともに疲労が激しくなる。


「よし、朝陽。テストも終わった事だし、この後時間あるよな。ファミレスで俺たちと楽しくお喋りしようぜ」

「……断る選択肢は?」

「もちろん無いよ!」

「じゃあ聞くなよ……」


 学校内でも有名なバカップルが揃ってしまえば、お一人様の朝陽に抵抗の術はない。

 問答無用でファミレスに行く流れになり、朝陽は深く大きめのため息を隠すことなく吐き出した。




 結局、数時間ほどファミレスで潰した朝陽はくたくたになりながら帰路に着いた。

 

 大半は千昭と日菜美のイチャイチャを見せつけられ、残りのほとんどは興味のない恋愛話へと使われたために、テスト後の疲れは癒されるどころか増すばかり。

 

 ただ、そんな賑やかな時間が朝陽は決して嫌いではなかった。

 二人は数少ない気心知れた友人であり、何だかんだ言っても一緒にいるのは居心地がいい。

 勝手に進められたイケメン化計画とやらも、多少強引とはいえ女気ゼロの友人を思っての行動だと理解ができる。


(そういや、そろそろ買い足し時だったな……)


 帰り道を歩く途中、冷蔵庫の中身が寂しくなってきたのを思い出し、閉店前のセールを狙って近所のスーパーに立ち寄る。

 その中で、見覚えのある後姿を見つけた朝陽の足がピタリと止まった。

 

(……何してんだあいつ)


 腰までかかるグレージュの髪に、小柄で華奢ながらに女性らしい起伏がしっかりあるシルエット。

 見間違いようもなく、買い物かご片手に店内を歩いているのは"氷の令嬢"その人だった。

 

 

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