第20話 シズネとラウラ
「なんだろ。私ぐずぐず泣いちゃって馬鹿みたいだ。もう吹っ切れたよ」
髪をかき上げ、シズネは目を鋭く尖らせると、エリーネの頭をくしゃくしゃと撫でた。視線はラウラに固定されたままだ。ラウラも表情は変わらないが、負けずにシズネを睨み返している。
「ラウラ……あんたさ。『許可』ってなんだよ。女王であるミリアムにあんたが『許可』を出すのか?」
ラウラが奥歯を噛みしめるのがわかった。明らかに苛立ちを隠しきれていない。
シズネの様子にエリーネは動けない。幾度となく喧嘩をしてきたが、ここまで敵対心をあらわにするシズネは見たことがない。ホルストもぽかん、と口を開け固まったままだ。
「アデリアさま。あなたには関係のないことです。口を出さないでほしい」
お互いがにらみ合っている。エリーネは口を出すことができない。
「今の私は『シズネ』だよ。師匠がつけてくれた名だ」
「勝手なことを」
「そうだね。勝手なことだ」
開き直りにも見えるシズネの言葉に、ラウラの表情には明確な怒りが浮かんだ。
「あなたには我が女王には近づいてほしくはない。本当はアトランティスに来るのも私は反対したのです。インティリアが壊れてしまえば、あなたとのつながりも消えてなくなりますから」
異常なほどの嫌悪。淡々とした話し方ではあったが、執拗なほどに不快感を表すラウラにエリーネはその場に突っ伏してしまいそうだった。
「確かに、あんたとの約束を破って私はアトランティスに来た。恨まれるのは覚悟してたよ。ミリアムにも拒否されたら身を引くつもりだった。それでもねぇ……」
シズネはさらにラウラに詰め寄る。ラウラも一切引くつもりは無いようだ。
「エリーネとミリアムの仲を簡単に引き裂くのは黙っていられないよ」
「シズネさん……」
先ほどまで悩み続け、行く先を迷っていたようなシズネはもうそこには居なかった。エリーネの前に堂々と立ち、閉ざされようとした未来への希望を取り戻そうとしているように見えた。
「何をバカなことを。どんな交流があったのかは知りませんが、その娘にはミリアムさまは何の感情も抱いておりません。ただの気の迷いでインティリアの修理を依頼しただけです。それを勘違いして……非常に不快です」
シズネがふん、と鼻息を漏らす。
「ミリアムはそんな子じゃないよ」
「あなたに何がわかる」
「わかるよ。私の妹だ」
「あなたには何もわからない」
「ラウラ……あんたミリアムに何を吹き込んだんだ?」
ラウラがシズネの言葉に、一瞬口端を震わせた。
「本当に先ほどから、あなたたちは何を言っているのですか? 理解ができません」
「エリーネはミリアムの持つインティリアが直りかけていると言った。それが、ミリアムがあんたに連れられて行ってから再びあそこまで黒く変貌した。こんなの普通じゃない」
「ミリアムさまの女王としての重圧は想像を絶します。気を病むのも仕方がありません。私が今以上にあの方の補佐を――」
「違うね」
シズネがラウラの言葉を遮る。
「あんたはミリアムにこのアトランティスでの思い出を忘れてほしいんだろう? インティリアなんてなくなってしまえばいい。私との接点を消し去ってしまいたい。楽しい思い出などいらない。すべての思い出など思い出させないようにして、女王以外の表情をするミリアムを必死に抑え込んでいる。ウィランドを治める完璧な女王を作り上げるために」
「……それの何がいけない?」
ラウラの表情にははっきりと怒りの感情が浮かんだ。これまでの冷酷な表情は消え失せていた。
「あの方は女王だ。一つの国を治めるという重圧があなたにわかるのか? ミリアムさまは女王の道を選択した。卑怯者のあなたとは違う!」
卑怯者。その言葉を聞いたシズネは、僅かに表情を曇らせる。シズネ自身、自分が過去したことを気に病んでいるのだ。
「ラウラ。あんたは妾腹で周りから腫れ物として扱われていた私にも、好意的に接してくれた。良く二人で未来を夢想してたよね。一緒に、ミリアムを支えていこう。仕えていこうって」
ラウラの口から、僅かに笑みがこぼれる。
「ええ、そうでしたね! アデリアさま! あなたを信じた私がばかだった。私が思い描く未来に、あなたがいないことを私は考慮しておくべきだった。たった一人でミリアムさまを支えないといけない未来も覚悟しないといけなかった。浅はかでしたよ!」
「……ねぇ。ラウラ。私は何をすればいい? どんな罪滅ぼしをすればいいんだ?」
シズネが穏やかにラウラに語り掛ける。ラウラはその美しい表情を醜く歪ませた。
「何もするな! 二度とミリアムさまと私の前に姿を現すな! このまま、過去を悔いながらこの地で死んでゆけ!」
シズネは穏やかな表情を変えない。静かに目を閉じると、深く息を吸い、吐いた。
「んー……この地に骨を埋めるのは良いんだけどね。ミリアムには会って謝らないといけないから……ラウラの言うことは従えないよ」
「バカにしているのか!」
「それに私は、今は過去を悔いているさ。でもね、このアトランティスに来て、師匠やエリーネに会えたことは後悔しちゃいない。私も未来に生きていくためには……ミリアムに会わないといけないんだ」
シズネは空を仰ぐ。これまでどんな思いでシズネはこのアトランティスの空を見上げてきたのだろうか。過去に置いてきた想いは、決して消え去ることは無い。それでも『シズネ』と名を変えた異国の悲しき王女は、アトランティスに抱かれることで、少しでも心の闇を晴らすことができたのか。
安らかに空を仰ぐシズネを見て、ふとエリーネはそう思った。
ほんの少しの間、静まり返っていた場だったが、シズネが両腕を合わせラウラに差し出した。その動作の意味がわからず、ラウラは僅かに怒りの中に、困惑の表情を浮かべた。
「私は今から、あんたを殴り倒してでも、ミリアムに会いにいく。ウィランドの人間から見れば、私は女王に危害を加えようとする罪人だ」
「……その差し出した腕は、逮捕して拘束しても良い、と?」
「ああ、ラウラなら私を捕えた後、何か他の罪をでっちあげて、処刑することも可能だろ? もう吹っ切れたよ。私は生きている限りはミリアムに会うために、どんな手でも使ってやる。私を排除しない限りは、ね」
ラウラは喉の奥でうめき声を上げる。
「シズネさん! ……そんな!」
「ごめんね。エリーネ。もう決めたことなんだ。私は私の過去を払しょくするために、覚悟を決めないといけない」
「アデリアさま……あなたは何を言っているのかわかっていますか?」
「ああ。これが私の覚悟だよ」
ラウラが腰を落とし、構える。拘束具のようなものは見当たらないが、ラウラならば簡単にシズネを拘束することができるだろう。
エリーネの胸が張り裂かれんばかりに脈打つ。すでにいろんなことが起こりすぎて、思考が追い付かないが、このままシズネを拘束させるわけにはいかない。考える前に足は前に出る。転びそうになりながら、エリーネはシズネの前に飛び出ていく、ラウラの前に立ちふさがった。
「私も逮捕して!」
そう叫ぶと、シズネは驚きのあまり前に出していた手を、だらんと降ろした。
「エ、エリーネ……? あんた何言って――」
「わ、私だって、シズネさんと同じ気持ちだよ! このままミリアムちゃんに会えないなんて絶対に嫌だ!」
全身を震わせながら、エリーネがラウラに叫ぶ。
「お、俺だって!」
と、思うと、今度はホルストまでがラウラの前に立ちふさがった。さすがのラウラもその巨体には後ずさってしまう。
「ほ、ホルストさんまで……こ、この件に関してはあんまり関係ないでしょ?」
シズネはエリーネの背後から顔を出しホルストに言葉をかける。
「かっ! 関係ないなんてことあるか! 俺はエリーネの家族だ! そ、それに、シズネさん! お、俺はあんたを罪人にするわけにはいかない! だ、だ、だ、だって、俺は……あんたのことを!」
徐々に、シズネの頬に赤みが差してくる。張りつめていた表情が緩むと、手を腰の辺りでもじもじと絡ませ、視線を地面に向ける。ホルストはすでに暗がりでもわかるくらいに、頭まで真っ赤に染まっていた。
「アデリアさま」
緩んでいた空気が、その声で再び張りつめたものに変わる。
「その覚悟があるのなら……なぜ十年前、ミリアムさまを捨てて逃げたのです? 今、命を投げ捨てる覚悟がありながら……なぜ、あの時!」
「未来が見えなかった」
エリーネとホルストの横を通り、シズネは腰を折り叫ぶラウラに歩み寄る。
「何を言っても言い訳にしか聞こえないと思うけど……。あの時の私は追い詰められていて、ウィランドにいても未来を感じることはできなかった。ラウラとの約束も考えられないほど、心は闇に蝕まれていたんだ。とにかくどこかへ逃げたかった」
ラウラは、よろよろと膝と手を地面につける。
「そんな時、ミリアムとアトランティスを訪れたんだ。私の目には開放的で自由な場所に見えた。すべてを捨てて、名前さえも変えてアトランティスに行ってみたいと思った」
ラウラはシズネの言葉一つ一つに頭を振っている。ラウラもわかっているのだ。将来を語り合った友人だったからこそ、シズネの気持ちは痛いほどに理解できる。
「私の未来はウィランドには無かった。でもね。ラウラにはミリアムを支える未来があるように思えた。だから私は……勝手な私は、自分のわがままを押し通すことが出来たんだ。いつか来る謝罪の日まで」
そう言うと、シズネはラウラの頭を抱きしめた。ラウラは一瞬体を震わせたが、シズネの抱擁を受け入れている。
「ごめんね。ラウラ。あなたにだけ、辛い思いをさせてしまって」
小さく、ラウラの呻く声が聞こえる。しかし、それ以上感情をあらわにすることなく、ラウラはただじっとシズネの胸に顔を埋めていた。
「……謝る必要などありません。アデリアさま」
ラウラは顔を上げると、指の腹で瞳に溜まった涙を払った。
「私は、ミリアムさまの望みを叶えていたに過ぎません」
「ミリアムの……望み?」
「あの方は……アデリアさまがウィランドを離れた後に言ったのです」
ラウラの表情には悲壮感が漂っていた。
「『お姉ちゃんが居場所を見つけられて本当に良かった』」
シズネが目を見開き、口を手に当てる。嗚咽が漏れる。
「あのお方は幼いながらも、しっかりと姉の心をわかっておいでだったのです。だからこそ、私はミリアムさまのお傍にいたいと思えた。でも」
シズネが顔を上げ、辛そうに顔をゆがめるラウラを見た。
「女王としてウィランドに君臨する可能性のあったミリアムさまは、私におっしゃいました。『女王はその重圧から甘えは許されない。すべての情を捨て、ウィランドのために私を利用しなさい』と。だから私は、一切の感情を捨て、ミリアムさまの希望の通りに……その心が闇に塗れようとも、女王としての命題を優先させました。だから私に対して謝罪は必要ありません」
ラウラはきっぱりとそう言い放つ。その表情は凛としており、一切の感情の揺らぎは感じられなかった。
それでも――。
「辛かったよね。ラウラ。ごめんなさい」
そう言い、再びラウラを抱きしめようとシズネは腕を伸ばす。その腕をひょいっと躱す。シズネはバランスを崩し体をよろけさせてしまう。
「あ、あんたねぇ……昔っからその冷静さは変わんないね」
「アデリアさまは場の空気に流されすぎです」
シズネはラウラの言葉に笑顔を作る。
「ミリアムさまに会ってください。そして、謝罪を。私が許可します」
ラウラの表情にも、僅かではあるが笑みが浮かぶ。
シズネが立ち上がろうとするラウラに手を差し伸べる。ラウラがその手を握り返そうとした――その時、
「ラウラさま!」
一人の若い船員が、血相を変えて船の扉から飛び出てきた。荒い呼吸を整えようとはせず、ラウラに走り寄ってくる。
「どうしました? 落ち着きなさい」
ラウラは僅かに浮かんでいた笑みを消し去ると、船員に対し毅然とした態度を返す。
「ミ、ミリアムさまが……」
その場にいた全員が、表情を固くした。
「お部屋から姿を消しました。船の中どこを探してもお姿がありません!」
船の周りでは、演説の興奮冷めやらぬ人々の声が聞こえてくる。まだまだ、辺りは賑やかではあったが、月も高い位置に昇り、深夜と言っても差し支えない時間だった。
長い一日はまだ終わりを告げてはいなかった。
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