第21話 追憶の地

 エリーネが空を仰ぐと、いつもよりも強い光を発する月が、夜空に煌々と輝いていた。強い風も吹き、エリーネは巻き上がる髪の毛を押さえ、周囲に注意を払っていた。


 ミリアムが姿を消して数時間。


 あの後予定されていたアトランティスの要人との会食は、ミリアムの急な体調不良ということにして中止された。


 部屋の中を見る限り、荒らされていないことから不審者がミリアムを誘拐したということは無さそうだった。ラウラ他、信用できる船員を数人、ミリアム捜索に出し、シズネとホルストもそれに加わった。もちろん、エリーネもミリアムを探しに走り回っていた。

 これだけの人数で探し回れば、すぐにミリアムは見つかると思っていたが、こんな夜更けでもまだアトランティスは眠っていない。


 大人数で同じ場所を探すのは効率が悪いということで、エリーネは一人きりで港を離れ、ミリアムを探し回っていた。

 エリーネは港の反対側。『追憶の地』まで足を運んでいた。


 なぜか足がこの場所に向かっていた。


 ミリアムがいるという確証はない。ただ、エリーネの中では、ミリアムとの思い出が一番強いのが『追憶の地』だった。


「ミリアムちゃああぁぁぁぁん!」


 叫んでみるが、返ってくるのは吹き荒れる風の音のみ。その音があまりにも寂しく、エリーネの瞳には涙が溜まっていく。


 ――無駄な時間でした。


 その言葉を思い出すたびに、頭を殴られたかのように視界が狭まる。

本当に無駄な時間だったのだろうか。

 そんなことは思いたくない。


自分の頬を両手で叩き、挫けてしまいそうな想いを払しょくする。ふと気がつくと、大陸の端のほうまで歩いていたようだ。目の前には灰色の景色が広がっている。


 かつて、アトランティス全土を覆っていた結界を破壊したのがこの場所だ。灰色の岩肌が視界いっぱいに広がっている。


 人工物はおろか、草木一本生えていない不毛の地となっていた。その代わりに、いまだに魔法の粒子は辺りを漂い続け、まるでこの地で死んでいった魔法使いの魂のようにも思える。


 カーミラも『核』を精製するときには、この地には訪れてはいるが、海岸までは近づかない。結界の破壊を行う際、アトランティス人同士での争いがあったそうだ。地面はえぐれ所々に、底が見えない大きな穴も開いており、危険だからだ。

背筋に冷たいものを感じながら、来た道を振り返ろうとすると――黄金色の何かが視界の隅に映った。


 目を凝らし、灰色の荒野を見てみると細かな魔力の粒子に混ざり、たしかに黄金色の光がゆらゆらと揺れていた。


「ミリアムちゃん!」


 エリーネは反射的にそう叫ぶと『追憶の地』に降り立った。

 石と砂が敷き詰められた地面に足を取られながら、黄金色の光に走っていく。何度も転び、膝や腕に擦り傷を作りながらも走っていくと、紺色のローブに身を包んだミリアムがエリーネに振り返った。


「エリーネ。あなた、こんなところまで」

「それは私のセリフだよ!」


 エリーネの叫びが辺りに響く。すぐにしん、とした静寂が戻ってきた。


 ミリアムは何の返事も返さずに、どこか生を感じさせない雰囲気でエリーネを見つめていた。


 エリーネはそんな死人のような雰囲気に怖気付きながらも、ミリアムに近づいていき手を取った。


「帰ろう。みんな心配してるよ」


 冷たい。


 ミリアムの手を引くと、かくんと人形のように体が傾いた。どこか虚ろで、儚くて……消えてしまいそうだった。


「エリーネ。あなたは人を殺したことがありますか?」

「え……? 人を……殺……? え?」


 突然、ミリアムの口から発せられた物騒な言葉。くい、とミリアムの垂れていた顔がエリーネに向く。口が僅かに開き、真っ白な歯が覗く。


「私はありますよ」


 ミリアムの声が氷のように鋭くとがり、エリーネの心をえぐる。


「私の選ぶ一つ一つの選択肢が、ウィランド王国の繁栄を築くとともに、その陰では生活を失い、命を絶つ人がいるのです」


 エリーネの体全体に冷や汗が浮かび、風が吹くたび体温が奪われていく。それでもエリーネはミリアムの腕を放さない。


「そんな決断を私は毎日しているのですよ」


 女王としての重圧。それは目の前の国民を守るだけではない。見えないところで苦しむ人間を自国民のために切り捨てなければいけないのだ。


 過去、『追憶の地』でのアトランティス人同士の争いが起こった時も、いくつもの命が失われたのだろう。


「心配などしてもらわなくても結構です。私はもう一度この地を見ておきたかった……。いまでも魔法の痕跡が漂う『追憶の地』。もう二度とアトランティスには訪れることはないでしょうから」


 ミリアムはきっぱりと言い放つ。


 新しい未来のために。それは綺麗ごとだけでは済まされない。時には犠牲もあるのだ。それに目を瞑るつもりはない。それでも、


「最後になるなら……お願いだからシズネさんに会ってよ。許してあげてよ!」


 過去を抱えて未来への一歩を歩みたい。


「……許すも何も、私はシズネという方は知りません」

「嘘だよ……ミリアムちゃんのお姉ちゃんだよ? 忘れられるわけないじゃない!」

「エリーネが私の何を知っているのかわかりませんが……私は――」


 ミリアムが言葉を止める。

 エリーネは流れ落ちる涙を拭きもせずに、じっとミリアムを見つめていた。


「エリーネ……本当にあなたはよく泣きますね」

「ミリアムちゃんが泣かしたんじゃん!」


 ミリアムは何も言わずにハンカチを差し出す。エリーネはぐずぐずと鼻を鳴らしながらも、ハンカチを受け取らず背を向けた。


「……確かに私には姉がいました。髪の色も、瞳の色も違いますし、周りがあまり良い表情をしなくても、そんなことにかまわずに私は姉を慕っていました……そんな姉が私の元を去った時、寂しくはありましたが、私は姉の意思を尊重しようと決めたのです」


 ミリアムが空を仰ぎ、語り始める。


「私は過去を振り返らずにウィランドの女王として生きていくことを誓いました。今更会って許して貰う? そんなのは過去に縛られ、未来を歩むことのできない卑怯者の戯言です」


 ミリアムの言葉の節が震える。


「卑怯者? ううん。私はそうは思わない。過去に置いて来てしまった想い……悔やんでも悔やみきれない気持ちはみんな持ってるんだよ。シズネさんだって、私だって……捨てたと思ったって、絶対に忘れることなんてできない!」

「私は違います」


 エリーネの言葉を否定する、鋭い刃物のような言葉。


「私は女王なのです。覚悟も心構えも何もかもがあなたたちとは違うのです。一緒にしないでください」

「私には、そうは見えない。ミリアムちゃんは女王という責務をこなすために、自分の気持ちに無理やり蓋をしているように思える」

「何を知ったような口を!」


 ミリアムは目を吊り上がらせると、エリーネを睨んだ。エリーネはその視線に臆することなく見つめ返した。


「もうここには用はありません。私は船に帰ります。そこをどきなさい」

「どかない!」


 エリーネは両手を大きく広げると、ミリアムの前に立ちふさがった。怒りに震えるミリアムはエリーネの肩を乱暴につかむと、横に払いのけようとする。


「くっ……あなたは本当に強情ですね。もう話すことはありません」

「……私がここで引いたら、シズネさんも、私も……ミリアムちゃんだって……」

「どきなさい!」


 ミリアムが大きく腕を振るった、その時――。


 ミリアムのローブから黒い塊が空を舞った。インティリアだ

 インティリアは固い地面に跳ね返ると、逃げるように転がり遠ざかっていく。


「あ、ああっ!」


 悲痛な声を上げるミリアムに対し、インティリアはまるで命を持ったかのように、手をすりぬける。


「ミリアムちゃん!」


 エリーネが声をかけたとき、一瞬、ミリアムの体ががくり、と揺れる。地面の穴に足を取られたようだった。倒れ込みながらも、ミリアムはインティリアを追う。


「そっちはだめ!」


『追憶の地』は海岸に近づくほど、地面がもろくなっている。


 地面を跳ねていたインティリアは次第にその動きを止め、くぼみに挟まっていた。ミリアムはエリーネの忠告を聞かずに、インティリアへと駆け寄っていった。

 ミリアムがインティリアを手に取り、安堵の表情を浮かべた――その時、


「あっ」


 吐息にも似た小さな悲鳴がミリアムの口から漏れる。


 踏みしめた地面が崩れると、ミリアムの体は空いた穴に吸い込まれていく。反射的にエリーネが腕を伸ばしミリアムを掴む。しかし、踏ん張る暇もなく、エリーネの体はミリアムと一緒に穴の中に吸い込まれていった。


 体中を打ち付けながら、滑り落ちていく。空がどんどん遠くなっていくのがわかった。

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