第2話 壊れそうな絆


―――


「…あれ?菊池さん、何で…?」

 案内された部屋に入ると菊池さんがそこにいて、私はビックリした。


「よぉっ!久しぶりだな。どうだ、警察庁捜査一課特別犯罪対策係は。」

「二年目ですがまだまだです……」

 相変わらずな菊池さんの言葉に、苦笑しながら曖昧に誤魔化した。

 菊池さんは捜査一課のベテラン刑事。捜査は足だ、という昔ながらの考えの元に現場を走り回っている。その分出世には縁遠く、赤江さんの一つ下の巡査部長だ。


「それより何で菊池さんが?赤江さんの事と何か関係があるんですか?」

 私の言葉に一瞬躊躇したように見えたが、菊池さんはいつもの口調で言った。


「実はな……赤江は誰かに駅の階段から突き落とされたらしい。」

「…え……?」

 またしても部屋の隅に固まっているメンバーの方を見ると、全員揃って沈痛な顔をして俯いた。


「え…どうして?は、犯人は……?」

「はっきりとは断定できんが目撃情報等から推定すると、守口だという可能性がある。」

「……あの守口ですか?」

「あぁ。」

 菊池さんの返事を聞いた瞬間、ある記憶が脳を支配する。

 私は誰にも見えない所でそっと拳を握った……



―――


「犯人はお前だ、守口。」

「くそっ…!覚えてろよ、赤江真!」


 丁度一年前、私たちは一人の男を逮捕した。それはもちろん赤江さんの的確な推理と地道な捜査のお陰だったけど、守口は理不尽な事に赤江さんを憎み、手錠を嵌めた手で彼を殴ろうとしたのだ。

 菊池さん率いる捜査一課の人たちが押さえつけてくれたから良かったものの、守口のあの狂気が宿った瞳と目が合った瞬間、戦慄したのを覚えている。


 この男は危険だ。


 私のなけなしの刑事の本能がそう言っていた。

 だから赤江さんを慌てて引っ張って足早にその場を離れた。


「心配するな、白本。あいつは確実に刑務所行きだ。もう会う事もない。」

 守口の方を真剣な瞳で見つめながらそう言う赤江さんを、私はただ黙って見ている事しか出来なかった……



「で?どうして刑務所にいるはずの守口が、赤江さんを階段から突き落とす事になるんですか?」

 知らずに責めるような口調になっていた。私は慌てて菊池さんに頭を下げる。

「お前が怒るのも無理はない。いや、正直に言うと俺も頭から湯気が出そうなくらい腹をたててるんだ。」

 そこで一つ深呼吸すると、菊池さんは言った。

「脱走したんだ。」

「え……?」

「脱走したんだよ、守口は。たくっ…!どうなってんだよ!あんな危険極まりない奴を逃がすなんて…!」

 菊池さんが自分がたった今まで座っていた椅子に八つ当たりしているのを、私は呆然と見ていた。


 守口が脱走した?


 恨みを晴らす為に?


 一年間赤江さんを憎み続けて、脱走する機会を伺っていた?

 彼を……殺す為に……?


 そこまで考えて小さく身を震わせた。

 あの守口だ、ありえない事ではない。私はきっと菊池さんを睨んだ。


「菊池さん!」

「な、何だ?」

 私の迫力に椅子を蹴っていた菊池さんが動きを止める。

「絶対に守口を捕まえましょう!赤江さんの為に。そして……皆さんの為に。」

 私はメンバーの顔を順番に見た。

 相変わらず固まっている対策係の四人は沈黙な面持ちで下を向いている。私は彼らの気持ちに想いを馳せた。


 私なんかより長い付き合いな彼らにとって、赤江真という人の存在の大きさはどのくらいのものなのか、新参者の私にはわからない。


 普段は皆マイペースで自分の仕事は完璧にするけど、基本個々の個性が強すぎて群れる事が嫌いなタイプだ。だけど注意して観察しているとわかる。彼らの赤江さんに向ける信頼は言葉以上のものがあると。何も言わなくても例え悪口の応酬があってもそれは本当の絆があるからこそ出来る事だ。

 そして赤江さんにとっても彼らはかけがえのない存在のはずで。


 守口なんかのせいでそんな大切な絆が壊れそうになっている。私にはそれが腹ただしかった。


「失礼します。」

 戸口から声が聞こえて振り返ると、さっき病室にいた医師が立っていた。

「赤江真さんの病状を説明しますが、よろしいですか?」

「あ、はい。お願いします。」

 私が脇に避けるとその医師はすたすたと歩いていき、自分のデスクの椅子に座った。

「赤江さんの脳のMRI画像です。結論から申し上げますが、脳には何の損傷もありません。」

 医師はMRIとやらを私たちに見せて、そう言った。 


「何の損傷もない?じゃあ何で赤江さんは記憶を失っちゃったの?」

 青依さんが泣きそうな顔でそう言う。医師は表情一つ変えずに彼女の方を見た。

「恐らく精神的なものでしょう。明日戻るかも知れないし、何十年後かも知れない。」

「そんな……」

 黒坂さんが思わずといった感じで声を出す。彼はその長身を小さく屈めていた。


 黒坂さんは長身と鍛えた体を使ってどんな屈強な犯罪者相手にも勇敢に立ち向かっていく、我が班が誇る肉体派だ。いつも無口で寡黙で余計な事は言わない。冗談も一切通じない。その為、私はまだこの黒坂さんとは馴染んでいない。


「私はまだ信じられません。あの赤江さんが何でこんな事に……」

 黄瀬さんが小さな声で絞り出すようにそう呟く。そんな彼の姿に胸が痛んだ。


 黄瀬さんは一番の常識人、でも一番何を考えてるのかわからない人。でも誰よりもパソコンや機械関係に強くて彼にかかればどんな頭の良いサイバー犯も逃げられない。


 こんな常人離れした四人と、その四人を上手く動かせる程の頭脳を持った班長・赤江さんに囲まれた私は、揉まれながらも少しずつ刑事として経験を積んできたのだ。


 それなのに……


 医師の事を長年の敵みたいな顔で睨む黒坂さん。

 唇を噛み締め、固く手を握ったまま動かない黄瀬さん。

 涙をその長くて綺麗な黒髪で隠している紫織さん。

 今にも崩れそうな様子で、壁に凭れかかっている青依さん。

 悔しげな顔で拳を握って、『守口の野郎…!』と口走った菊池さん。


 そしてこんな状況にも関わらず涙が出てこない自分が薄情な人間に思えて、私は小さく舌打ちをした。


「あと一週間入院してもらいます。そしたら記憶が戻っても戻らなくても、退院となります。原因が精神的なものなら、我々はなすすべがありませんから。それでも三週間に一度薬を処方するので通院して下さい。その時に念のため検査をするので、そのおつもりで。」

「……はい、わかりました。」

 淡々と話す医師の言葉が耳を素通りしていく。それでも私は無意識に返事をしていた。


 私は赤江さんの脳の画像を見つめながら、これからの事を考える。


 だけどどんなに考えても、それは暗闇で小さな鍵を見つけるよりも困難である事は必至で。

 赤江さんと私の未来、赤江さんとメンバー達の絆、そして何より赤江さん自身の人生はどうなるのか、誰にも予測出来ない。


 だけど私たちは生きるしかない、どんなに辛い事がこの先待っていたとしても。


 暗闇の先には明るくて希望に満ち溢れた世界が広がっている事を信じて……



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る