第16話 女王の責務

 なぜか心が晴れない。


 ミリアムもシズネにきっと会いたいだろう。シズネから貰った黒いインティリアにあそこまで執着している様子からも疑う余地はない。そのインティリアも直す算段が付き始めている。心の闇を吐き出し、未来へと希望を持つことができれば、インティリアは元の透き通った美しいものへと変わっていくのだろう。


「エリーネ? どうした?」


 浮かない表情のエリーネにホルストが声をかける。


「あ、ううん。何でもないよ。ミリアムちゃん。シズネさんに会えて喜んでくれるかなぁ」

「当たり前だ! 長い間会えないでいた姉妹の再会だ。どこに心配することがあるんだ」


 ホルストは岩のような顔をせいいっぱい綻ばせた。

 シズネはそんなエリーネとホルストのやりとりを見ると、わずかに笑みを作った。


 二人とも不安なのだろう。


 もし、拒否されたら?


 わずかに考えられるその不安を押し殺すように、ホルストは笑みを絶やさない。

 しかし、それとは別の不安がエリーネの心に浮き出ている。正体がわからない。

 早くなっていく鼓動を抑えながら、エリーネはミリアムがいる工房へと歩いていく。


 工房の前まで来ると、エリーネは一度立ち止まり、


「じゃあ、シズネさん……開けるよ」


 と静かに語りかける。


 シズネは口を引き結びながら、小さくうなずいた。ホルストもその動向を見守っていた。

 ゆっくりと開ける。ドアに括り付けられたインティリアがりん、と軽やかな音を立てる。


「ミリアムちゃん」


 エリーネは先ほどまでのように、不安を感じさせないように、ミリアムを呼ぶ。


 ――返事はなかった。


 エリーネがもう一度ミリアムの名を呼んでみるが、部屋はしんと静まりかえっているだけだった。


「お? どうした。いないのか?」


 ホルストがエリーネの肩口から、工房の中をのぞき見る。


「うーん。二階にいるのかな?」


 ふと、壁のフックにかけられたローブが視界に入った。先ほどまでミリアムが着ていたローブだ。それを見た瞬間、エリーネの背筋には冷たいものが走った。

 外には出ていない。あれほどエリーネが口を酸っぱくして素性を隠すように言ったのだ。ローブを着ずに外に行くはずがない。


 エリーネは、きょろきょろと部屋中を見渡しているシズネとホルストをよそに、二階への階段を駆けていく。

 二階は、大きな一つの部屋となっている。


 エリーネとシズネの作業場だが、分別のあるミリアムが許可も得ずに入っていくとは考えられなかった。一応、探して見るもミリアムの姿はなかった。

 エリーネが半ば、放心して一階へと降りていくと、ただならぬものを感じたのか、シズネとホルストが慌てた様子で部屋中を探していた。


「ミリアムはいた?」


 シズネが表情を堅くしエリーネに尋ねる。


「いない……どこに行ったんだろう」

「まさか……」


 ぽつり、と呟いたホルストに視線を向ける。


「さらわれたとかじゃ……ねぇだろうな」


 その言葉にシズネが息を飲んだ。声を発することもできずに、口のあたりを手で覆っていた。


「さら……われた?」


 シズネが声を絞り出す。その可能性を考えないように頭を数度振った。


「あ、いや。すまない。きっと、その辺を散歩しているだけだ……なぁ。そうだろう。エリーネ」


 可能性としてはありうる。だが、本当にそうだろうか?


「あ」


 エリーネの脳裏に、先ほどすれ違った女性の冷たい目瞳が浮かんだ。次の瞬間にはエリーネは脱兎のごとく、工房のドアを開け外に飛び出す。

 シズネとホルストの声が聞こえてくるが構わない。エリーネは人通りの多い港へと駆けていった。


 胸の鼓動が今まで感じたことのないくらいに早鐘を打っている。エリーネは人混みの中に目を光らせた。

 王室の船がその存在を鼓舞するように、雄々しい船体を晒している。今日、陽が落ちた頃にここでアトランティスとウィランドの友好を示す演説が行われる。


「やっぱり……いない」


 ミリアムが――ではない。


 いなくなった女王を探すウィランドの人間が見当たらないのだ。演説まで時間がないのにかかわらず、ミリアムを探す人間がいないのはおかしい。


 連れていかれたのだ。ウィランド王国の人間に。


 エリーネは急いで工房に戻った。


 「シズネさん! ミリアムちゃんは攫われたんじゃなく……て――」


 そう叫びつつ、工房のドアを開ける。そこには、先ほどよりも顔色を白くさせたシズネと――もう一人、美しい金色の髪の毛を背中で束ねた女性が立っていた。


「あ……」


 その女性は、洗練された動作で振り向くと、冷たい視線をエリーネに向けた。本当に冷気が漂ってくるような目に、エリーネは体を震わせる。


「あなたがエリーネ?」


 一層、鋭く視線を尖らせエリーネを射抜く。

 あまりにも冷たい感情に、思考が止まる。何が起こっているのか考える間もなく、エリーネは女性に肩を掴まれる。


「あっ……痛っ……!」


そのまま腕を後ろで固められてしまう。力を入れることができず、抵抗ができない。


「おいっ……! 何を」


 反射的にホルストが女性に掴みかかっていく。女性は猛然と突っ込んでくるホルストの巨体を軽くいなし、そのまま頭を掴むと床に組み伏せた。


「ラウラ!」


 シズネが悲鳴のような声を上げる。


「シズネ……さん。この人のこと……知ってるの?」


 ラウラと呼ばれた女性は、少し乱れてしまった前髪をかき上げる。


「シズネ……? ああ。ここでの名前ですか。『アデリアさま』」


 シズネの過去の名前を知っている……? やはり、ウィランドの……。


「あなたを逮捕します」


 ようやく、血の通ってきた頭が再び真っ白になる。


「エリーネが何をしたって言うんだ! あんたのとこの女王さまは、自分の意志でここに来たんだ。エリーネは何も悪くない!」


 ホルストが痛みに顔をゆがめながらも、ラウラを睨みつけ声を張り上げる。そんな叫びも意に介さずに、ラウラはエリーネを見下ろした。


「――と、本当は言いたいところですが、ミリアムさまたっての希望です。今回は不問にいたしましょう」


 シズネの張りつめていた表情が、僅かに緩む。しかし、まだ口は引き結ばれたままだった。


「み、ミリアムちゃんは……どうしたの? いったいどこに……!」


 ラウラはエリーネを見ると、大きくため息を吐いた。


「まるで悪者のような物言いですね。本当ならあなたは誘拐犯として逮捕されてもおかしくはないのですよ?」


 エリーネは息を詰まらせる。


 たしかに、そう思われても仕方ない。ミリアムの希望だったとはいえ、ローブを着せ素性を隠し、連れ回したのは否めない。これはエリーネとミリアムだけの問題ではない。アトランティスとウィランド。二つの国が友好を確かめるための演説を控えているのだ。もちろん、それまでにはミリアムを帰すはずだったとはいえ、ラウラの心中は穏やかではなかっただろう。


 でも。


「ミリアムちゃんの心は閉ざされていた。このままじゃ、壊れちゃう。だから私はミリアムちゃんの閉ざされた心を解放しようと――」

「女王なのだから当然です」


 ラウラは一切表情を変えない。


「まぁ、確かに、我が女王も軽率です。普段であれば、与えられた責務を忠実にこなしていました。今回のことは私たちの思惑の埒外でした。今後はこれまで以上に、監視し管理して、そんなことを考える余地のないくらいに責務をこなしてもらわなければ」


 ラウラのエリーネを掴む手に力が入った。そのあまりの強さに、エリーネの口からは苦痛の声が漏れる。


「ラウラ! あんた!」


 詰め寄ろうとするシズネにラウラは鋭い視線を向ける。一瞬、シズネはひるんだが、構わずにラウラの肩を掴んだ。


「あんた。昔はそんなんじゃなかっただろ! ミリアムを……女王を助けていこうって……この十年で何があったんだよ!」

「あなたがそれを言うのですか? アデリアさま」


 地の底から響き渡るような怨嗟の声に、シズネが肩に触れていた手を引く。ラウラの表情を見ていたエリーネの額からは冷や汗が流れていく。


「あなたは、どんな理由があるにせよミリアムさまを捨てて、アトランティスに逃げてきました。それは覆りません。アデリアさまにはミリアムさまを想っていて欲しくはない」


 ラウラが吐き捨てるように言った。言葉自体に痛みがあったかのように、シズネは表情をゆがめると体をのけぞらせる。


「あ……う」


 そのまま、力なくシズネは床に崩れ落ちた。

 ラウラはふん、と鼻を鳴らしエリーネとホルストを離した。


「私はこんな話をしに来たのではありません。ミリアムさまのお言葉を伝えに来たのです」


 ラウラは僅かに乱れた着衣を正すと。


「ミリアムさまは『ありがとう。この思い出は忘れない』と」


 エリーネの目頭に熱いものがこみ上げる。


「以上です。それでは失礼しました」


 ラウラは端的にそれだけを言うと、去っていこうとする。


「ああ。忘れていました」


 振り返らず、工房のドアノブに触れたところでラウラは立ち止まった。


「もう二度と、ミリアムさまはアトランティスを訪問することは無いでしょう。今回が最後です」

「そんな……ミリアムちゃん。あんなに楽しそうにしていたのに……」

「ミリアムさまの希望ではありません。私が決めました」


 エリーネはラウラのその意志の強さに、何も言い返すことができない。


「当たり前でしょう? アトランティスは害にしかなりません。ミリアムさまにとっては女王の責務を阻害する場所なのです。それに」


 ラウラは未だ、床に突っ伏したままのシズネに氷のような視線を向ける。


「あなたがいるのならなおさらです」


 シズネは罵倒とも取れるラウラの言葉に、何も返すことができない。ただ、怯える子供のような視線を向けているだけだった。


「長居しすぎました。それでは」


 ラウラは何事もなかったかのように短く言い放つと、静かに工房を去っていった。後に残るのは静寂のみだった。


「なんだよ……なんだってんだ」


 ホルストは何もできなかった自分に苛立つように、床にこぶしを叩きつけた。

 外では、今夜の演説に向けての準備が進められていた。ここ数日のアトランティスでは一番の賑わいとなるだろう。それに反して、エリーネの工房内は痛いほどの静寂に包まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る