第13話 新しい時代の若鳥たち

「さて、ミリアムちゃん。しっかりと粒子を手の中に閉じ込めたかな?」

「は、はい。しっかりと……」


 エリーネとミリアムは両手のひらを合わせ、その空間の中に魔法の粒子をしっかりと握っていた。指の隙間からは仄かに蒼い光が漏れていた。


「そうしたら、光さえも押し込めるように……きゅっと圧縮する感じで……イメージが大事だよ」

「い、イメージですね……」

「イメージ出来たら……最後にぐぐぐっと……固めて……」

「は、はい。固めました」

「一気に、ばぁっとぎゅっとどぉーんっと!」

「ばぁっとぎゅっとどぉーんっと、ですね!」


 エリーネとミリアムの二人は、同じタイミングで腕を大空に掲げた。

 二人の手のひらからは、魔法の粒子がふわり、と逃げていった。


「エリーネも出来てないじゃないか……」


 その横でカーミラが腕を組みながら、呆れたようにため息を吐いた。


 陽は完全に落ち、真っ暗な幕に宝石を振りまいたような夜空がどこまでも広がっていた。かつて、結界を解放した場所の近くまで来ると、魔法の粒子が舞う量も多くなり、闇夜とはいえ辺りは仄かに照らされていた。


「あ、あれぇ……? おかしいなぁ。この前シズネさんに『核』の精製のやり方教えてもらったんだけど……」

「まったく……」


 もう一度、ため息を吐くと、カーミラは空中に舞う粒子を機敏な動作で捕まえた。同じように手のひらで覆うと、静かに目を閉じる。指の隙間から漏れる光が消えたと思うと――ひときわ大きな光が辺りを包んだ。一瞬ではあったが、昼間になったかと錯覚させるほどの光はミリアムを呆けさせるには十分だった。


「ほら」


 手のひらには小麦の粒ほどの『核』が生成されていた。エリーネは『核』を覗き込むと、うむむと唸った。


「さすが、おばあちゃんだなぁ。シズネさんも『核』の精製はできるし……私はまだまだだ……」


「シズネはあんたよりも修業期間も長いし、何より器用だ。外の人間だけど、魔法の才能はあったんだろうね。とはいえ、シズネも『核』の精製魔法はまだまだ未熟だよ。だから私に頼んでいるんだろうけど……今日、シズネも連れてくれば良かったのに」

「フンっ!」


 またも、エリーネはぷいっとソッポを向いてしまう。


「もう……なんだい、あんたは……」


 カーミラは呆れたような声を出しながら、精製した『核』を腰にぶら下げた麻袋に入れた。ふぅ、と疲れを押し出すように息を吐く。


「まあ、最近は私も年のせいか『核』の精製には骨が折れてね。数は作れないんだよ」

「そっか……もうおばあちゃんだもんね」

「おばあちゃんって言うんじゃないよ」


 カーミラがエリーネの頭を軽く小突く。


「あ、あの……」


 カーミラの所作を始終眺めていたミリアムが声をかける。


「そのシズネさんという方……私はまだお会いしてはいませんが、外の大陸の方なのですね」

「なんだい? まだ会ってなかったのか」


 カーミラがエリーネをちらりと見ると、先ほどよりも頬を膨らませ背を向けていた。


「今シズネさんとはケンカしてるから! 知らないよ。あんな酔っ払い」

「あんたたちよくケンカするねぇ……」

「今度こそは愛想が尽きたよ! もう二度と工房の敷居は跨がせないから!」

「この前もそんなこと言ってなかったかい?」


 カーミラはぎゃあぎゃあと怒り心頭のエリーネを無視して、何か聞きたそうに瞳を向けているミリアムに向き合う。


「どうしたんだい。ミリアム?」

「はい。その……シズネさんという方。魔法が使えるのですね。外の大陸の人なのに」


 カーミラはミリアムの前で地面に膝を突くと、やさしく手を取った。瞳をまっすぐ見つめると、ミリアムも同じように見つめ返す。


「柔らかくて、暖かい手だよ。この小さな手でどんな重い責任を背負っているんだろう」


 ミリアムは目を見開く。しかし、視線は一切逸らさなかった。


「……魔法ってのはね。決して特別な力じゃないんだ。誰もが初めから持っている心の力。解放させる手段を知らないだけさ……ほら! そこのうるさいの!」


 カーミラは灰色の土を、だんだん踏みつけているエリーネに声をかけた。


「あんたが魔法をミリアムに教えてやんな」


 ふーふー、と荒い呼吸を整えながら、エリーネは背中を向けてしまう。


「ふんっ。私よりもおばあちゃんの方が教えるの上手だと思うよ。なんならシズネさんの方がもっと上手いかもね!」

「こう見えても、私は理論派でね。初心者に教えるには、あんたみたいに魔法の本質を体で理解している感覚派の方がわかりやすいんだよ」


 カーミラはエリーネに向かって、指をちょいちょいと動かす。怒っていたはずのエリーネは、一瞬でニヤついた表情を作る。


「え、えへへ。そう? 私魔法の本質を理解してる? いやぁ。そんなこと言われちゃうと照れちゃうなぁ」

「……あんたは本当に単純だよ」

「えー? なんか言ったぁ?」


 エリーネは頭の後ろに手を回しながら、腰をくねくね動かしている。


「さぁて、エリーネ。いつまでもそんな馬鹿な顔をしていないで、そろそろ真面目におなり。あんたが言ったんだろう? ミリアムに『核』を作る魔法を教えるって」


 カーミラはエリーネの背中をぽん、と叩く。その拍子に、エリーネは思い出したようにミリアムの顔を見つめた。青く瞬く粒子を手のひらの上に乗せながら、ミリアムは上目遣いでエリーネを見つめる。


「あ、うん。ごめん。そうだった。『核』を精製する魔法を……でも、どうしよう。勢いで言っちゃったけど、私もどうしたら……」

「なんてことはないんだよ。あんたが母親に最初に教えられたこと。魔法のあるべき姿。それをミリアムに教えてあげればいいんだよ」

「……魔法の……あるべき、姿」

「あんたはそれをもう理解しているはずだ。むずかしいことは無いんだ」


 エリーネは一度、深呼吸をすると、しっかりとミリアムに向き直った。目線を合わせると、口を引き結んだ。


「さっきおばあちゃんが言ってたけど、魔法は心の力。その心を解き放つの」

「解き、放つ……?」

「魔法を使えるのは、アトランティス人だけ。本当はそんなことはないんだけど、おそらく外の人はみんなそう思っているはず」

「はい。私もここにくる前はそう思っていました」


 エリーネは漂う魔法の粒子を手に取ると、手のひらの上に乗せ、ミリアムの顔の前に差し出した。食い入るようにミリアムは粒子を見つめる。


「その自分を信じていない心が解放を縛っているの。きっと大丈夫。信じること。それが魔法修得の第一歩」


 カーミラはエリーネを見て、安心してほほえんだ。


「きっと大丈夫……。それは、過去、結界を解放した魔法使いたちも感じていた思いなのでしょうか?」


 カーミラはエリーネのその言葉に、懐かしむように目を細めた。


「ああ、そうだね。結界を解放したときだって、未来への確証なんてこれぽっちも持ってなかったさ。でも、今よりもより良い未来へ。きっと大丈夫。それを信じていたんだ」


「だからさ。ミリアムちゃんだって魔法は使えるんだよ。きっと大丈夫だから……」


 エリーネは魔法の粒子を手のひらで覆った。


「でも……エリーネ。私はなにを信じればいいのでしょうか?」


 ぽつり、と。風の音しか聞こえてこない、『追憶の地』にミリアムのか細い声が響いた。


「私は、ウィランドにいるときは暗い地下牢にいるような気分でした。時には、一国の王として非情な決断を迫られるときもあります。国民の生活を守るため……ウィランド王国を存続させるため。そのために、私は自らの心に蓋をしました」


 カーミラは『女王』という言葉にも、一切表情を変えなかった。


「過去のことを振り返ってみても、つらいことしか思い出せない。きっと楽しいこともあったはず。でも、黒い感情は光を飲み込み、私にはなにも見えないのです。これからもそう。私の未来に光が射すことなど……!」


 ミリアムの感情が、想いが、エリーネの心にぶつかってくる。アトランティスの人々は結界を解放したことにより、不安はあったのだろうが、思い描く希望もあった。しかし、今のミリアムは自分の未来には光が射していないと思っている。


 ミリアムは地面に手を突き、灰色の砂を震えるほどに握りしめている。きつく閉じた瞳からは、涙がにじみ頬を伝う。

 その黒い感情に、カーミラ自身、何も言うことができない。


「ミリアムちゃん!」


 ミリアムの悲痛な嗚咽が響く中、エリーネがその闇を払うかのように、声を張り上げる。涙で濡れた顔を隠すこともなく、ミリアムはエリーネを見上げた。


「アトランティスに来たこと……私と出会ったことは未来への希望にはならないの?」

「え、エリーネ……」

「私はミリアムちゃんの女王としての重圧を、すべて理解することはできないかもしれない。でも……それでも友達なんだから、辛いこと、悲しいことがあったら話してみてよ! ウィランドに帰った後でも、手紙とか、何でもいいから色々なこと聞かせてよ。せっかく出会うことができたんだから」


 エリーネは空に舞い散る魔法の粒子を、一つつかむと無理矢理ミリアムの手の中に押し込んだ。エリーネ自身の手でミリアムの手を覆う。


「私もお母さんが死んじゃったときは、未来への希望なんてこれっぽっちも持てなかった。でもね! 私にはシズネさんもおじさんも、おばあちゃんもいたから、がんばることができた。だからミリアムちゃんには私がいるから……」


 ミリアムはエリーネの手を自分の額に当てた。そのぬくもりを確かめるように、ミリアムは静かに目を閉じる。


「ミリアム……ちゃん。見て!」


 突然、エリーネが慌てたように声を上げる。お互いの手が重なり合った中心からは、青白い光が漏れだし、次第に強く明滅し始める。


「エリーネ。あなたが魔法を?」

「ううん。私は直接、粒子に触れてないから……ミリアムちゃんが……魔法を」

「え、えぇ……? そんな、私が……」

「あっ! ダメ。余計なこと考えちゃだめだよ! そのまま、頭の中でイメージして、粒子の光さえも取り込むように……」

「と、取り込むように……」

「そうしたらね」

「は、ハイ!」

「一気に、ばぁっとぎゅっとどぉーんっと……だよ!」

「一気に、ばぁっとぎゅっとどぉーんっと……ですね!」


 その言葉に、カーミラはずっこけてしまいそうになる。目頭を押さえて、やれやれと頭を振った。


「結局それかい」


 カーミラは呆れつつも、二人の少女を温かく見守っている。

 二人の少女は、絡ませた手を勢いよく上空に振り上げる。絡まり合った手が開かれると――前途ある若者を包み込むように、まばゆい光が辺りに光り輝いた。その光は直ぐに消え去ったものの、小さな手のひらの中には、小さな粒のような『核』が出現している。


 ミリアムは『核』を自分の鼻先まで持ってくると、信じられないと言った様子で唇を震わせていた。


「す、すごい……ミリアムちゃん『核』を精製しちゃった……。あ、あれ? 私はできなかったのに……嬉しいけど、なんか複雑」


 そんなエリーネをよそに、ミリアムは自分の手の中で生まれた魔法を慈しむように見つめている。瞳にはじわり、と涙の粒が浮かんできた。


「わ、私が魔法を……」

「うん。これはミリアムちゃんの魔法。す、すごいよ。私にもできなかった魔法なのに……ううむ」


 ミリアムの頬に一つ涙が流れると、手の中に納まっていた『核』を自らの胸に持っていく。


「う、嬉しい……こんなに嬉しいことはありません。私は今日のことは絶対に忘れません。ありがとうエリーネ。カーミラさん」

「ああ……。良かったね。ミリアム」


 震える声で感謝を述べると、エリーネもつられて泣きそうな表情でミリアムに思いっきり抱き着いた。


「うわあぁぁぁん! 私も嬉しいっ! ミリアムちゃんも魔法が使えるようになったなんて、すごい嬉しい! 明日はその『核』でインティリアを作ってみようよ。きっと綺麗なインティリアが作れるよ!」


 ミリアムもエリーネの言葉に、満面の笑みを返す。


「私たちが、五十年前……結界を解放したのは間違いじゃなかった」


 未来へと歩み始めた二人の少女の嬉しそうな声を聞くカーミラの表情は、晴れやかなものだった。

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