第10話 集落の魔女

 あんなにへろへろだったミリアムも『追憶の地』にある集落に入ると、ふんふんと鼻を鳴らしながら目を輝かせていた。

 エリーネも集落に来るのは数日ぶりで、ミリアムの雰囲気に当てられ、なんだか妙にワクワクしていた。


 集落とはいっても、十数戸の民家があるだけの寂しい場所だ。軒先にはコウモリやヘビなどの乾燥させた死骸がいくつも吊るされている。アトランティスに古くから伝わる魔除けのおまじないだ。ミリアムも嫌な表情一つせず、案内されているはずのエリーネの前を速足で歩いている。


「ミリアムちゃーん。そっちじゃないよ」


 ミリアムはエリーネの声に、足を止めると速足で駆け寄ってきた。


「ほんっとうに、興味深いところですね! これまでに見た光景の何よりも素晴らしいです!」


 先ほどからずっとこんな感じだ。喜んでくれるのは嬉しい限りだが、ミリアムから目を離すと迷子になってしまいそうだ。


 結界の解放以前からある建物の外壁の木材は、長年使い込まれたことにより黒く変色しており、港周辺の石造りの建物と比べると酷くもろく見える。現に破損している個所もあり、ツギハギで修繕されている。まだ昼間ではあるが、建物の色や土の灰色といった暗色のせいでどうにも薄暗くなってしまう。


 港周辺の活気のある場所に工房を抱えているエリーネではあるが、まったくこの場所を嫌だとは感じない。集落に入った後も、元気いっぱいのミリアムも同じようだ。エリーネもその元気をもらったようで、体全体に力がみなぎってきた。

 一見、廃墟のような集落を笑顔で歩いているミリアム。なんだか妙な景色だな、と感じながら横を並んで歩く。


「ミリアムちゃん。ここだよ」


 お気に入りの童話の世界に入り込んで、はしゃいでいるかのようなミリアムに声をかける。エリーネの声に気がつき、ミリアムはふと上を見上げる。


 二人の少女の目の前に立っている家屋はほかの家に負けず劣らず、ボロボロだった。とはいえ、しっかりと掃除は行き届いているようで汚いという感じは見受けられない。人が住んでいる証拠だ。


「おばあちゃーん。いるー? エリーネだよ」


 そう言うと、エリーネは控えめにドアをノックする。立て付けの悪いドアを静かに開けると、薄暗い室内をきょろきょろと見渡した。


 まるで自分の家のようにずかずかと入り込み、家人がいないことに首をひねっているエリーネにミリアムが家の外で焦ったような表情を作っている。


「エ、エリーネ勝手に入ってしまって……」

「んー……いつものことだし……おばあちゃんどこいっちゃったのかなぁ。ミリアムちゃんも入ってきなよ」


 と、言われてもミリアムは躊躇し、その場で佇んだままだ。

 エリーネがさらに家の奥へと歩んでいこうとしたとき、


「こらっ! この泥棒め!」

「うっひゃああぁぁぁ!」


 突然、両肩を押さえ込まれたミリアムが悲鳴をあげた。


「ごっ、ごめんなさい。私たちそんなつもりでは……」


 そのまま、ミリアムは腰が抜けてしまい、地面にしりもちをついてしまう。涙目を声のした方に向けると、ミリアムと同じようなローブを着こなした老齢の女性が、今にも笑い出してしまいそうな表情で見下ろしていた。


「あっ。おばあちゃん。出掛けてたの?」

「エリーネ。その呼び方はお止し。おばあちゃんなんてのは百を越えたしわくちゃにいうもんだよ。私はまだ八十になったばかりだ」

「ここの人たちは、私からしたらみんな、おじいちゃん、おばあちゃんだよ」


 老齢の女性はふんっ、と鼻息を漏らすとまだ状況がつかめていないミリアムに手をさしのべた。ミリムの手を握ると、八十とは思えないほどの力で、すっと立たされる。


「悪かったね。エリーネの知り合いかい? ついいたずらしたくなっちゃってね。私はカーミラ。あんたは?」

「わ、私はミリアムともうします。きゃっ!」


 最後にミリアムのお尻を、ぽんと叩くとカーミラは背筋を伸ばした。

 カーミラは、まさにミリアムが思い描いたとおりの魔法使いだった。


 フードから覗く髪の毛は真っ白ではあったが、艶もありとても老人とは思えない。確かに顔にはしわがいくつも刻まれてはいるものの、その表情からは衰えは感じられない。しっかりと腰を曲げ、地面においてあった杖を握る手には力強さが感じられた。特に、その眼孔は鋭く、ミリアムを射抜いて――。


「あ」


 ミリアムの口から吐息が漏れる。


「もしかして……目が」


 カーミラの視線はミリアムの方を向いてはいたが、網膜は真っ白に濁りきっており、焦点は合ってはいない。

 カーミラは困ったように笑う。


「まあ、突っ立ったままじゃなんだからさ。さっさと家にお入り。お茶くらいは出してあげるよ」


 言葉遣いはぶっきらぼうではあったが、どこか落ち着いた雰囲気はミリアムを安心させるものであった。

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