第14話 血が繋がっていなくても
柔らかく白っぽい朝の日差しがアトランティスに降り注いでいる。
交易船が入港して二日。ほとんどの積み荷を降ろし終えた交易船はアトランティスの海に雄大な船体を浮かべていた。
「み、ミリアムちゃん。そんな胸を張って歩いてたら目立っちゃうよ。そろそろ工房だからそれまで我慢してて」
昨夜、『核』を精製した後、夜も更けていたため、一晩をカーミラの家で過ごした。カーミラが就寝した後も、ミリアムは精製した『核』を握り締めながらエリーネと徹夜で魔法のことを語り合った。
妙な自信がついてしまったのか、ミリアムは素性を隠しているはずなのに顔を上げ、胸を堂々と張りながら、帰り道を闊歩していた。
「うふふ。私は魔法が使えるのです。なんだか本当に魔法使いになってしまったよう」
「うん……ミリアムちゃんは正真正銘魔法使いだよ。だから、もうちょっと、頭を下げて歩いてみよう?」
そんなエリーネの心配をよそに、アトランティスの太陽にも負けないくらいの笑顔で、ミリアムは歩いていた。
素性がばれやしないかと、ひやひやしながら、ようやく工房にたどり着いた。ミリアムを前に歩かせて工房に滑り込む。
「ばれないで帰ってこれたぁ……」
なんだか一気に疲れが溢れ出してきた。よろよろとソファに体を預けると、抑え込んでいた眠気が噴き出してきた。
「ふわあぁぁぁぁ……一日、工房空けちゃったなぁ」
シズネはまだ帰ってきていないようだった。
エリーネが大あくびをしていると、ミリアムは笑顔のままくるくるとターンを繰り返していた。ふわり、とローブの裾が花のように膨らんだ。
「元気だねぇ。ミリアムちゃんは」
「え? 何か言いました? うふふふふ」
「もう、ローブ脱いでもいいよ。窮屈だったでしょ? 主に胸が」
「脱いでしまうのは惜しいです。もう少し着ていても良いですか?」
「うん……別にミリアムちゃんがいいなら……」
まあ、それでいいのならと、エリーネこれ以上はなにも言わずに思い切り体を伸ばした。一気に眠気が襲ってくる。
……とはいえ、寝てしまうわけにはいかない。
黒いインティリアの修理期限は今日まで。その依頼主本人は、今エリーネの目の前で恍惚の表情でくるくるしているわけだが……。黒いインティリアを直し、すばらしい思い出を胸にこのアトランティスを後にしてほしい。
そのとき、くるくるとまわっていたミリアムが大勢を崩し、テーブルに体をぶつけてしまった。ローブの裾を踏んでしまい、そのまま前のめりで床にばたん、と倒れ込んでしまった。
「うう、いたたた……」
豪快に倒れて、顔を打ち付けてしまったのか、ミリアムは涙目で真っ赤な鼻をさすっている。
「んもおぉぉ。はしゃぎまわってるからだよ……。本当に女王の威厳はどこにいったのやら」
「あうう……すいません。なんだか昨夜からわくわくしっぱなしで……体がうずいて仕方がないのです」
「それはわかるんだけどね……ローブを着てターンするのは危ないよ」
「お、お恥ずかしい」
やっと我に返ったのか、ミリアムは頬をリンゴのように真っ赤に染め、フードで顔を隠してしまった。
ミリアムが名残惜しそうにローブを脱ごうとしたとき……これまで血色の良かった顔色が、一瞬にして色を失っていった。
「あ、あれ……。インティリア……ここに入れておいたはずだったのに」
ミリアムはローブのポケットを慌てた様子でまさぐっている。無いことに気がついても、瞳に涙を溜めながら、必死になって体中を探している。
「あ」
ふと、エリーネが床に目を落とすと、ソファの隅っこのミリアムからは見えない位置にインティリアは転がっていた。
「ここに落ちてるよ。もう……」
エリーネが黒いインティリアを拾うと――違和感に気がついた。
内部は確かに、これまでと同じように黒いもやのようなものが蠢いている。しかし、よく目を凝らしてみると、インティリアを通して床の模様がはっきりと見えた。
「黒いもやが……薄くなってる……?」
これまではインティリアを通して、その奥にある景色が見えることなど無かった。光も吸収するかのように真っ黒に染まったインティリアは見ているだけで、背筋には冷たいものが走ったものだ。
ミリアムは目尻を下げ、それでも泣いてしまいそうな表情でエリーネの持つ黒いインティリアを手に取った。
「たしかに、薄く……なっています」
自分の勘違いなのか、とは少しだけ思ったが、所有者であるミリアムが言うのなら間違いはないだろう。
よく見ると、インティリアに刻まれたいくつかのひびも消え去っており、艶のある表面が見て取れる。
「直りかけてる……?」
ミリアムがあまりの驚きに、かすれた声を発した――そのとき、
「エリーネはいるか!」
突然、外から家の中まで響き渡る大声が聞こえてきた。あまりの声に、ミリアムの体が大きく跳ねた。
「ミリアムちゃん。ちょっと奥の方に行ってて。多分、私のおじさんだと思う」
ミリアムは大事そうにインティリアをしっかりと握ると、何が何だかわからないと言った様子で、玄関からは見えない位置に小走りで駆けていった。
その間も玄関の外からは、エリーネを呼ぶ声が次第に大きさを増していく。
「どうしたんだろ。こんな朝早くから」
ホルストの張りつめた声に、エリーネの心に不安が走る。
「ミリアムちゃん。大丈夫だよ」
顔だけをこちらに向けるミリアムに声をかけ、玄関のドアを開ける。息を切らせたホルストが、瞳を見開きながらエリーネを凝視していた。
「エリーネ! シズネさんが!」
背中に氷の棒が突っ込まれたような悪寒が走る。エリーネは言葉も発せずにただ、その場で立ち尽くしているだけだった。
「ひどい……シズネさん……」
悲痛な声がエリーネの口から洩れる。
「日課の朝の散歩をしてたんだ……そうしたらシズネさんが……」
「シズネさん……なんでこんな」
エリーネが口を覆いながら、倒れこんで動かないシズネにゆっくりと近づく。しゃがみ込み、シズネに触れようとすると、
「なんか臭い……」
と、触れようとした手を引っ込める。
酒場の裏手にあるこの場所は、客が飲み干した酒の樽や、骨付き肉の残りなどが積み上げられていた。つまりゴミ捨て場だ。
シズネはゴミに埋もれながら、大いびきをかき眠っていた。
「おじさん! 私を呼びに来る前にシズネさんをなんとかしようよ! こんな格好で……」
シズネのワンピースはめくれ上がり、下着が丸見えになっている。綺麗で滑らかな足も投げ出され、とてもではないが人様に見せられる姿ではない。
「だ。だってよぅ。こんなシズネさんに、触れられるわけないじゃないか……」
ホルストは目を覆いながら、それでも指の隙間からちらちらとあられもないシズネを覗いていた。
「こんなところで、こんな格好で寝てたら……襲われちゃうよ」
「それは大変だ!」
一転、ホルストは鼻息を荒くしながらシズネの膝と肩に手を回すと、ひょいと持ち上げた。
「ここからなら、おじさんの工房が近いからそこに運ぼう」
抱えられたシズネを見ると、汚れた頬に涙の筋が見えた。「エリーネ」と力なくつぶやくシズネを見ていると、エリーネの胸にとげが刺さったような痛みが走る。
ホルストは全く重さを感じさせずにシズネを抱え、人でごった返している道を駆けていく。
そんな時、一人の女性と――一瞬、目が合った。
あの時の女性だ。ウィランドの船が入港した日。シズネを探しに走り回っていた時にぶつかってしまった、あの女性だ。冷たい瞳で、エリーネを見ると、直ぐに視線を逸らしエリーネの工房への道のりを速足で歩いていった。
――まさか、ミリアムの居場所を……?
工房に置いてきたミリアムは大丈夫だろうか。自分を心配し外に出歩いていないだろうか。様々な不安が頭を通り過ぎるが、今はシズネだ。
ホルストは玄関のドアを足で開け部屋に入ると、きょろきょろと周りを見渡し落ち着かない様子だ。
「エ、エリーネ。どこに寝かせたら……」
「ベッドに寝かせてあげようよ」
「ベ、ベッドにか? ううむ……」
ホルストは壊れ物を扱うように静かにシズネをベッドに降ろした。
部屋の中をうろうろしながらも、ホルストの視線はシズネの寝るベッドに釘付けになったままだ。
「シ、シズネさんが俺のベッドに」
ホルストは目じりを下げ、困ったような、それでいて泣きそうな、でもよく見ると少しだけ嬉しそうな複雑な表情を作っていた。
「おじさん! そんなところでうろうろしてないで、綺麗なタオルと着替え持ってきてよ」
「お、おう。ちょっと待ってろ」
ホルストはエリーネの手慣れた指示に感心しながら、そそくさと部屋を出ていった。
エリーネはひとまず、持っていたハンカチでシズネの顔を丁寧に拭いてあげた。
「全く、もう……」
あきれ果てる思いだが、何度こういうことがあったとしても、エリーネにはシズネを見捨てる気にはなれなかった。
エリーネはシズネの上半身を軽く持ち上げ、ワンピースを肩から脱がす。下着だけになったシズネを再びベッドに寝かしつける。
「ううう、気持ち悪い。みずぅ」
「おじさーん。シズネさんが水欲しいってー」
ドタバタと床を踏み鳴らしながら、ホルストが部屋へと入ってきた。
「まったく……人使いが荒いな、って……ぅおおおぉぉぉおぉ!」
部屋に入ってきたホルストは下着姿のシズネを見ると、地の底から響いてくるような叫び声をあげ、手に持ったコップを放り投げた。それを、エリーネが空中でチャッチすると、
「おじさん! 今、入ってきちゃダメだよ!」
そう言いながら、ホルストを部屋から追い出し、勢いよくドアを閉めた。外からは、深いため息が聞こえてくる。
「全く……そういうところは、姉貴にそっくりだよ。着替えとタオル。ここに置いておくからな」
ドアの向こう側から、呆れながらホルストがつぶやく。
「うん。ごめんね。おじさん。ありがとう」
「いいってことよ」
そう言うと、ホルストは静かに奥へと歩いていった。
再び向き直ると、シズネは薄く目を開け天井を見つめていた。
「シズネさん。お水だよ」
シズネは体をだるそうに起こすと、差し出されたコップを受け取った。一口飲むと何か言いたげにコップの縁を指でなぞる。
「ごめんね。エリーネ」
耳を澄ませていなければ聞こえないほどのか細い声だった。それでも、シズネにとっては力の限り絞り出した声だったらしく、次の言葉が紡げず視線を下に落としたままだった。
力を失ったシズネの表情を見ていると、言い争ったことなどどうでもよくなってくる。何度ケンカをしても、たとえ血はつながってはいなくても。
インティリアを通して出会った家族なのだ。
――だからこそ。
「ねぇ、シズネさん。ごめんね、って何に対してなの?」
エリーネの言葉にシズネの体が強張った。
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