第9話 追憶の地へ
「ミリアムちゃぁーん。大丈夫ー?」
これまで、興味深そうにうろちょろとしていたミリアムも『追憶の地』へとつながる山道に入ったあたりから疲れ切った様子で歩を進めていた。大きく肩で息をしながら、流れ出る汗をハンカチで拭っている。
さすがに、海岸で遊び疲れてしまったのだろう。
「はぁ……はぁ……一体、どこまで登るのですか……? さ、さすがに、少々……疲れてきました」
「海であんなにはしゃぐから……」
港から離れるにつれ、建物や店は姿を消し、昔ながらの自然あふれるアトランティスが姿を見せる。整備もさほどされてはおらず、土がむき出しの道は歩きにくいのだろう。時折、ミリアムは道端の石につまづき、転んでしまいそうになっている。
そのたびに、エリーネが手を貸そうとするが、ミリアムはその申し出を断った。そこはわがままを言ってついてきてしまった手前、迷惑を掛けたくないのだろう。
「そ、それにしても移動手段は魔法で何とかならなかったのですか……。こう、びゅーっと……空を飛んだり」
「そんなのないよ……魔法だって万能じゃないんだからさ」
「そ、そうですよね……でしたら馬車などは……?」
「あ、馬車はあるよ。でも、高いし……ミリアムちゃん。アトランティスを見たいって言ってたから、いつものように歩いていこうかと」
「こんな遠いとは思っていなかったので……。それにお金の心配などせずとも、私が出してあげたのに……」
疲れ切った表情で、ミリアムは膝に手を突き大きくため息を吐いた。そんなミリアムの顔を覗き込むとエリーネは精一杯の笑顔を作った。
「もうすぐだから。頑張って!」
「エリーネ……あなたこれで、何度目の『もうすぐ』ですか……」
ミリアムの皮肉も聞こえてはいないようでエリーネは軽い足取りで、歩きにくい山道を駆け上がっていく。
「もう……こうなったら、どこまでもついて行きますよ!」
ミリアムがだるくなった足に気合いを入れると、思い切り背筋を伸ばし、なかばやけになりながらエリーネの背を追いかける。
「がんばれー。もう少し、もう少し」
エリーネが大きく頭の上で手を振りながら、ミリアムを元気づける。
ミリアムが坂道を駆け上がっていくと――強い風が吹いた。疲労困憊のミリアムはよろめいてしまう。
「ほら。もうすぐだって言ったでしょ」
エリーネはそう言うと、眼下を指し示した。
追いついてきたミリアムが指し示された方向を見ると、疲労で悲壮感が漂っていた表情が徐々に、驚きに満ちていく。
「ここがアトランティスの端っこ。『追憶の地』だよ」
小高い丘の上から見える景色は、決して華やかなものではなかった。港の周りとは違い、しんと静まり返った集落は、一見すると寂し気に見える。朽ちかけた木材で造られた建物は、本当に人が住んでいるのかと疑ってしまうほどだ。
「ここが……『追憶の地』」
ミリアムがゆっくりと、視線を右へ左へと動かす。
エリーネは少し不安だった。
外の大陸の人間が想像するアトランティスは、港周辺のにぎやかな街並みの方だ。『追憶の地』こそ、アトランティスのあるがままの姿ではあるが、どこか鬱々とした雰囲気にがっかりする人も多いと聞く。
エリーネ自身、にぎやかなアトランティスももちろん好きなのだが、この『追憶の地』のうら寂しい、しかし、どこか懐かしさを覚える雰囲気も愛しているのだ。できれば、ミリアムにも好きになってほしい。
「……とても綺麗」
無意識に出た言葉だったようだ。
ミリアムは前のめりで、食い入るように灰色の集落を見つめている。
「これこそがアトランティス……本当に素晴らしいです」
ミリアムの賛美に、エリーネは自分のことを褒められたかのように、背筋がむず痒くなる。
「えへへー」
エリーネがくねくねと体を動かしている横で、辺りを見渡していたはずのミリアムが一点を凝視している。
おや? と思い、エリーネはその視線を辿る。
「あの、場所は」
静かにミリアムが腕を上げる。胸の辺りに手をあてながら、早鐘を打つ鼓動を必死に抑えているようだった。
ミリアムが神妙な面持ちで見つめるその場所は、一帯が灰色の景色で覆われていた。
地表はめくりあがり、草木の一本も生えていない、地面は乾ききっており、死を連想させる場所だった。
「あそこはね」
エリーネがミリアムの背後に立った。
「五十年くらい前に、アトランティスの人々が結界を消し去った場所。その時に膨大な魔力の暴走があって、あのあたり一帯は大地がもろくなっちゃって、誰も住めない場所になったの」
「とても、美しく、寂しい場所ですね……」
「うん。でもね」
エリーネが一歩、ミリアムの前に出ると両手を大きく広げた。過去、様々な思いがこの地に満ちていたのだ。焦燥、悔やみ、狂気……目の前の灰色の大地を眺めていると、ふと過去のアトランティス人はそんな思いを抱いていたのだろうと想像してしまう。
もちろん、今のアトランティスしか知らないエリーネは、過去の思いなど知る由もない。エリーネの体に流れるアトランティス人としての血がそうさせるのか。大きく腕を広げたままのエリーネは深呼吸をすると、過去のアトランティスを感じるように、静かに目を閉じた
その時、強い風が崖下から吹いてきた。
ミリアムのローブが大きくはためく。驚いたミリアムはローブの裾と、フードを慌てて抑えた。風が穏やかになると、ミリアムはゆっくりと顔をエリーネに向けた。
「過去のアトランティスの思いは……まだあるんだよ」
エリーネが穏やかな表情でミリアムに向き直っていた。背後に立ち昇るおぼろげな光を放つ青い光。頼りなく瞬く青い光は、綿毛のようにエリーネの手のひらに落ちた。あまりにも弱々しい光ではあったが、決して消え去ることは無く明滅していた。
「これは……」
ミリアムは無意識に歩み寄ると、震える手をエリーネに向けた。
「アトランティス開放の時に放たれた魔法の粒子。人々の感情が粒子に混ざり合って今でもこの地に漂っているの。これがインティリアの『核』になるんだよ」
「これが、『核』に?」
「うん。このままじゃ使えないけどね。『追憶の地』に住んでいる知り合いがインティリアの『核』に精製してくれるの」
「早く行ってみたいです!」
突然、ミリアムが興奮した様子で叫んだ。エリーネは体をのけぞらせると、その拍子に手のひらの魔法の粒子は、ふわりと浮き上がる。辺りに漂う他の粒子と混ざり合いどこかへと飛んでいった。
「す、すごい気合入ってるね……じゃあ、いこっか」
ミリアムはもう微塵も疲れは見せていない。大股でエリーネの前を歩いていく。
「あ」
何を思ったのか、ミリアムはくるり、と振り返るとエリーネの顔をまじまじと見つめてくる。
「アトランティスのことを話しているときのエリーネ……なんだか本当の魔法使いに見えました!」
その言葉にエリーネの膝がかくっと、崩れる。
「ええ……ミリアムちゃんは、私のこと一体何だと思ってたの……」
「あ、いえ。変な意味ではなくて、私の中で想像する魔法使いと同じだったというか……実のところ、エリーネは魔法使いだという印象があまりなくて……」
今よくわかった。ミリアムは思ったことは直ぐに口にしてしまう。もちろん、それもミリアムの魅力であり、エリーネも屈託なく接することのできるミリアムが好きなのだ。それでも、やはり心中は微妙にショックなわけで。
「ああー。そうなんだね。今のミリアムちゃんもはしゃいでて、本当に可愛らしくて、なんだか女王さまじゃないみたいだね!」
つい皮肉の一つも言いたくなってしまう。
「か、可愛らしいですか……そ、そんな私をエリーネは好きですか?」
「へ?」
ミリアムが細い指を唇に当て、もじもじとエリーネを見つめてくる。初めて会った時の印象とは大違いだ。
なんだか妙な気持ちがエリーネの心に湧き上がってくる。愛の告白をされたみたいで、エリーネの顔が、かぁっと熱くなる。
ミリアムが上目使いでエリーネを見つめてくる。
「あの……えっと。私も……ミリアムちゃんのことは好きだ、よ……うん」
「わぁ! とても嬉しいです」
どうにも恥ずかしくなってしまい、エリーネが周りに視線を泳がせる。
ミリアムは太陽のような笑顔でエリーネに腕に絡みついてきた。柔らかな体がローブ越しでもよくわかる。
「女の子ってこんな柔らかいんだ……なんだか変な気分になってきたかも」
エリーネはミリアムの腕を取りながら、ふと、そうつぶやいてしまったのだった。
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