第5話 本当の彼を求めて


―――


 どうしてこうなっちゃったんだろう……


「動くな!下手な真似しやがったらこいつを撃つぞ!」

 こめかみに銃の感触がして、冷や汗が出る。

 私は半ば諦めてそっと瞳を閉じた。



―――


 事の発端は、かつて赤江さんが逮捕した殺人犯、守口が刑務所を脱走した事から始まった。赤江さんを恨んでいた守口は、彼を駅の階段から突き落として逃走。

 その事が原因で赤江さんは一時意識不明の重体となったが、奇跡的に命は取りとめた。


 だけど目覚めた彼は、自分の名前以外何も覚えていなかった……


 私の事はもちろん、今まで一緒にやってきた仲間の事も対策係のリーダーとして何人もの犯罪者を捕まえてきた事も忘れてしまったのだ。

 だけど記憶を無くした赤江さんと一緒にいるうちに、最初の頃に感じた悲しみや辛さや絶望感が薄らいでいくのを自覚していた。このまま記憶が戻らなくてもいいとまで思ってしまって、そんな自分に自分でビックリしたりして。


 彼との奇妙な同居生活は思っていたよりも楽しかった。

 以前より優しい彼の事がますます好きになった。


 記憶を無くす前は喧嘩ばかりしていた二人だったけど、優しく気を使ってくれる彼の傍にいると素直じゃない自分が素直になっていく。イライラしていた気持ちが不思議と落ち着いていく。


 彼と一緒にいて『楽しい』『嬉しい』という感情をこんなに感じられるなんて、正直思ってもみなかった。


 それだけ赤江さんが変わったという事だ。



―――


「なぁ、白本。」

「何ですか?赤江さん。」

 ある日ベッドに寝転んでいた赤江さんが、隣で布団に寝ていた私に話しかけてきた。時刻はもう深夜、お互いに潜めた声になる。


「最近、あまり言わなくなったな。」

「何をです?」

 私が体を起こすと赤江さんもゆっくり起き上がって、私をじっと見つめた。

「いや、俺が記憶を無くした最初の頃は、思い出させようって必死だっただろ。今までの事件の話をしたり、対策係のメンバーの事を教えてくれたり。」

「そうでしたね。」


 記憶喪失になってから三ヶ月は経っていた。今ではこの同居生活にも慣れて、少し丸くなった彼とも普通に話せるようになった。

 私は必死に記憶を取り戻そうと躍起になっていたちょっと前の自分を思い出して心の中で笑った。


「今の赤江さんに慣れたんですよ。」

「はぁ?何だ、それは…」

「ふふ。やっぱり最初は赤江さんが違う人になっちゃったみたいで嫌だったけど、今の赤江さんもこれはこれでアリかなぁ~って。」

「……そうか。俺は…知りたいけどな、本当の俺を。」

「え……?」


 一人言みたいな小さな声だったけど、私にはハッキリと聞こえた。慌てて赤江さんを見たけど、彼はもう既に布団を被って壁の方を向いていた。


「赤江さん…?寝ました?」

「………」

 声をかけたが返事がない。

 こうなった彼は何をしてもダメだとわかっていたから、私も布団を被って反対側を向いて目を瞑った。



 赤江さんの本当の声を聞いた気がした。

 私はただ、過去を思い出そうとする度に苦しそうな顔をする彼を見ていられなかっただけ。

 以前の彼より優しい今の彼の方が、居心地が良いと思ってしまっただけ。


 全部私の勝手な思い込みだった。独りよがりだった。

 彼はこんなにも本当の自分を求めていたのに……


 私は前の彼……いや、今の彼も含めて赤江真という存在自体を否定していたんだ。


「ごめんなさい……」


 愚かな私の呟きは、暗い闇の中に吸い込まれて、やがて消えていった……



―――


 私はそこまで回想して、ふと目を開けた。

 目の前には菊池さんを筆頭に、捜査一課の人達が私を……いや私と守口を取り囲んでいる。

 こめかみには相変わらず銃の感触があって、また出そうになったため息を慌てて飲み込んだ。


 だってこんな事になったのは、紛れもなく自分のせいなのだから……



―――


 赤江さんの本当の声を聞いたあの日から、私は独自に守口を追った。

 赤江さんをあんな目に合わせた張本人を捕まえる。その事が私に出来る唯一の事だと思ったから。


 菊池さん達が三ヶ月も足取りを掴めないでいる相手だから苦戦するだろうと思っていたが、偶然にも私の元に情報が転がり込んできた。それによると都内のある貸し倉庫に一週間前から潜伏しているとの事。


 そして私は無謀にも一人で守口のところに向かったのだった。



「……ったく!一人で乗り込むなんて、正気か!」

「……ごめんなさい…」

 菊池さんの声が聞こえて、私は思わず小さくなる。恐くて捜査一課の皆さんの顔が見れなくて、顔を逸らした。


「まったく……お前という奴は…無鉄砲にも程があるぞ!」

「す、すみません……」

「はぁ~…、あいつがお前の居場所教えてくれなかったら今頃っ……!」

「ごちゃごちゃうるせぇなぁ!この状況わかってんのか、あぁ!?俺が引き金引いたらこいつ一発だぞ!」

 頭のすぐ横で銃のストッパーが外れる音がする。途端に菊池さん達が少し後退るのが気配でわかった。

 私はそっとポケットに手を忍ばせた。


「赤江さん……」

 ポケットの中には、赤江さんの必需品の高性能発信器が入っている。

 いつから入っていたかは定かではないが、きっと私の不穏な動きに気付いて忍ばせていたのだろう。


 菊池さんは赤江さんから私の居場所を聞いて、駆けつけてきてくれた。他の一課の皆さんも、こんな自分勝手な私の為に……


「おいっ!赤江はどうした!?」

「………」

「まったくしぶとい奴だぜ。やっぱりあの時階段から突き落とすだけじゃなくて、ナイフででも刺しときゃ良かったなぁ!」


『ギャハハ!』と耳障りな声で笑う守口を、私は睨み付けた。

「あの時は逃げ出したばかりだったから、武器なんて持ってなかったんだよな。惜しい事したな~。たまたま駅で見かけたから突き落としただけで、こうやってじわじわ追い詰めて遊んでやろうって思ってたのによぉ~!」

 こめかみにグリグリと銃口が食い込んでくる。私はグッと奥歯を噛みしめて、目を閉じた。


 と、その時だった――


「守口っ!!」

 入り口の扉が大きな音を立てて開く。


 そしてそこから現れたのは、赤江さんだった……



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