第18話 気が付いてもらえるまで

  陽が大きく傾き、次第に港周辺の町並みには煌々と明かりが瞬き始めている。ウィランドから輸入された高価なろうそくの灯りに、アトランティスで使われている魔法の水晶。それらの光が混じり合い、一つとなりお互いの国の友好を示していた。


 アトランティスの人々が待ちわびているミリアムの演説が始まるまで、もう時間がない。

 港に人々が集まっていく中、エリーネとシズネは藍色のローブに身を包みながら大通りを少しはずれたところで身を潜めていた。


「おじさん遅いなぁ……演説始まっちゃうよ」

「しょうがないよ。私たちが無理言ったんだ」


 エリーネは周りに視線を泳がせながら、そわそわと体を揺らしている。


「おおぉぉいい! エリーネ! 持ってきたぞおぉぉ!」


 大通りはウィランドの女王を一目見ようと、ネズミ一匹通れないくらいに混雑している。その中をホルストが大手を振りながら無理矢理、人をかき分けてくる。


「お。おじさあぁぁぁん! そんな目立っちゃだめだよ! もうちょっと静かに!」


 エリーネはぴょんぴょん跳ねながら大声を張り上げる。


「エリーネ。あんたもね……」


 ホルストが大事そうに麻の小袋を抱えたまま、エリーネのそばにくると、


「こっち」


 とシズネは小脇の道に誘導する。

 大通りの喧騒がわずかに聞こえてくる。


「なんとか時間には間に合ったな。これでいいか?」


 ホルストは大きく肩を上下させながら、麻の小袋を静かに開けた。中にはふわりと舞い、淡く瞬く魔法の粒子が入っていた。


「無茶言うよな。お前も。さすがにこの短時間で『追憶の地』を往復すると足ががたがたになっちまう」

「えへへ。ありがとう。おじさん」


 シズネが小袋の中をのぞき込む。気合いを入れるように、口を引き結ぶ。


「これで、私が『核』を作ればいいんだね」


 エリーネの考え。それはミリアムの演説中に『核』を精製することだった。

 この後、ミリアムの姿を見られるのは演説中だけだ。声をかけようにも、この人でごった返している中、ミリアムには届かないだろう。それならば『核』の精製時に発生する光でミリアムに気がついてもらうというのがエリーネの考えだった。


 二人で精製したインティリアの『核』。ミリアムにとっても大事な思い出のはずだ。『核』の光はエリーネの想いを乗せたメッセージだ。気がつくだろうか。

気がついてほしい。


「あんたはまだ『核』の精製はできないんだっけ?」

「うん……ミリアムちゃんと二人でならできたけど……肝心なときに失敗しちゃったらいやだもん。シズネさんお願い」

「うん……」


 シズネも『核』の精製は完璧にこなすことはできない。それでも、


「わかった。やってみるよ」


 シズネがホルストから粒子の入った小袋を受け取ったとき、港の方から大歓声があがった。


 エリーネとシズネが視線を交わす。


「おじさん。大丈夫?」


 ホルストは未だ膝に手を突き、荒い呼吸を繰り返していたがエリーネを見ると、無理矢理笑顔を作り親指を立てた。


「ああ、当たり前だ。ここからが正念場だからな」


 三人は一度大きくうなずくと、港とは反対側の小高い丘の上に駆けていく。『核』精製の際は一瞬ではあるがすさまじいほどの光を発する。無理をして人の多いところにいるメリットはない。むしろ、演説をする者は大勢の人間を見渡すために遠くの方へと視線を向けるものだ。


 シズネがまだウィランドにいたころ、部屋の中から演説をする父の様子を見ていたことがある。


「まさか、過去の記憶が役に立つなんてね……」


 シズネは皮肉混じりにそう言うと、しっかりと足を踏みしめ走っていく。

 アトランティス中の人間が今はミリアムの演説に集まっているのだろう。港の反対側に走っていき、人もまばらになってきた。予定の場所へと到着し足を止めたとき、背後からひときわ大きい歓声が上がった。振り向く。


「ミリアム……」


 シズネは一歩、ミリアムに近づくように歩み寄る。触れることが叶わない妹へと腕を伸ばした。あまりにも遠い。


「ミリアムちゃん……綺麗」


 ウィランド王国の船の甲板に立っているミリアムは遠くからでも、その存在感を鼓舞していた。女王としてのミリアムは立ち振る舞い、所作のすべてが洗練されており、表情もよくわからないこの丘の上からでも圧倒されるほどの雰囲気を放っていた。数日前、ウィランド王国の船がアトランティスに入港した時、初めて見たミリアムの姿。その時と同じく、エリーネの胸は高鳴っていた。


 でも、


「何か違う」


 隣にいるシズネさえも気がつかないほどに小さく。そう思ってしまった自分に疑問をぶつけるようにエリーネはつぶやいた。


「おい。始まるぞ」


 ホルストが船を指さしそう言った。


 ミリアムは大きく腕を横に伸ばすと、そのまま優雅に頭を垂れた。その瞬間、大地が揺れんばかりの歓声が聞こえてきた。


 アトランティスには巨大な権力を持つ王はいないが、政治を行う要人たちが厳かにウィランド王国の船へと続くタラップを歩いている。甲板にたどり着くと、ミリアムと握手をし、アトランティスの人々に体を向けた。友好の証とばかりに大きく手を振っている。ミリアムも同じように力強く手を振っていた。


 今はこの演説が終わるまでは待たないといけない。邪魔をしたいわけではないのだ。



 エリーネがシズネを見ると、僅かに足が震えていた。緊張からの震えではない。


 十年。



 シズネの中にいるミリアムはほんの子供なのだろう。置いてきてしまった妹は、この十年で立派な女王へと成長していたのだ。心に闇を抱えて。

 ミリアムの演説は何事もなく進んでいく。エリーネと一緒に『追憶の地』へと赴き、天真爛漫な振る舞いを見せたミリアムの姿は感じられない。そこにいたのは、実直に責務をこなしている女王の姿だった。


 時折、ため息が観衆から上がる。皆、ミリアムの演説に聞きほれているようだ。アトランティスとの友好を示す演説は大成功だろう。ミリアムは立派に女王の責務をこなしたのだ。


「そろそろだぞ」


ホルストが緊張した面もちでエリーネに声をかける。シズネも腹をくくったのか、迷いなく魔法の粒子を手の中に納めた。


 後は『核』を精製するだけ。


 しかし、エリーネの心にはなにかもやのようなものが蠢き、消えない。


 ミリアムの女王としての振る舞い。もちろん、エリーネと接しているときにもあった。少女らしくかわいらしい中にも仄かに覗く女王としての静謐さ。初対面のときもインティリアを持つ手には恐れと動揺が見られ、少女としての未成熟さが垣間見えた。


 今、演説をしているミリアムにはそれが一切見られない。


 女王としてのミリアムの決意がそうさせているのだろうが、エリーネにはそれがたまらなく不安に思える。


「じゃあ、いくよ」


 シズネの言葉に、思考の海に漂っていたエリーネの意識が戻ってくる。

 はっとしてシズネを見ると、すでに集中しており瞳を静かに閉じていた。


 『核』を手のひらで覆ったシズネの指の隙間からは、仄かな瞬きが漏れている。やはり手こずっているようだ。カーミラほどの余裕さは見られない。額には汗がいくつも浮かび、頬を流れていく。それでも、集中をとぎれさせることはない。少したった後、シズネは腕を天に掲げた。


 その瞬間、シズネの手の中の粒子は『核』へと形を変え、すさまじいほどの光が辺りを埋め尽くした。あまりの輝きに、エリーネは目を細めた。


 これならきっと気がついてもらえる。


「ミリアムちゃん……!」


 手が届かない場所にいるミリアムが遠くを見つめる。一瞬――わずかにミリアムの女王としての表情が緩んだ。


「……気がついてもらえた……?」


 その時、背後から胃の腑に響くような轟音が聞こえてきた。エリーネが反射的に振り返ると、そこにはさらに激しい光が空に広がっていた。

 ホルストとシズネも反射的に振り向いていた。


「なに……あれ」


 頭が真っ白になっている中、いくつもの光の玉が尾を引き、上空へと駆け昇っていく。火の玉は空で花開くと、赤や緑、青色の光が夜のアトランティスを彩っていた。


 その様子に、観衆も感嘆の声を上げる。


「花火……」


 シズネが放心したようにそうつぶやく。


「はな……?」


 エリーネは魔法とは違う輝きに、言葉を失い立ち尽くしていた。


「久しぶりに見たよ……花火はウィランド以外の国でも作られている。火薬と金属の破片を固めて打ち上げると、あんな風に夜空を彩る爆発が起きる。その華やかさから祭典でよく打ち上げられるんだけど……」


 確かに美しい。こんな状況でなければ、エリーネにとって今日は何よりも思い出深い日になっただろう。


 が。


「『核』の光が……届いていないかも」


 『核』精製時の光は一瞬だ。それに、花火ほどの目を引く輝きはない。


「なんで……アトランティスには花火はないはずなのに」


 完全に予想外の出来事だった。


 外の大陸からアトランティスに輸入される物資の中には制限がある物もある。火薬もその一つだ。火薬は戦争などのアトランティス人が忌み嫌う用途にも使われる。過去、外の大陸の人間がアトランティスの結界を破壊しようと目論んだ際に火薬は使われたのだ。もちろん、それで壊れる結界ではないが、その時のアトランティス人の恐怖は想像を絶することだっただろう。


 その火薬が今、美しい輝きとなりアトランティス人の心を埋め尽くしている。ウィランド王国との友好を示すには最高の演出なのだろう。

 その花火の輝きが、ミリアムへの想いを遮断しているのだ。


「お願い……ミリアムちゃん。気がついて」


 花火は、今もまだアトランティスの夜空を彩っている。


 シズネはもう一度、魔法の粒子を手に取ると、再び『核』の精製に取り掛かった。


「何度でも……! 気がついてもらえるまで」


 シズネは膝を地につけると、魔法の粒子を手に収め、祈るように握りこんだ。

 エリーネもシズネと同じように、魔法の粒子を握る。思いが届くように。


「おい。なんか女王さまが」


 祈りを続けるエリーネとシズネの間に、ホルストの野太い声が割って入る。同時にホルストの指し示すところを見ると――ミリアムが腕を横に伸ばしていた。ぴん、と伸びた指が直角に真下に向いていた。


「妙なしぐさだな……ウィランドの作法かなにかか?」


 ホルストがううむ、と唸る。シズネも立膝の恰好でミリアムを見つめていた。

 エリーネが良く目を凝らし、ミリアムを見つめる。


「あれって……」


 ミリアムは何かを指し示していた。その方向に視線を動かすと、


「船の真下……? ミリアムちゃん……気づいてくれていた……!」


 エリーネは駆けていこうとする。


「お、おい! 本当に俺たちの光に気がついてんのか? 確証を得てから……」

「ホルストさん。確証なんてないよ」


 シズネもエリーネと同じように、力強く立ち上がると、エリーネに目配せをする。


「きっと大丈夫」


 エリーネは何も疑いなく言った。その言葉にシズネもはにかむ。

 ぽかん、と見つめていたホルストだったが、大きく頭を振ると気合を入れるように息を吐いた。


「あぁっ! もうわかったよ! 大丈夫なんだな! 本当に大丈夫なんだな」

「ふふ。ホルストさんったら、結構気が小さいのね」

「ああ……いや。俺はそんな」


 ホルストの大きな体が、小さく縮こまる。


「行こう。きっとミリアムちゃんは来る」


 確証なんてあるわけない。でも、きっと大丈夫。

 その思いだけを胸に、エリーネは地を蹴り駆けていった。

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