次世代の作家は人工知能?

学校に大学の教授が来て、「人工知能は物語を理解できるか」という題のプレゼンをされていった。


科学とか農業とか、私にはあまり関心が沸かない分野の講演も多い中、これだけは面白そう!聞きたい!と思った。


AIに物語を書かせる研究をしているという教授のプレゼン

案の定、作家志望の私にとって興味深く聞きやすく理解しやすいお話だった。

そもそも感じたものがあるからここに綴るわけだが。


物語 創作 プロット 主人公 キャラ 構成 


なんて言葉を聞くと、私のワクワク踊り出した心は止められない。教授はこんなワードを多用していた。

「あ、この情報使える!これ後で調べよう!」

聞き逃すまいと私はメモに忙しかった。


メモと疑問に思ったことをここで纏めてみる。


その1

「人間の心をコンピュータで理解できるように」研究していると教授は言った。


確かにコンピュータは人間の心を理解はできそうだ。こんな時はこんな感情で、こんな脳の状態だとか教え込めばできるんじゃないかなぁなんて知識のない私は想像する。


けれども表現はできるのか?


人間の心を、繊細な感情を、カケヒキを謀る言葉のニュアンスとかいろいろ!コンピュータに表されてたまるか!って、感情論ではなく、ただ不可能じゃないかと私は思った。

物語の中でこそ、人間の動きはパターン化しないし、思ってもいないことを言ったり言わなかったり、嘘をつけたりつけなかったり、どんな展開にもなり得そうな物語が面白いのではと思う。

もしAIに物語書かせるのに成功したら一度それを読んでみたい。好きになれるかどうか別として。



その②

そもそもなぜ人工知能に物語を書かせたいのか。それに実用性はあるのか。


実用性がないものを研究はしないだろうから、AIが物語を書ければ何かしら益があるのだろう。


でもなぁ……。

AIの書く話は面白いかもしれない。物理的に不可能なことは起こらないだろうし、面白いと思わせるタイミングとか文章体とかいろいろ図っていそうだ。ミステリー小説なんかでは完全な落とし穴を作れたり、


またAIによって無限パターンの物語が生まれてしまったら?

人間の想像力も限界を迎えてしまって、考えた小説はすでにAIが出しているというようになってしまうのではないかと私は恐れた。


更に私は思う。

物語って、作者ありきで価値が出るのではないだろうか。

文章で感じる作者の香り、経験や思考、トラウマ

ミス表現で感じる不完全さ、人間らしさ

ツイートなどで見る個性や、個人的に知り合ったとき初めて知る秘話や裏話。


これが面白いのではないか。


例えば三秋縋さんの作品中で感じる孤独感の魅力と喪失の中から見出される愛と希望。

あの作品の作者がもし現実では陽キャ幸せパーリーピーポーだったとして、そのことを知るとショックを受ける人も少なくないだろう。

現に三秋縋さんはTwitterにて作品と雰囲気の変わらないツイートで読者からの人気を集めている。

住野よるさんだって、個性と趣味でいっぱいの充実していそうな大人感とかわいさが、温厚な作品とマッチしている。


やはり小説は作者ありきで価値が出るのだと思う。


小説があるからにはそれを考えた作者がいるのであって、作者がいるから記憶と経験と生活がある。

読者に作者の人となりまで考えさせ、それが面白くて、深くて、次の作品が楽しみになる。


それが、小説の醍醐味なんじゃないかなと私は思っている。

単に、作家という夢を人工知能から守りたいという思いもある。


学校でこんなふうに、物語を作ることについて話されることはまずないから、この授業は新鮮で、こんなふうに自分なりに考えてみる機会になった。

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